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#16 水のない海(2021)紹介

2021年創作第三弾です。
(原稿用紙32枚、10700字)

第三十二回文学フリマ東京で発行する同人誌『不確かな愛のかたち』、最後の収録作になります。

短編小説らしい短編小説をちゃんと目指して書いた作品になります。最近このスケールの作品を書く機会が多いのですが、どうにも『長編小説の縮尺版』にしかなっていないという気がしていて、なので、短い作品ならではの魅力ってなんだろう?ということを考えて書きました。

新宿にある日、大きな『穴』が突然あく。その『穴』は、まるで僕のこころの『穴』みたいに思えて――。という話です。

自分なりに新しい挑戦をして書いた作品だったのですが、それがうまくいっているといいなあと思います。

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1:2018/04/28 17:57

 どういう経緯で、コウイチと映画を観に行くことになったのだったろう? 映画が終わり、彼とスターバックスで感想会をしていたとき、数ある映画から俺たちがそれを見に行った『理由』は明らかになった。
「僕はね、ゲイなんですよ」
 コウイチはホットラテを口に運びながら、なんでもないことのように言った。
 見に行った映画は、『君の名前で僕を呼んで』だった。
 俺は、黙ってしまう。その沈黙をどう解釈したのか、彼は話し続けた。
「別に、誰彼構わずカムアウトするわけではないんですけど……。ただ、親しくなりたいと思った人には、知っていて欲しいって思ってて」
 彼は、生きることに誠実であろうとしているように見えた。誠実。久しぶりに聞いた言葉だ。女性はよく、「誠実な人がいい」だなんてことを言うけれど、ゲイの間でそういう話をほとんど聞かないのは、『ゲイとして誠実に生きる』ことの困難さを、皆が実感しているからなのだろうと思う。誠実なゲイだなんて、言葉ごと存在が矛盾している。
 だって俺たちは、嘘をつくことに慣れすぎている。「彼女いる?」「結婚しないの?」「あの子かわいくね?」そんななんでもない会話を、仮面を被ってやり過ごすたび、俺たちの顔に嘘がへばりついていく。
 だから、もうどっぷり嘘に浸かってしまった俺は、とっさに彼のカミングアウトに応じることができなかった。「俺もそうだよ」、そう一言いうだけで良かったのに。
 そもそもコウイチとは、読書会で知り合った。国籍問わず海外文学を取り扱う、ツイッターで人員を募集している読書会だった。俺の初参加の回の課題図書は、ヴィクトル・ペレーヴィンの『宇宙飛行士 オモン・ラー』。なんとか会で恥をかかないようにと、三回通してその本を読んで臨んだ俺だったが、会の雰囲気は俺が想像していたよりも砕けていて、俺は気軽に、そして快くその会で過ごすことができた。コウイチは、そんな会の中でも真剣に議論に臨んでいる人たち――通称『ガチ勢』の一人で、会が終わった後、場にまだ溶け込めてないでいる俺に話しかけてくれたのだった。
 第二回のハン・ガン『菜食主義者』、第三回トム・ジョーンズ『コールド・スナップ』、と回をこなすうち、俺自身にも読書会に『真剣』に取り組む気持ちが生じてきた。俺はその時、コウイチのことを強く意識していたように思う。コウイチよりも深い読みがしたい。コウイチよりも鋭い指摘がしたい。実際に張り合えていたかはわからなかったが、それが俺のモチベーションの一つだった。コウイチはそんな挑戦心剥き出しの俺に対し、のらりくらり……よく言えばひらひらと、その刃をかわしていた。
 だからコウイチにカミングアウトされたとき、俺は、なんだかちょっとだけ上位に立てた気持ちになれたのだと思う。それをみすみす同列に下げたくなくて、自分のことが言い出せなかった。
 俺は、そんな人間だった。
「なあ、『穴』を見に行かないか?」
 だから話を逸らして、ちょうど良い手ごろな話題にすがりつくみたいな感じで、俺はその話を切り出した。
「ああ……」
 コウイチはそれを聞き、意外なことにあまり乗り気ではないようだった。この新宿で、今一番ホットな話題なのに。
『新宿に突如大きな陥没 けが人なし』
 そんな文字が新聞の一面を飾ったのは、一昨日のことだ。その題の通り、新宿の大通りの端、ちょうど二丁目との境のあたりに、突如大きな『穴』があいた。ときおり事件になるような、地面の陥没事故だ。しかし、随分規模は大きいようだった。この新宿で、怪我人がいなかったのは奇跡に近い。今のところ陥没の原因はわからないらしいが、他に穴があく恐れもないとのこと。原因がわからないのになぜそう言い切れるのか、と、ネット上は騒ぎになっており、新宿付近はしばらくのあいだ危険だという意見もあるが、俺はいつものように新宿に遊びに来てしまっている。

(続きは同人誌でお楽しみください)

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