見出し画像

嫌われる勇気を細かく読んでみるメモ⑩

ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」をスッと読んでも頭に入らないので、細かく読んで個人的な感想と浮かんだことを書いてみようと思う。10回目。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。
嫌われる勇気 p.140
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水の呑ませることはできない」
嫌われる勇気 p.143

なんでアイツはああなんだろう。
言っても聞かない奴だな。
良かれと思って言ってるのに伝わらないな。
このやり方を方が絶対良いのにな。

全て老婆心のような気持ちで助言していることが多いと思います。でも、なんで助言してるのに聞かないのかを考えてモヤモヤするのは考えもの。
アドラー的に言えば、確かにそれは全て相手の問題であって、それをわざわざこちらが考えてやって自分が損する必要はない。確かに。
不思議なもので、どうしても自分の心からの助言は他人に聞いて欲しいと思うし、実行して欲しいと思ってしまいます。それは友人に限らず、親子関係、仕事関係、見知らぬ他人でさえそう。

助言することは大事なこと。誰かを助ける気持ちは素敵なこと。
だけど、それを押し付けることは少し残念なこと。
そう思わないといけないなと感じる。

ただ、これって社会や教育で実践するの難しいですよね。
子供にはダメなものはダメと教えないといけないし、気付かすには口を出さないようにする耐久力がいる。片付けてくれないと自分のパーソナルスペースが維持できずにイライラしてしまうだろうし・・・。
会社で部下だって、教えたことを実行してくれないと上司に怒られるのは自分だし、指導力がないとか言われる始末だろうと思ってしまう。
相手の課題なのだが、相手が課題をクリアしてくれないと、自分の課題がクリアされない場合も存在すると思うわけです。
アドラー的にはそれは違うってことで、部下ができないから仕事の評価が低くなるということは原因論で、仕事の評価が低い自分を認めたくないからできない部下を作り出すとなるようです。

とりあえず、部下が気づきとなるような玄関まで連れて行き、あとは自分の頑張り次第だと言って見守ることが一番とのこと。言いたいことはわかるが難しい心理学の世界・・・。もはや見守るもなくて、ほっておくレベルかと。
子供も同じか。片付けない子供に片付けないと物がなくなることを認識させた上で、自分でどうするかって感じなのでしょうか。

ここまで考えてみて、難しいことではありますが、心が軽くなるであろうことは確かだと思います。

誰にとっても自分の人生なのだから、意見は意見でしかなくて、助言は助言でしかなくて、答えはひとつじゃ無いわけで。
学校の先生が言うことは全て正しいわけでも無いし、親の言うこともそうだし、そう思えば自分が言ってることも正しいわけでも無いだろうし。
まぁ、自分が言ってることは自分にとっては正しい意見だから、とりあえず教えてあげるねってスタンスでいいと思う。

どうしてもなぜか、自分の言葉が、
世の中に人を幸せにするパワーワードであって欲しいし、
感謝されたい、伝われって思うんでしょうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?