見出し画像

「人並み以上でいなければならない」という呪縛

昨日
こんな投稿をしたけれど


私は昔から
むやみに自己評価を下げて
それをセルフイメージとしてもってしまい

自分なんて大した人じゃない
自分は人並み以下なんだな

そう思って
自分で自分を苦しめる人だった。


でも、これ、

裏を返すと


人並み以上でいたい


ってことなんだなと思った。



子どもの頃から
勉強も運動もできるほうだったし

親の幸せの定義がおそらく
「人並み以上」だったのもあって

人並み以上でいる

ということが
私のデフォルト
だった。


それがだんだんだと

人並み以上でいなければならない

という呪縛になってしまったように思う。



それが解かれたのが
自分が教師として担任をもちながら
学校に行けなくなったことで

人並み以上どころか
人並み以下

になってしまった。


当時としてはどん底でしかなかったけど
でもそれがきっかけで

人並み以上とか、以下とかじゃなくて

一人一人の違いや個性、その人らしさを
もっともっとみんなで大切にし合えたらいいのに

と思うようになった。


とは言え、はじめは

「人並み」という「ものさし」をもって人を見ることに
過剰に反応して嫌悪感を抱くようなところもあった。

つい最近まで自分もそうだったのに
気づいていない人が、悪い
みたいな見方をしていました。

学校に対しての嫌悪感も大きかった。



でも、結局、みんな同じなんですよね。

大抵の人は
「人並み」という「ものさし」を持ってしまっている。

私と同じように

持とうと思って持ったわけではないし
誰かに悪意をもってそう教え込まれたわけでもない

けど
そうなってしまった。


それはやはり
教育や社会のあり方から変わらなければと思うけど
今回はそこは置いておいて


今できることは

まさに今

自分が「人並み以上なのか、以下なのか」とか
自分が「できているか、できていないか」とか

誰が決めたかわからない
「ものさし」「枠」「基準」で

上なのか?下なのか?
どの位置にいるのか?
これで大丈夫なのか?


自分を測って、悩んで、苦しい思いをしている人がいたら


あなたは、あなたのままでいいんだよ
そのままで素晴らしいんだよ

むしろ、そのままが個性的で魅力的で
その一人一人の違いこそが価値であり
世の中にとって必要なんだよ


と言いたい!伝えたい!


学力とか
偏差値とか
学習態度とか
世間体とか
それこそ家柄とか

が大事な時代もあったんだと思う。
それが幸せになるための基準値だった。


でも、今は違う。


こっちが正義ならば、あっちも正義だし

どんな物事にもいろんな側面があり
いろんな見方ができて
正解がない


だから自分のことも
いろんな角度からいろんな見方をして

自分を最高に輝かすように
設定してしまっていい。

その輝く自分で
堂々と自分らしい良さを発揮して
自分という存在に誇りをもって生きていい。


そういうふうに見てあげられる大人
関わってあげられる大人
できればサポートしてあげられる大人が
増えていくといいなと思っています。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?