マイナスからゼロへ

2011年5月19日
東松島で津波の被害を受けたNさんへパソコンを送った。アメブロで震災直後から自分の想いや状況を綴っていたNさんは私と同じようにパソコン関係の仕事をされていた。
もちろんまだまだ使えるノートパソコンに必要と思えるソフトをインストール。illustratorやPhotoshop、ホームページビルダーもインストールしてメモリーも増やしてもらい東松島へ送った。

お返事が届いた。そのままコピペします。
「正直・・被災してから、これといってうれしいことは1つもなく
要は全てマイナスの生活になったので、頑張ってレベルアップしても
今までの0地点ですから、これといってワクワク感もありません。
だからといって、マイナスから今まで以上の生活にレベルアップすることは、並大抵ではありません。」
そして最後に「震災後、初めてゼロよりプラスの事がおきました。上さんから送ってもらったパソコンは震災前に使っていたパソコンより使いやすく、使ったことが無いソフトが入っていたからです」と綴られていたのだ。

どれだけ大変なことが起こっているのか想像が出来なかった。

地震と津波で人生が変わってしまったNさん。とても正直な言葉でブログを更新されている。何もなくなったのはゼロではなくマイナス!そんな言葉を聞くまで私は「何も無くなったゼロからのスタート」だと思っていた。辛すぎる。。。それでも私が送ったパソコンが役に立ってくれるのが嬉しかった。その後もしばらく個人的にNさんの応援を続けた。

2011年5月28日、笠岡の方々が南三陸町で開催の第2回福興市に参加するために車で南三陸まで行くと聞いた。南三陸に行く前に東松島のNさん達のところに寄ってソーメンを届けてもらってはどうだろうか?と守屋さん達に相談をした。Nさんが居た避難所は100人くらいの方が生活をされていたと記憶している。笠岡でソーメンを茹でてすぐに食べられるようにして容器もだし汁も用意して届ける!そんなイメージだった。笠岡のメンバーの守屋さん達は快くOKをして下さった。
Nさんにその計画を連絡する。鴨方のソーメンはとても美味しいのだ!

Nさんからの返事はNOだった。100人に全員に同じように同じものを配るのはとても難しい。食事の時は近くの人が集まってくるので100人以上になる。その時に足らないとなったら善意が争いになってしまう・・・そんな答えだった。「そんな支援は困る」と言われた。と言うかそんな大変なことになるとは思ってみなかった。自分の浅はかな考えを恥じた。
押しつけのボランティアは要らない。心に刻んだ。

その後、Nさんと会う事は無かったが応援は続けた。写真は2013年の3月11日に笠岡で開催したイベントで展示させて頂いたNさんが考案した防災グッズセット。買う事も支援。

避難カードも購入した。

こんな品も販売されていた。

ご縁が無かったのか、この頃からNさんと連絡を取ることは無かった。あれだけ東北に通ったのに一度くらいは会いに行けば良かったかも・・・

と、思ったけど・・・実はこのnoteを書くまで、すっかりNさんの事を忘れていた。パソコンを送ったことも、防災グッズを買ったことも。
調べてみるとNさんは今石巻で「一般社団法人防災プロジェクト」の 代表理事をされていて震災後100を超える講演会を全国で開催、石巻の語り部として活躍されていた。これからも頑張って生きて欲しいと心から願います。

追記
ボランティアは実行するところまでがボランティアで、その後は見返りを求めてはいけない!送ったお金がどうなったのか?寄付したものがどうなったのか?それを求めていけないと教えられてきた。
自分の事ならそれで良い!もちろん気にはなるが例え送った新品の毛布や服がそのまま捨てられたとしてもそれはそれなのだ!
今、私が書いているのは当時一緒に動いてくれた方、実際に被災地には行けないのに私以上に寄付をしたり協力をして下さった方々に、その想いは決して無駄ではなかったと伝えたいからです。
そして、これからもどこかで大きな災害があり大変な思いをされている人が居たら今まで以上に協力をしてあげて欲しいとお願いをしたいから書いています。ご察し頂けたらありがたいです。

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