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祈りにも似た行為

誰しも、なにかうまくいかないなあ、と思う時があると思う。

今あなたがそんな思いを抱えているなら、あなたのお役に立てるかは分からないけれど、少しの時間、このnoteを読んでみて欲しい。

僕はサッカーの記事を読むのが好きだ。
どんな記事が好きかというと、選手達がどう逆境を抜け出したのか、つまり選手達の苦労話が好きなのだ。

サッカーに限らずスポーツの世界は栄光と挫折の比率で考えると、選手達は挫折の渦中にいることのほうが多いのではないかと思う。
野球の松井秀喜選手も、著書の中で、どんなに良い打者でも打率は3割で、残りの7割は打てないのです。その7割をどう捉えるかです、ということを書いていたと思う。

挫折の渦中の中で、彼らは如何に戦うモチベーションを維持しているのだろうか?

僕は一視聴者に過ぎないのだが、サッカーの神様というのは、本当に気まぐれだと思う。
世界のサッカーのトップ達は、そんな気まぐれな神様の気分を、なんとか人類の叡智で分析して、栄光を勝ちとろうと試みる。

しかし、予期せぬ主力選手の怪我(今季のリバプールのファン・ダイクのような)、過密日程による選手達の疲労、思わぬ選手の覚醒、と気まぐれなサッカーの神様に、人類は翻弄されることになる。

チームを運営する経営陣も大変だと思うが、最前線で常に目に見える結果を求められる選手達もたまったものではないだろう。

日本人プレイヤーが移籍して、良く起こるのが、中々試合に出れないという状況だ。
最近だと、リバプール時代の南野選手しかり、ビジャレアル時代の久保選手しかり。

彼らが移籍する前、監督はこれからチームに加入する選手達への大きな期待をメディアを通して発信する。
しかし、そこには熾烈な競走があり、そう簡単に栄光の道をひた走る、というわけにはいかない。

それでも選手達は練習でも100%のハードワークをし、フィジカルやスキルを監督にアピールすると共に、挫けないメンタリィティもアピールし続けなければならない。

そんな選手達の努力が報われる保証はどこにもない。それでも彼らは何かをやり続ける以外にないのだ。
チームの全体練習が終わった後に、更に個人練習として走り込んだり、シュート練習をしたり、筋トレをしたり。

その行動は、言ってみればお百度参りのようなものではないか。
病気の誰かの回復を祈って、神社を100回行き来したところで、何か具体的な効果があるのかは、僕には分からない。

ただ、そうせざるを得ないのだ。

すぐに結果が出なくても、すぐに状況が改善しなくても、その祈りにも似た行為は、きっと徒労に終わることはないと信じる強さをあなたにもたらすはずだ。

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