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教員退職した私が、また教育に首を突っ込む理由

大学卒業して小学校の教員となり
なんとかかんとか必死にやっていたけれど

ついに学校に行けなくなった。
14年目。

自分に向き合ってみると


自信がない
他者の目を気にして自分らしくいられない
自分には価値がない
がんばってみんなに追いつくくらいしかできない
自分がない、言いたいこともない
なのに指導しなきゃいけないのがつらい


そんな気持ちを抱えながらやっていたことを
改めて認識することになった。


子どもたちや先生方が目の前にいると
その本音、弱音に蓋をするしかなかった

でもそれも本当の気持ち。本当の私。


自分への評価が極端に低いし
自分という存在が社会でどう役立つのかわからない

とにかく必死にみんなに合わせてついていくしかない
そういう方法でしか自分の存在意義を示せない


そんなものを抱えながら
よくがんばっていたな、と思う。


つまり私は


「自分」をちゃんと掴めないまま
大人になってしまったし
教師になってしまった

自分が役立つ存在になるためには
自分の何をどう表現するといいか
どうやったら力を発揮できるのか
わからないまま大人になってしまったし
教師になってしまった


それで長いこと苦労した。


仕事ってつらいもの
人生もつらいものだと思っていたので

その渦中は気づけなかったけれど

退職して
教員以外の世界を知って
学んだりしてみたら

もっとつらくないがんばり方があるし
仕事ってそもそも我慢するものじゃなくて
自分を活かすものだと知った。


知らなかったり
つらかったりしたのは

もちろん
個人の性質もあるし
家庭の環境もあったと思うけど


「教育」の存在が大きいと思った。


だって

社会に出たときに活きる力を育むのが
教育であるはずなのに

そうじゃないことにばかり
エネルギーを使っているし

むしろ

逆行していることを指導しているところすら
見受けられる。


なので

私と同じように自信がない、自分がわからなくなった
大人向けのエンパワメントもしながら

再び「教育」の分野にも首を突っ込むようになった。


いろんな課題はあるけれど
私は

自分というものを掴み
=自己認識力アップ

自分の存在意義を認識し
=自己価値の創出

その意義を果たす方法を知る
=自己発揮のトライ&エラー

そんなことが日々の教育実践の中で
実現されるといいなと思っている。


堅苦しく書いたけど

「自分は自分のままでいい」

「ありのままの存在で誰かに必要とされている」

そんなことを体感できる場所であってほしい。


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