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美しい写真

美しいとは一体なんだろう?
そんなことを時折考える。

美しい写真は風景写真などによく当てはまる言葉でもあるだろう。
写真や芸術において美しさを求めることは至極当然とも言えることだが、全てに当てはまるわけではない。
自然の四季の移り変わる美しさ、構図の美しさ、醜悪にも見えるグロテクスな美しさ、整然と並ぶビル、美形のポートレート、個性的な魅力のポートレートetcもまた美しさが存在するからこそ写真や芸術として残ってゆくのだろう。

写真にとって何かしらの美があって、そんなものが人の心に残ってゆくのだと思うのだが、定義もなく心のありようで美しさは変わりゆく。
心をとどめる物の多くが美しいものだと、そんな認識をしている。

私の写真を見てくださった方が美しいと言葉をかけてくれる事がある。
見てくれた方の中で、それは意識の奥で感じたことが表面化した言葉なのだとありがたく感じる。
人は感受性や物事を深く考える知識がつくほどに、その美しいと感じた人としての本能の奥にある事象を感じれるようになり、それが美しいを表現する複雑な言葉となって言語化されるようになるのだろう。

私自身、美しいものを撮っていると思われがちなのだけれど、実は美しいものを撮っているといった認識よりも、目の前で起こっている事象を理解しながら撮っている事が随分と多い。
冒頭の写真ならば、雪深い場所の早春の木々と、太陽の光が射し込んだ一瞬の寒暖差の中で生まれた湿度ある空気感が絡み合った一瞬の光景。といった具合だろうか。

もちろん写真をやってきた中で「品格」というものを永く大事に考えてきたので、自然を撮る上でもそれは変わらず、被写体に対する敬意の中で意識の深層で絡みつくようにイメージとなっているのだろうと、自分の事ながら何となくそう思ったりはするのですが。

少し書いては見たものの中々答えも出ないものですが、
「美しい」という言葉は
複雑な心境を曖昧にも表現しながら深度を持つ、とても好きな言葉。




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