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嫌われる勇気を細かく読んでみるメモ③

ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」をスッと読んでも頭に入らないので、細かく読んで個人的な感想と浮かんだことを書いてみようと思う。3回目。

いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだから。    嫌われる勇気 p.45
「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、         嫌われる勇気 p.47

前回からの流れではあるが、「今」の自分がどう思うかが全てのような感じに思う。「不幸であること」を選ぶという書き方は一見否定したい内容だが、今そう思っているのは自分の解釈なので、自分が不幸だと思えば不幸だし、幸せだと思えば幸せなことは確かだと思う。
「自分」が思っている「幸せ」というものが違うのかと思った時に、それを判断する方法は一つしかない。

「他人」と比べること。

「他人」と比べるにしても、指標は沢山ある。何と比べて?ということだ。
比べることにより「自分」の「幸せ」という尺度が揺らぐのだと思う。

ふと思ったことがある。
たまに海外の貧しい国の子供達を救うとか、学校を建てるとかをメディアだったり講演だったりで発信していることがある。
その話している人がたまに

「可哀想な子供たち」

という表現をすることがあるのだが、これはとても嫌いな表現だ。
僕たちと比較して、僕たちのような生活ができていないあの子達は可哀想だよね。
という偏見がある。

僕はあの子達の中には幸せに暮らしていて、僕らに哀れまれること自体に憤りを感じる子達もいるよな。と思ってしまう。
一方的な解釈はとてもよくないな。

いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。 嫌われる勇気 p.52

これはそう思う。生存本能なのかな。変わらないことの方が先が予測できて無難なことは無難。
行動経済学などでも言われる話だが、人間は想像できないリスクをすごく気にする。

10万円のものは悩むのに、100円のものは悩まない。

これ以上、悪くならないのであれば、このままでいいやと思う気持ちがあるのに、なぜ自分だけが苦しいのだろうと思ったりする。
こうすれば良いと分かっているけど、面倒でできないことがある。

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