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嫌われる勇気を細かく読んでみるメモ②

ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」をスッと読んでも頭に入らないので、細かく読んで個人的な感想と浮かんだことを書いてみようと思う。2回目。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。」 嫌われる勇気 p.29-30

アドラー心理学はトラウマを否定しているとのこと。
トラウマ、過去のマイナスな出来事が記憶に残り、ふとした時にフラッシュバックするようなこと。
これを否定することは結構非難を浴びそう。
ただ、全ての「今」という結果が「過去」からの経験によるものだとしてしまうと、「過去」が失敗していたら「今」はより良くならないという結果になることは「今」を生きる人からすると、その解釈の方が過酷だと思う。
「過去」に何があったかで「今」は変えられない。それはおかしい。

「過去」に虐められた、「今」虐められた経験があるから「人が怖くなった」
「過去」に虐められた、「今」虐められた経験があるから「人に優しくなった」

これは、過去は同じであっても、「今」の解釈により気持ちが変わることを意味している。
決して、トラウマになった人を非難していたり、否定していたりするつもりはない。
ただ、その「過去」は「今」への原因にならないだけである。

そう考えると、この解釈は好きかなと思う。「今」その瞬間に思えば、人はすぐにでも変われるのだから。
「今」無理やりにでも楽しい気持ちにすれば、自ずと楽しくなるのだから。
それは外的要因など一切関係なく。

問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」であると? 嫌われる勇気 p.37

僕らの解釈はいつも自分勝手だと思う。近年のセクハラやパワハラの問題も、一部解釈の問題もあると思う。
個人的に思うのは関係性の構築ができているか否かであって、同じ行為をしても僕は許されなくて、あの人は許されるという事例がある。
これがあるのでこの問題は難しい。

あくまで、その人の主観での判断が全て。
ん。そう。あくまで自分の主観での判断が全てです。

苦しいことがあっても、試練だと思える強い人がいたり、苦しいだけの人生だと思う人がいたり。
主観が全てだと思うと、結構軽く考えられたりもする。

明日、どんな苦しいことがあっても、とりあえず笑って試練だと思おう。

そう決心するだけで、少しだけ、耐性がついたりする。

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