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なんて素敵なドレスだったの

今ではめずらしくないが、七五三のときにドレスアップしてスタジオで記念撮影をする、という文化は、私が小学生になったころに出現した。

少なくとも、私がこのならわしを知ったのは小学2年生の時であった。
休日に遊びにいった友達のおうちに、該当の写真が飾られていたのだ。

白いベンチの真ん中に座っている同級生は、アイドルみたいなフリフリでピンクのドレスを着て、2つにわけた髪もきゅるるんっとカールし、手にはレースの手袋をつけていた。
とんでもなく、かわいかった。

この子は特別に美人だったわけでもないのだが、最後の七五三をむかえた7歳児を、もう最大にかわいらしく着飾ろう、演出しよう、引き立てよう!
そんな大人たちの決意と想いがにじんできそうな一枚が、すっごくすごく特別に思えた。

はにかんだ口元も、それでいて自信を感じさせる目線も、リボンがたくさんついたボリューミーな衣装も、それまでの私の「写真」の概念を軽々とび越えるくらい、本当に素敵だったのだ。

わぁ~なんてすばらしいんだろう。
こんな写真を撮ってくれる場所があるのか。いいなぁ~。

ものすごく憧れて、心から羨ましかったが、自分もこんな写真が撮ってみたいと、私は誰にも告げなかった。
ダメだと言われそうだと思ったわけではない。

こんなに素敵でかわいいドレスは、きっと自分なんかに似合わない。
不格好な撮影を、ひとにみられることが恥ずかしい。

そんな、遠慮と卑屈さから、ドレスへの憧れを言葉にすることが、できなかったのだ。

自分がどう思うかよりも、人にどう思われるかが大事だった

私の母は美人だ。
大きな瞳の印象が強く、毅然とした顔つきをしている。
私は母に似ていると言われることが多い反面、その劣化版として扱われることも多々あり、物心つくころには、自分の顔立ちにぼんやり負い目があった。

そして、「服装とルックスの不一致をバカにされる人」の話をきくことが、なんでかめちゃくちゃ苦手だった。

「かわいいピンクのセーターだけど、あの人には似合わないわね」
「女優でもないのに、大げさな帽子かぶっちゃってバカみたい」
「あんな短いスカート、痩せてから着ればいいのに」

テレビや大人たちのヒソヒソ話から漏れ聞く、このような表現が、私の背中に太めの蛇でも這わせたように、気持ちのわるい落ち着かなさを連れてきた。
うう…と、ぬめぬめする不快さにもだえながら、心もシクシク痛むのだ。

決して自分に向けられた評価ではないものの、苦しくて息がつかえる。
着るものひとつで、誰かに笑われつまはじきにされる存在を思う。
その人が颯爽と得意顔で歩いていたりするシーンが浮かぶともうダメで、いたたまれなさでたまらなくなってしまう。

『他人が何を着ても自由だろ、そんなこと言ってる人間こそ品がないのだから、放っておけばいい。』

その正しさも胸にあるのに、どうにもこうにも、似合っていないと感じるファッションへの容赦ない批判が、私を恐怖で萎縮させた。

なので、ながいこと私が服を選ぶ基準は「誰にも笑われたりしないように、年相応で奇抜でなく、周囲から浮くことがないもの」だった。

かっこいいな、可愛いなと感じる服が売っていても、これを私が着たら変じゃないだろうか、服に負けていると後ろ指をさされないだろうか、がいつも気になった。
自意識過剰だとわかっていても、やっぱり気になったのだ。

特に「年相応でない」と思われることが強いプレッシャーだったので、女性らしさを強調する華奢で繊細なデザインの服や、華やかな色味のアイテムへのハードルは高く、素敵だなとおもいつつも、手に取ることはほとんどなかった。

あきらめ続けた、過去の私がささやいた

小2で七五三のキッズドレスをあきらめてから、私はおなじことを繰り返していた。

キラキラビーズがついたキュートなリュック
流行真っただ中だったルーズソックス
おへそや肩を出したトップスに水着

あら素敵!と思っても、いやいや、私にはちょっとね…と、別世界の品物を眺める気持ちがずっとあった。

他の人が着ていても、自分はなんとも思わないのだが、顔のないコソコソ話に登場したくない拒否感が、謎めくほどに高かった。

ウエディングドレスにいたっては、このAラインのプリンセスデザインは、20代前半の若い花嫁のために作られたはずだ、私などが着たらデザイナーに申し訳ないな、なんて、どこの国の人かも知らないアーティストにまでいきすぎた配慮を考えていたのだ。

有名なウエディング雑誌でも、「35歳からのドレスはこれ!」などの特集がよく組まれているので、案外に年相応じゃない服を着ていると思われるのがしんどい人間は存在するのかもしれない。

