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記憶が低下し始めた高齢者を見守った2年間。~私が学んだ認知症を防ぐ3つの処方箋~

私の近所に80代後半の日本人男性が住んでおられました。2年前、一緒に30年間暮らされていた奥様が一時帰国で東京へ帰られ、コロナ禍が始まり、往来ができなくなってしまいました。それ以来ずっと一人暮らし。最近、コロナの規制が緩和され、日本にお住まいの娘さんが来られ、無事に一緒に帰国されました。本当に良かったと、夫婦で胸を撫で下ろしています。

この方の過去2年間の認知能力の低下は、指数関数的でした。初期の小さな異変は、一回会っただけではほとんどわかりません。継続的に観察しないと。私はほぼ毎日電話で会話し、週に1回は最低自宅にお邪魔しました。月1回夫婦で食事もしました。だから微妙な変化に気づくことができました。

記憶低下のプロセスを観察する中で、キーとなる出来事があり、それを境に症状は急激に悪化しました。つまり認知能力の悪化の引き金になったようです。逆に考えればそのような引き金を引かないようにすれば認知症の進行を遅らせられるのではと考え始めています。以下3つのキーとなる出来事でした。

人と話さなくなった。
奥様が帰国されて、話す機会が激減。テレビを見る生活が始まりました。
“私のような年齢だと仲の良かった友達もあっちの世界に行ってしまった”
と嘆かれていました。話す能力より聞く能力が最初に落ちていきました。この方から電話がかかってくる時は、話す内容が先方は分かっているのでいいけれど、私の方から電話をかけると大変。私が話す内容が予想できていないので理解が難しい。仕事をしているときは人付き合いがあるけれど、仕事を辞めたあとどれだけ友達がいるかは大切です。喧嘩をしながらも夫婦で一緒に生活することは本当に大切だと思いました。今年3月に他界した父は、母と毎日喧嘩をしていたらしいです。父は足が悪かったので喧嘩は大ごとにならず、母が姿をくらまして終了。帰国のたびに“喧嘩はボケ防止”と言っていました。喧嘩の時は相手の言い分を理解しないと勝つことができないからだと。

運動をしなくなった。
1年半前に地下への階段を踏み外し右足を骨折されました。ギブスの生活を半年。それを機会に運動量がめっきり減っていまいました。ギブスが外れた時にはもうすでに筋力は弱り長く歩けなくなっていました。太ももの筋肉は脳に血液を送るのに大変重要。転倒で怖いのはその後運動が制限され、脳への血流量が減ってしまうこと。足が弱いので歩かない。だから足が弱る。悪循環。エレベーター、エスカレーターは使わないようにしよう。歩くことを嫌がらない。太ももが今自分の頭に血液を運んでくれているとイメージしながら。

文章を書かなくなった。
1年前にパソコンが故障。修理するより買った方が安いので新しいパソコンに買い替えを勧めました。しかしこれは今思えば大きな失敗でした。最後まで新しい機種の使い方を理解されませんでした。それまでメールは、丁寧で大変美しい文章を書かれていました。それを機に文を書かないし、読まなくなられた。文章を書くことは数学や物理よりはるかに難しいです。なぜなら数学、物理には正解があるけれど文章には正解はないからです。人に分かってもらう文章を書くことは大変難しい。ブログを書く。エッセイを書く。日記を書く。手紙を書く。どれでもいいから続けたいです。できればその感想をもらえるような友達がいれば楽しく持続できるはずです。

記憶がなくなることは大変怖いことだと頭では分かっていましたが、実際に2年間そういう方とおつきあいさせていただき、その恐ろしさを再認識しました。記憶がなくなっていくと、その方の良かった過去も一緒に自分たちの心から消えていきます。今は必死にその記憶が私の心から消えないように努めています。

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