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嫌われる勇気を細かく読んでみるメモ⑨

ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」をスッと読んでも頭に入らないので、細かく読んで個人的な感想と浮かんだことを書いてみようと思う。9回目。

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。 嫌われる勇気 p.132
「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」 嫌われる勇気 p.136

SNSが普及して「承認欲求」という言葉をよく耳にするようになった。
「いいね」を押して欲しいという気持ち。誰かに発信することが普通になった今では友達に認めて欲しい以上に、不特定多数に認めて欲しいという気持ちが強いよううに思う。
僕自身も承認欲求は強いと思う。他人の評価は気になる。最近それに嫌気もさしている。多数のSNS利用者もそうであると思っている。冷静になれば、なぜ顔も合わしたこともない不特定多数に「いいね」と言って欲しいのか。なんでなんだろう。

近くの人に話せない気持ちを理解して欲しいという感情は誰にでもあるだろう。
誰にも言えない個人的な悩み。コンプレックス。偏愛。普通ではない。反社会的。そのような価値観は友達に話し、否定されてしまえばコミュニティから外されてしまう恐怖があるのだろう。それを理解して欲しい。たまにはその想いを誰かに話したい。
そのようなことは理解できる。SNSの重要なところはそのマイノリティを繋げることでもある。

ただし、それを”不特定多数”に”多数”に支持してもらう必要はないだろう。
今まで誰にも話せなかったことは、誰か一人でも話せたら気持ちは楽になるんじゃないかな。その感情が加速して、より多くの人に「いいね」をして欲しいということは暴走に近い。制御できないからこその欲求。

「いいね」が欲しいために自分の為から他人の為に生きることに変化するのはつらい。

これはインスタ映えなどがそうなのかな。それ自体を楽しめているなら良いんだけど、「いいね」をされることを目標として写真を撮ることとか、行き先を決めること、付き合う人間を決めることは、あなたのことをさほど知らない不特定多数の為に頑張って自分作り上げてるように思う。

不特定多数の為に演じる「自分」。これは結構怖い発想だと思う。
何せ不特定多数はあなたのことを数ミリも興味がないし、あなたの人生に大きな影響を与えてくれることはないだろう。
SNSの世界の奴隷になることはない。
とりあえず顔を上げて、目の前の人と対話することの方が重要だと思う。

脚本・演者「私」、観客「SNSフォロワー」、評価「○いいね」

※あ、でも、狙ってじゃなくて、「自分」として発信したことへの「いいね」はとても励みになりますよ。笑。

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