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#9 Please make me gay.(2017)紹介

2021年5月16日に『第三十二回文学フリマ東京』で発行する同人誌『不確かな愛のかたち』収録作です。
(原稿用紙184枚、63560字)

自身がゲイなのかそうでないのか、それを悩む少年を通して、『同性愛者』とはどういう状態の人間を指すのか、そして『セクシャリティのカテゴライズ』、そこからこぼれ落ちる人について考えた小説です。

タイトルを思いついた段階で「これはイケる!」と思ったのですが……。
作品の冒頭をお楽しみいただけます。

――――――――――

 簡単に変えられないものと言えば、まず名前だ。年に一度、クラス替えの度に、僕は自分の『渡辺朗』という平凡な、しかしそのせいである宿命を負うことになる名前を恨む。それが、新しい高校生活の幕開けに関わるとなれば尚更だ。
 今、鈴木というこれまた平凡な苗字の生徒が自己紹介を終え、緊張から解き放たれて安堵の表情を浮かべている。自己紹介の時間が始まってもう三十分は経っている。そして鈴木くんとやらが座っているのは教室のちょうど中心。自分が座っているのは、廊下側の一番後ろの席だ。単純計算で、あと三十分は時間はまわって来ないだろう。そしてクラスからは既に、最初の頃の初々しさ、これから共に時を過ごす人間に抱いていた好奇心はほぼ喪われ、「ああ、早く終わらないかなあ」、という空気が漂い出している。自分の番がまわって来たとき、自分は、「やっと来た最後のヤツ」という印象しか抱いてもらえないことだろう。ああ、自分があの窓際一番前に座る「安藤」くんだったら。彼の名前は「あ」から始まるというそれだけの理由でクラス全員にしっかりと覚えられ、中学ではサッカーをやっていたけれどずっと補欠だったこと、でも高校でもサッカー部に入るつもりだということまで思い出せる。だけれど、もう「鈴木」くんがどんな趣味を持っていたか、朧げにしか思い出せない。洋楽が趣味と言っていたのは、その前の生徒だったっけ?
 代わり映えのしない自己紹介が続いている。高校一年生の世界なんて狭いものだ。ましてや進学校のこの学校では、飛び抜けた個性の持ち主はそういないだろう。密かに期待していた巷で問題になっている珍名も、今の所いないようだった。偏差値に反比例して多くなるという説は、どうやら本当らしい。
 段々と自分の順番が近づいてくる。自分自身、早く終わらないかなあと思ってしまう。それと同時に緊張もする。誰も聞いてないとわかっていても、この緊張は毎年だった。どうせ誰も聞いていない、と虚しい自己暗示をかけることで緊張を追い払おうとしたけれど、それでもやはり心臓が高鳴るのは止められない。高校では部活に入るつもりもなかった。この学校は進学校だが比較的部活にも力を入れている学校だ。生徒たちは自然と部活でグループを作るだろう。帰宅部の自分がはぐれないためには、やはり最初の掴みが重要だった。
 僕の前の生徒が立ち上がった。さっきまで少しだけ話をしたから名前は知っている。ヤナイという名前だ。他のことは余り教えてくれなかった。何を言うのだろう。
「箭内紡(やないつむぐ)です、東京の江東区から来ました。ゲイです。よろしくお願いします」
 箭内は、それだけ言うとさっさと席についてしまった。教室の弛緩していた空気が一気に張り詰めたのが感じられた。僕は呆気に取られ彼の後ろ姿、短く切った髪のつむじのあたりを見つめた。光の加減で銀色が入っているようにも見える。彼の頭が少し下がって、頬杖をついたのだとわかった。それを合図に、担任教師と自分は同時に我に返った。
「あ、ああ、じゃあ、次のやつ、自己紹介——」
 僕は慌てて立ち上がった。混乱する頭の中、なんとか用意していた言葉、名前と出身校、趣味なんかを言ったけれど、本当に、間違いなく誰も僕の自己紹介なんて聞いていなかった。教室じゅうの誰もが箭内を見つめていた。担任までもだ。僕の自己紹介は、本当に無意味な時間になってしまった。僕が自己紹介を終えて席についても、まだ皆が衝撃の中にいて、退屈な時間がようやく終わったことに気づいていなかった。そのとき、まるで諮ったようにチャイムが鳴って、僕たちは呪縛から解放された。
 休み時間になり箭内が立ち上がって教室を出て行くと、全員が待ってましたとばかりに彼について会話を繰り広げた。僕たちは出会ったばかりなのに、びっくりするくらい連帯していた。
 なあ、あれ、マジかな? いや、冗談だろ。あんな冗談言ってどうすんだよ。いやそりゃあ、ウケ狙いだよ。だけどだったらすぐに釈明しないと意味ねえだろ。マジだって。うっへ、男子校だからいるかもって思ってたけどいきなり自分から言うとか無いわー。本物見たの初めてなんだけど。どうすんだよこれから、俺イヤだよホモと一緒とか。黙っててくれりゃあいいのに、なんで自分から言いだすんだよ。訳わかんねえ。どう接したらいいのかわかんねえよ。いや、普通に無視でしょ。話しかけたら何されるかわかんねえし。俺までホモ扱いされそうじゃん。
 俺の左の席に座っていた土井昇(どいのぼる)くんが、俺に話しかけてきた。
「どう思う?」
 箭内くんが余り話に乗り気でなかったので、俺は隣の土井くんと話してホームルームまでの時間を潰していたのだ。土井くんは野球部に入るらしく(坊主頭で大きな体をしていた)、多分今後友人関係が深まる可能性は低いと思った。だけれど今自分たちには、大きな課題が突きつけられているのだ。
「どう思うって……多分、本当なんだと思う。だって埼玉の学校にわざわざ——」
 そこまで言ったところで、箭内くんが教室に戻ってきた。一瞬教室に緊張が走ったけれど、すぐに雑然とした、新入生特有の空気を取り戻した。
 その後は教科書の配布があった。前の席から箭内くんが自分に教科書を回す度、まじまじと彼を見つめてしまう。彼は整った顔をしていた。切れ長の目と、綺麗な形をした鼻、薄い唇。日本人らしい顔つきと言えばいいだろうか。多分、女の子にモテるだろうと思った。中学で告白されたりもしたんだろうか。勿体無いなあ、と思った。自分がこの顔だったら、中学でずっと一人なんてこともなかっただろう。
 言いかけた自分の言葉を思い出す。彼がわざわざ東京の江東区から埼玉の進学校に進んだのは、多分いじめか何かにあったからではないだろうか? だから地元の学校、同級生が進学する学校には進学したくなかった。そう言おうとした。しかし僕は矛盾に気づいた。それだと一つ疑問が残る。なぜ彼はわざわざ自分からカミングアウトしたのだろう? 誰も知らない学校に来たのだから、黙っていれば良かったのではないか? 自分から言いだしたら、またいじめに遭うかもしれないのに。
 机の上に教科書が積み重なっていく。その度に彼の顔を見て、僕はますます訳が分からなくなる。

(続きは同人誌でお楽しみください)

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