年齢は自動で上がっていくので、NGクローゼットは年々バリエーション豊かになる。
50歳くらいになるころには、いったい何を着たらいいのだろう。。。

そんなことを考えていたとき、実家の引き出しの中になつかしいものをみつける。
高校時代にはやりにはやった、プリクラ帳だ。

無印良品のぶあつい写真アルバムに、ぎつぎつに敷き詰められたシールたち。
どれも大して変わらない顔なのに、これは目が大きくみえるとか、これは肩が細く写ったとか、ミリ単位で一喜一憂した、青春の記憶だった。

こそばゆくて楽しい気持ちで、パラパラページをめくっていく。
すると、1枚のシールに目がとまる。
私服通学だったのに、そこにいる私は紺色のセーラー服を着ているのだ。

10年以上まったく脳内をよぎらなかった映像たちが、ファイルからこぼれおちる書類のように、バササと鮮明によみがえる。

この日はテスト期間で部活が休みだったはずだ。
普段は放課後に遊べない部員同士で、新宿の大きなゲームセンターでプリクラを撮った。
無料で衣装をかしだすサービスが人気だったその店で、おそろいのセーラー服を着てみようと盛り上がった。

私は着たくなかった。
いかにも女子高生の象徴であるそのフォルムが、自分に似合うはずはないので恥ずかしかったのだ。
しかし非日常感にテンションが上がりきった仲間たちの手前強く嫌がれず、仕方なく着て端っこに写った。
なるべく友人のかげにセーラー服が隠れるように。

当時の私的には黒歴史になる予感しかない1枚だったので、プリクラ帳のはじっこに申し訳なさそうに貼られている。
そして15年ぶりにその写真に対面した、30代の私は思うのだった。

なにこれ。すっっごく、素敵じゃない?

ドレスはずっと着ていたのかも

2センチ×1センチ程度の、小さなプリクラを凝視する。
同級生の影になっている部分が惜しい。
隠れてしまっている胸のリボンのたゆみ具合も、スカートから出ているだろう膝のカタチも、全身くまなく眺めたいのに、そんなアングルのショットはない。

32歳の私は、まいっていた。
「高校生って、なんてつややかで可愛いんだろう。」

自分だけでなく、モテた友人もそうでなかった友人も、とにかくみんな可愛くて、何を着ていても似合いすぎてまぶしかった。

当時の私がけっして袖を通すことのなかった、オフショルダーのふわふわニットもななめにかしいだベレー帽も、愛想のないジーンズだって、若くキラキラとしたエネルギー体がまとっていると、なんの差もなく素晴らしかった。

これは私が、年をとったということだ。
アイドルの見分けがつかなくなるように、若ければそれだけで、似合わないものなんてない、みんな可愛くて素敵なのよ、とオバちゃん脳になったのだろう。

不思議なもので、あんなに居心地の悪かったはずのセーラー服の写真を、もっと見たいと望んでいる。もっと撮っておけばよかったと後悔している。
あの頃の私に助言ができるなら、水着だってミニスカートだって、なんだって、気にせず着なさいと強くいいたい。

年の近い人間に囲まれていると気付かないが、「若さ」とは、ただそれだけで、ドレスのような価値がある

視線をうばうあの存在感
洗礼されたデザイン美
花のかおりさえ届いてきそうな気品と優雅

「年を重ねた未来の自分」からみる「今より若い過去の自分」は、そんなドレスに包まれている。

自意識や臆病に怯えてすごしていた時間の、なんと勿体ないことだったのだろう。

人生で一番痩せていたハタチのころ、もっと細い人がたくさんいるからと、ノースリーブをためらった。
着たかったなら、着ればよかったのだ。
痛切に。

30代ももうすぐ半ばだし、足の出る服や淡い色味のアイテムはもう卒業だろうな、なんて思っていた。

いったいなんの為の引き算だったのだろう。
今日の私は、残りの私の人生の中で最も若い。

そして「もう32歳だから…産後太ったから…」と人目を気にした選択をするこの姿を、20年後の私がみたら、怒られてしまうにちがいない。

「なにいってんの!まだまだ若い!無敵に若いわよ!!なんでも着て、好きなだけそのドレスを楽しみなさいよ~!!」

スタジオ写真に憧れて、セーラー服をひっそり着ていた、かつての私にはみえなかった立派なドレスが、今の私にはクッキリみえる。

同じように、遠い未来の私が、この瞬間にも私が着こんでいるだろう明るいドレスを、ほめたたえる日がくるはずだ。

今度こそ、後悔ではなく、誇りに満ちていってみたい。

『あ~30代のぴっちぴちな時期を、あますことなく活用してやったわ~!
いいぞいいぞ、過去の私!
なにも気にせず、好きなものを着て、好きなことをする!
それが「若さ」の最高のつかいみちよ~~!!よくやったわ~!

もうほんと、なんて素敵なドレスだったの!!』

春になったら、とびきりファンシーな色のスカーフが欲しい。
絶対似合うよ!!と未来のオバサンが力強いエールをくれる。
痛む関節なんかをさすりながらも、快活な笑い方で。きっと!

記:瀧波 和賀

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