最近の記事

右手の発見

 生後三ヶ月くらいの、布団に横になっている息子の様子を撮影した写真がある。首は据わっているが、一人で座ることもできないくらい。それが、自分の右手をじっと見つめている。  これ、(たぶん)自分の右手を発見した瞬間だ。  ちなみに、程なく同じようにして左手も発見している。右手を持ち上げ、左手も同様に持ち上げて、左手をじっと見つめている写真がある。右手を発見したら、当然左手も発見するわな。いつだって自分にくっついてるし。  赤ん坊が自分の右手や左手を発見する瞬間がある、というのは

    • 大事なことはぜーんぶマンガに教わった

       我が家の本棚に『大事なことはみーんな猫に教わった』という本がある。なかなか魅力的なタイトルだが、読んだことはない。妻が持っていた本で、私の本と一緒に並んでいるだけのこと。  妻と私とは読書傾向が見事に異なる。私は小説やら歴史やら哲学やらを好むのに対して、妻は何か雑学的なものが圧倒的に多い。みうらじゅんとか沢木耕太郎とかサライ別冊とか、その都度自身が面白そうと思った本を購入し、そこに連続性はほとんど感じられない。おかげで20数年前に結婚したときは一冊もかぶりがなかった。その後

      • 「地球にやさしい」ではなくて、「人にやさしい」だろ

         「地球にやさしい」という言い方がいつ頃から喧伝されるようになったのかと調べてみたら、やっぱりWikipediaにたどり着いた。どうやら2000年頃かららしいので、まだたかだか20年ぐらいのものだが、それにしては定着している。私はこの言い回しが最初から嫌いだった(初めて他者に表明するが)。  といっても、環境問題について論じたい訳ではない。当方素人だし、特に興味もない一市民だ。乗ってるクルマはハイブリッドだし、ゴミの分別もまあまあやるが、フードマイレージは特に意識しないレベル

        • 「根っからのポジティブ」

           名前をぼやかしてもきっとわかる人にはわかってしまうので先に言ってしまうが、スポーツライターの生島淳氏(プロフィールを確認したら、同い年だということがわかった…)がNumberWebにラグビーに関する座談会の様子を寄稿していた。その中で、生島氏は日本のラグビーファンを大きく三つに分類している。  第一世代は1980年代のラグビーブームを中心にした世代、第二世代は2015年のラグビーワールドカップ以降の世代、そして第三世代は2019年のラグビーワールドカップでファンになった世代

        右手の発見

          「論理国語」と「文学国語」

           その昔、小説家になりたい、という恥ずかしい過去を持っている。いわゆる中二病。なぜ恥ずかしいかというと、恥ずかしいものを書いていたから。結婚する前のことだが、妻にはとっくにばれている。  私が絵を描くのがむちゃくちゃうまかったら、漫画家になりたかったかもしれない。だって、マンガの方が面白いもの。でも、絵は下手というほどではないけれど、うまくはない。絵がうまくなくたって面白いマンガは描ける、というのは『進撃の巨人』が証明してしまったので、漫画家にならなかった理由が「絵がうまく

          「論理国語」と「文学国語」

          記憶力

           「カニじゃないス、エビすー!」  この台詞だけを見て何のことかわかった人は、相当な小林まこと通である。いや、何を隠そう我が妻はこれだけでどんな場面か前後の台詞まで含めてわかる。別段小林まこと通ではないのだが。  この台詞、小林まことの名作マンガ『1・2の三四郎』のある場面で登場する。主人公達が高校柔道の市民大会に出場するにあたって、柔道軽量級でインターハイ優勝の実力を持つ参豪くんから本格的な指導を受ける。最初に柔道の基礎訓練である「エビ」「逆エビ」の説明を受け、主人公達

          教育を原体験で語るな

          「教育を原体験で語るな」  この言葉は、とある大学の先生のお言葉。私が教科書編集者として駆け出しの頃に大変お世話になった先生で、日本の教育行政のかなり中心に近い所にいる先生だ。その先生が、何かにつけておっしゃっていた言葉、である。  教科書の編集をやっていた頃は、学校の先生と話す機会もそれなりにあった。たいていは既知の先生からの紹介だったり、営業が連れてきた先生だったりするので、みな一様に優秀な先生である。優秀だからといって素晴らしい原稿を書けるかというとそうでもないのだ

          教育を原体験で語るな