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「日常の交差点」にて

 「ジューッ」。18時になり、オレンジの光が差し込む焼肉店の個室を、最初の肉を焼く音が包み込んだ。大学を卒業後、こうして2〜3ヶ月に1度、同じ学科を卒業した野郎3人で”肉会”を開催している。今回で10を数える”肉会”だが、学生時代はこの3人で集まることは皆無で、今更初めて知ることも多い。僕が居なかった9ヶ月を除き一度も休まず、定期的に其々のモラトリアムのその後を報告しあっては、恒久普遍に見える日常とかいうものの中身を覗き、目まぐるしく変化し続ける現実を確認し、またそれぞれの日常に帰っていく。
 「お前は院に来るもんだと思ってたよ」と恵太が言った。大学4年の冬、僕は落ちると分っていた大学院内部進学の面接を受けていた。成績は上位1割におり、まして今いるゼミの持ち上がりなのだから受かると思っていた。「来年から先生、院のゼミ持たないんだって」と聞かされたのは、賑やかな学園祭が終わり、学内の道でこんもりと溜まった黄色や茶色の葉が季節の変化を告げた頃だった。焼ける肉を見ながらジョッキを煽った治が「でもよくリカバリーしたよな」と続いた。結局、12月から1月の間に7社の内定を獲得し、繁忙期のバイト、卒論、夏に発足させたサークルの舵取りをこなし、数本の白髪をこさえて商社の営業マンとして4月を迎えた。
 恵太の今の表情からして、仮に進学していても、苦労はあったのだろうと痛感する。彼は責任感が強く、僕に言わせればバカ真面目だ。自分の”病理”に向き合い、大学院で研究をし、1度の転職を経て現在は児童相談所に勤務している。口癖は「これは私の”病理”が問題なので」だ。守秘義務を抱える仕事の悩みを根掘り葉掘り聞き出すことはできないが、過剰に見える。いや、これくらいでないと務まらない職業なのだろうか。ちなみに”肉会”に”病理”という流行語をもたらしたのも、恵太のこの口癖だ。
 いささか場も温まってからも大学時代の話が続いたが、いよいよ締めの冷麺が到着した頃、治が「海外ではいい子いなかったの」と僕を茶化した。商社に勤めて1年が過ぎた頃、夢だった海外生活に思いを馳せていた。併せて、目標に到達しながらも1日の内、平均して14時間を仕事に費やす生活に、本当にこのまま人生を仕事に注ぎ込んでいいのかと、ありきたりな悩みを抱えていた。「僕、やめます」と支店長に話したのは、所属していた事業所に新卒が2名入ることを知った頃だった。ビザの取得や諸々の契約の解除、業務引継ぎ、有休消化。あっという間に夏が来て、僕は冬の南半球へ旅立った。そこでの生活は刺激的だった。大学2年の時に受けたTOEICは360点だった僕が、語学学校で最もレベルの高いクラスを卒業し、英語で接客までしてしまうのだから人生というのはわからない。人種の異なる若者と6人のシェアルームに住み、イベントチームに所属した。蓋を開ければ、結局コロナ禍で「goodbye」も言えずお別れした友人も多いが、SNSを通せば全大陸に友人がいる僕が出来上がっていた。ニヤリと笑いながら冷麺を啜る僕に、治は「金髪美女か」と捲し立てた。
 治は恵太とは正反対で、容量を抑えて生きている。のらりくらりと流れに乗って就活を終え、僕が「仕事やめる」と宣言してから「仕事やめた」と報告する間に、彼はその両方を済ませた。その後しばらくは貯金を崩し、ニート生活をしていた。「小学生の下校時刻に目覚めると、流石に世間に取り残されてるって感じるよなぁ」という呟きに、僕は「これがニートの世界か」と感心しつつ、「お前はどうせ大丈夫だろ」と口にした。恵太も「うまくやるだろどうせ」と被せた。事実、現在IT業界の一員となった彼は、3人の中で唯一のテレワーク労働者としての地位を確立している。
 デザートが来るまで焦らした僕は「いるよ、気になってる人」と元々聞かれれば答えるつもりだった白状をした。店を出て駅まで歩いていると「ビーッ」と恵太のスマホがなった。緊張した面持ちで画面を見ながら彼は「実は今、作家の卵で」と話した。聞けば、専門家としての知見を活かし書いてみた児童文学がナンタラ賞を獲り、今は担当編集者とデビューを目指しているらしい。帰りの電車に乗ると、隣に座る治の左手で輝くものに気付いた。「結婚するのか」。「うん」。アプリで出会った彼女との将来に、恵太は「心配」と口を挟んだが、電車が目指す駅に着く頃には、治が論破してみせていた。
 日常。パッと見、だれもが変わらない今日を生きているように見えて、その中身を覗くとそこには滞りなく変化が脈打ちながら、だれもが其々の人生を生きている。僕たちはまた、2ヶ月後にこの”肉会”に集う。弛まぬ変化の中でもがき続け、それでも今この時を噛み締めて生き、日常の一部であることを辞めないように。「じゃあまたな」。3人の言葉に、小田急線の通過音が句点を添えた。

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