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#5 タイ、バンコクの路地裏、人生の交差点

タイの首都バンコク。
人口800万人以上を抱える東南アジア有数の都市。
僕はバンコクに行ったときに、必ず顔を出す屋台がある。
まるでタイという国の縮図のような、特殊な人たちが集まるこの屋台では、
いろいろな人間模様を垣間見ることができる。

カオサン通りから新天地へ

今から10年近く前、僕は今日の宿を探し、バンコクの街を歩いていました。
当時のバックパッカーの聖地といえばカオサン通り。
欧米人をはじめ、世界中のバックパッカーが根城にしていました。
多くの旅人がカオサン通りを拠点とし、仲間を募って、
周辺国に旅に出ていきました。

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僕もその慣行にならってカオサン通りを根城にしていましたが、
その様相は訪れる度に代わっていきました。
有名観光雑誌に取り上げられ、日本人観光客も増えていきました。
人が増えると物価も上がる。
宿代もどんどん値上がりし、もともとアクセスの悪いカオサン通りは、
僕にとって魅力に感じられなくなりました。

僕は宿を決めるとき、なるべく日本人がいないところにしています。
海外にいるにも関わらず、なんで日本人とつるまなければいけないのだ。と、
ある種の中二病のようにとがっていました(笑)

スクンビットの裏の方に、安めのゲストハウスができたらしい。
そんな噂を沈没中のファラン(白人)から聞いた僕は、スクンビットに足を延ばしたわけです。
しばらく散策を続け、煌びやかなスクンビットの裏通りで、安価で綺麗なゲストハウスを見つけ、無事チェックインできました。

歩き疲れた僕は、どっかの屋台でめしでも食うか。とゲストハウスを出て歩き始めました。
しばらく歩いていると、炭火焼きの香ばしい匂いが僕の鼻を刺激し、
タイ人特有の『ウェルカーム、ウェルカーム』という発音に足を止めてしまいました。
ま、ここでいいか。と僕は路上にある椅子に吸い込まれるように座ってしまいました。

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イサーン人が集まる人情屋台

『レオ?シンハー?チャーンは無いよ』
30代くらいの女性が、当たり前かのようにビールの種類を聞いてきた。

「いや、ビールはいらないなー。他はないの?」

『他?水ならあるよ。でも私はレオ飲みたい。だからレオにしよう』
とんでもない勢いで僕の注文は決まってしまった。

その女性は当たり前のようにグラス2つと大瓶のレオビールをもって、
僕の隣に座った。

『はい、じゃチョンゲーオ(乾杯)』
僕はその見事な勢いにあっけにとられたまま、乾杯してしまった。
その女性は僕のビールを飲んでいるにも関わらず、
違うお客さんが通るとウェルカーム、ウェルカームとキャッチを始める。

あっけにとられている僕に、串焼きを置きながら年配の女性が話しかけてきた。
『悪気はないんだよ』
黒いエプロンをまとった少しふくよかな女性は、屋台の店主だった。

「すごい店員さんですね」
彼女に捕まった白人男性がレオビールを注文しているのを見ながらつぶやいた。

『あの娘、店員じゃないよ』
は?店員じゃないのかよ。とびっくりしていると店主は続けた。

『ここにはイサーンからの出稼ぎが集まるからね、あーやってお金を稼ぐのさ』

タイ東北部イサーン地方。
のどかな田園風景が広がるこの地域は、タイの中でも平均所得が低い。
多くのイサーン出身者はバンコクに出稼ぎに出てくる。
稼いだお金は、両親や家族のために仕送りしている人が多い。
この屋台は、そんなイサーン出身者が集まる。
とりわけ、バンコクでフリーランスの娼婦として働いている娘が多く来ていた。

僕は久しぶりのカルチャーショックに刺激を受け、
気づいたらこの屋台に通うようになっていました。

スクンビットの路地裏

『オーイ、食っていきな』
女性店主が、僕を見かけるなり声を掛けてきた。

自然に何度か通った結果、ほとんどが顔見知りになっていました。
最初は娼婦らしく営業をかけてきていましたが、
僕の性格を知ったのか全く営業をかけてこなくなりました(笑)
それに女性店主の存在も大きかったです。

『あのイープン(日本人)は私の友達だから』

と僕の意をくんでくれたのか、あいつは金にならねぇよと思ったのか、
僕が来るなり周りの女性たちに説明していました。

女性店主と僕は酒を飲まないので、
コーラに彼女の作った串焼き数本で、雑談するのが常でした。

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「最近どうですか?」
『景色は変わったけどな、私たちはなんも変わんないよ』

僕が初めて来たときは、他のレストランの前の路上で運営していました。
そのレストランが取り壊され、新しいレストランが立ち、立ち退いたあとテナント募集で数年ありましたが、取り壊され、空き地になっていきました。

