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ただひとり、私が「選んだ家族」な"あなた"

「夫婦はしょせん他人」という言い回しがキライだ。

戦前から長く受け継がれているこの言葉には、はっきりと「血縁至上主義」がにじんでいて、人々の潜在意識に「血のつながらない者同士は本当の家族にはなれない、どこまでいっても他人のままなのだ」という配偶者への否定を強烈に刷り込んでいる。

「夫婦はしょせん他人」
私はこの言葉がポジティブな意味で使われている場面を、実生活で見たことがない。

育ってきた環境がちがうので、味覚や生活習慣など、日常生活を頻度高く構成する要素は相いれないことが多い。だから嫌悪しつつも我慢しなさい。
であるとか、

血のつながった親や子とはちがい、紙切れ一枚で他人に戻れる夫婦関係は、血縁の持つ強固なつながりには勝てないよ、案外薄情なものだよ。
のような意味合いで見聞してきた。

ドラマなどフィクションの中には、「元は他人なのだから、当たり前と思わずによく話をして、価値観をすり合わせつつ、感謝して生活しよう」の意味合いで出現することがあるのだが、

親、親戚、友人、同僚といった、私の周囲の実在する人物たちは、みな一様に眉間にシワを寄せ、時には悪態も織り交ぜながら、「夫婦はしょせん他人よ」と口にした。

そこには、失望と憎しみと憤怒と諦めが生々しくゴージャスにトッピングされていて、とても食欲はわかない代物に仕上がっている。

「海賊と呼ばれた男」に感じた違和感

百田尚樹のこの大ヒットタイトルを読んだのは、切迫早産で入院中のベッドの上だった。

物語の主軸は1代で石油系大会社を築いた男性の、若年から晩年までの仕事の仕方や生き方で、有能な経営者であるという以上に、豪傑で快活な人格者として、主人公は描写される。

ストーリーは面白いのだが、私は主人公の「家族感」に引っかかりを強く感じた。

主人公は作中で何度も、「店員(社員のこと)は家族だ」と公言するし、実際にリストラを行わず、時には資金援助もしたりと、かなりウェットな距離感を一貫している。
特に目をかけていた何人かの若手社員に対しては、息子のように思っているとの表現もある。

しかし、主人公は後任の社長を選出する際、「血のつながった息子」にめちゃくちゃこだわる。
なんなら今まで経営にノータッチで、戦後の厳しい時代を支えたわけでもない息子に、ひょいッと跡を継がせる。
しかもこの息子、極貧時代を支えた妻に子どもができなかったので、離縁・再婚してまで設けた男の子である。

私はこの感覚に、さめざめと引いてしまった。

え、社員は家族じゃなかったの?
右腕っぽい優秀な若手、何人かいたよね?
なんだかんだ言って、実際には血縁関係に固執しまくるじゃん…うわーー。と思ってしまった。

「家族のよう」「息子のよう」とは言いつつも、実際の息子とは明確な区別があったことに、少なくない嫌悪を感じた。
初めの妻も、血縁がないからこそ、長年尽くされながら離縁を決めることができたのだろうか。

血の濃度よりも、大事な指標

血縁関係の有無は、もちろん重要な要素だ。
生物として近い遺伝子を持っていることや、血を分けた関係であることは、
他人には持ちにくいタイプの愛着と防衛心を掻き立てるのだろう。
戸籍や相続の問題もある。

ただ、やはり「血のつながり」こそが至上で、「家族」の構築において、最も重大な要素だとは、私は思えない。

そんな偶発的で不可逆なモノよりも、自身の人生を注ぎ込んだ「選択」によって結ばれた関係のほうが、強固なものに思えてやまないのだ。

子は親を選べないし、また親も子を選べない。
一度血縁が結ばれてしまえば、どこまで逃げても取り消すことはできない。
それが「血のつながった家族」だ。

だが配偶者だけはちがう。
唯一、自分の意志で選び取ることのできる「家族」だ。
そう、「運命」が決めるのではなく、私が「選ぶ」のだ。

結婚は、自分の大事なものよりも、相手の大事なものを尊ぶ約束

私たちにプロポーズは特になかった。
まるでカラオケに誘うかのような、軽快なノリで放たれた「結婚しちゃおっか♪」がそうでなければ。

トントン進んだ結婚話が「正しかった」と確信したのは、結婚指輪を買いに行った銀座のお店。
2つの候補で迷う私に「こっちにしよう」と示した彼は「手をつないでるようなデザインじゃない?年を取っても、手をつないで歩く夫婦になれるかもよ」と言った。
この時とても感動したのだ。

なにもロマンティックだと思った訳ではない。
そもそも私たちは、交際中でも手をつないで歩くカップルではなかった。

ある日彼が寝坊し、待ち合わせに1時間以上遅刻したことがあった。
私はカフェで本を読んでいたのだが、その急遽買った写真家の自伝書に
「長年かけて世界中の美しい風景を撮影したが、最も美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿だった」という一節があり、寝ぐせ全開でやってきた彼に、この言葉が素晴らしかったから、今回の遅刻は見逃してやろう、と告げた。

彼は覚えていたのだ。私が気に入ったこの一節を。

本はマンガしか読まず記憶力も悪い彼が、私の「大事なもの」を尊く扱ってくれた瞬間だった。

「腕を組む」と「手をつなぐ」のニアミスは起きているが、そこはご愛嬌として、そのときも見逃している。

私は「愛」とは「許し」だと思っている。
相手のことを許せなくなったとき、そのカップルは破綻するし、どんなヘマをしでかしても我が子ならば許せることが多いため、母の愛は深いのだろう。

この人の足りないところも拙いところも、生涯、許し続けていこうと思えた日であった。

相手を一言で言い表したい欲

私は相手の人柄や性質から受ける印象を、一言にまとめて自覚しておく行為が好きだ。
正義の人、秩序の人、のびやかな人、鮮やかな人、のような具合である。

自分の中の相手のイメージが言語化されることで、より安心して人間関係が結んでいけるタチなのだ。

だが結婚して4年目になったものの、私は夫の性質をなかなか一言で言い表すことができずにいる。

「旦那さんはどんな人?」と聞かれることが多い分、長い時間考えているのだが、ダラダラ説明することはできても、スッキリ一語に収まらない。

誰よりも長い時間をすごす、誰よりも深く家族な相手だからこそ、知っている情報が多すぎて、ひとつに絞り切れないのかもしれない。

ただ、彼自身の性格ではなく、
私にとっての「彼の位置づけ」ならば、
ぴったりの表現が1つ、ある。


人と人が絶えず交差するこの世界で、
生まれた場所も歩んだ道も、
何もかもがちがうけど

たったひとり、ただひとり、
私が「選んだ家族」な"あなた"は…


「Answer」

私の「答え」に「応えた」人よ。



記:瀧波和賀


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