バンコクの経済発展とともに情景は変わっていきましたが、
女性店主と集まってくる娼婦たちの明るさは変わりませんでした。

彼女たちは自由気ままで、しばらく見ないな。と思ったら、
ひょっこり顔を出し、またいなくなっていきました。

その中でも印象に残っているのはルーイとミーナ姉妹でした。
2人は実際の姉妹ではなく、同郷ということで姉&妹と呼び合う仲でした。
ずぼらで抜けている姉のルーイ、しっかり者で他人のトラブルを抱え込む妹のミーナ。
彼女らも、女性店主を母のように姉のように慕っていました。

ルーイとミーナ

『マジでありえない!』
戻って来るなり頭から湯気が出るんじゃないか、と思うくらいミーナはガチギレしていた。

『あのファラン。金ないとかで金払わなかった!』

客との金銭トラブルは日常茶飯事で、フリーランスがゆえに警察沙汰にはしたくない。
泣き寝入りがほとんどでした。

『ねー、レオちょうだい!』
女性店主はやれやれといった様子で、まぁ飲みなとテーブルに置いた。

彼女らはある種の共存関係を築いていました。
タイ文化特有のタンブン(徳を積む)もあるかもしれませんが、
誰かが困っていたら、みんなで助けてあげる。
お金がない、物がない、という場合には自然と誰かが手を差し伸べていました。

”○○が強盗にあった”、”△△が睡眠薬を大量に飲んで病院にいった”、
”外国人の彼氏ができたけど突然いなくなった”などなど。
日常的なトラブルに、僕自身あまり驚かなくなっていました。

ミーナはそんな困った人をほっとけない性分でした。
娼婦仲間から”人から騙された。金がない”と相談を受けると、
自分の財布の中身を全部渡してしまう。
特に姉であるルーイには激甘でした。

『ねぇミーナ。タバコ買うお金がないんだー』
ルーイがそういうと、しょうがないなぁとお金を渡してしまう。
1000B稼いだらすぐにパーッと使ってしまうルーイ。
そんなルーイをミーナは支えていました。

ミーナもルーイにはバンコクに来た時から、住むところや仕事のことなど、
いろいろとお世話になった経緯もあり、
あの時があるから今の私がいる。という感じで共依存していました。

『ホント、あんたは金ないよね。日本人なのに』

僕はミーナから会うたびにこう言われてました(笑)
ただある種の信頼を得ていたのか、日本語を教えたり、財テクの相談されたりしていました。
女性店主からも、ミーナがあんたを探してたよ。と言われるようになり、
ミーナは僕を見つけるなり、『待ってたよー!ちょっと教えてー!』と
慕ってくるようになりました。

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トラブル

そんな屋台に顔を出し始めてから数年。
ある日、ルーイがテーブルに突っ伏して泣いていました。
その周りには彼女を心配する仲間たちが、落ち着いてとなだめていました。
ただならぬその空気に、僕は近づくのをためらっていました。

『ミーナが病院に搬送されたんだとよ』

女性店主が僕に説明してくれました。
ルーイとミーナは同じアパートに2人で暮らしていました。
ある日ルーイが帰ると、シャワー室で手首から血を流しているミーナを発見。
すぐに病院に運ばれ、ミーナは一命を取り留めました。
意識は回復しているものの、ルーイはショックからか人目をはばからず泣いていました。

原因は、とある動画がネットに流出したこと。
欧州系の客を取り、口車とお金に乗せられ、撮影を許可してしまいました。
その動画が有名なネットサイトに挙がってしまったとのことでした。

それからルーイは大変だったそうで、
ミーナがいないから部屋はぐちゃぐちゃ、外にはでない。
周りの仲間たちが支えてあげている状況でした。
中には、アイツいつまでもクヨクヨしてうざい。と離れていく仲間もいました。

しばらくするとミーナは無事退院して屋台にも顔を出すようになりました。
手首はうまく切れていたのか、傷跡はほとんどわからず、
商売には支障がないわ。と笑っていました。

人生の交差点

『私が馬鹿だったよ。目の前のお金に目がくらんじゃった』
ミーナがレオを飲み干しながら言う。

『でもさ、貧しい村出身の私たちにはこれしかないから。日本人のあんたにはわかんないよ』
僕は何もできない虚しさと理解していたつもりの恥ずかしさに、その場を立ち去りたくなった。
それから僕は、自然とその屋台から距離を置いた。

しばらくたって顔を出すと、女性店主は変わらず迎え入れてくれました。
バンコクでは露店営業が厳しくなったこと、変わらず元気なこと。

そしてルーイとミーナ。
彼女らは、もうバンコクにいないらしい。
田舎に帰ったとか、外国人の彼氏を作って海外にいるとか、
いろいろ情報はあるけど真実はわからない。

『人生いろいろだから』
女性店主の言葉が、僕の胸に突き刺さった。

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