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NHKプロフェッショナル~君たちはどう生きるか~宮崎駿82年間の生きざま

NHKのプロフェッショナル・仕事の流儀で宮崎駿のドキュメンタリーが放映されました。

最新作「君たちはどう生きるか」今年7月に公開されるや大ヒット。なんと未だに公開が続いています。御年82歳になる宮崎監督のどこにそんなパワーがあるのか。番組は制作過程を追いながら過去まで振り返り、偉大なるも複雑な宮崎駿の人間性に迫っています

NHKのディレクターは取材者としてではなく、宮崎さんの書生になるという約束で撮影を許され。以来20年にも渡り密着してきたのだとか。膨大な取材記録が70分ほどの枠に収められていました。
この番組をもとに、宮崎駿の生き様を考察してみました。

2013年。「風立ちぬ」が公開されます。宮崎駿の遺作とされ、公開後には引退が発表されました。
ところが、引退は撤回されます。
その理由が「作りたいものが見つかったから」

いったい、何を見つけたというのでしょうか。
番組の中で宮崎は告白します。

「少年の頃からずっと内気だった。うじうじして人の目に合わせて生きていた。壮絶な鬱に入って駅のホームに入ってどっちに行っていいのかわからなくなった」

壮絶な鬱との闘い。そして出口がどこにもない。生きる意味を繰り返し問い続けていた宮崎駿。彼は東映動画で高畑のもとに就きます。アニメーターとして監督である高畑の意向を具現化する仕事。

宮崎は言います。「パクさんと出会ったのが大きい」。宮崎は高畑を「パクさん」と親しみを込めて呼んでいました。暗闇にさまよう宮崎にとって高畑勲は、ようやく見つけた光だったのです。

高畑勲という人はどういう人物だったのでしょうか。

作品のためには一切の迎合も妥協もありません。傍若無人。ぐらつくことのない鉄壁のように強い意志と圧倒的に深い教養を兼ね備えていました。

うじうじと人目を気にして生きていた宮崎にとって意思を曲げない高畑の姿はまぶしく輝くものでした。
宮崎は二人の関係をこう証言しています。

「僕はパクさんと夢中で語り明かした。ありとあらゆることを。僕らは作品に満足していなかった。もっと遠くへ。もっと深く誇りを持てる仕事をしたかった。何を創ればいいのか。ぱくさん。僕らは精いっぱいあの時僕らは生きたんだ。」

もっと遠くへもっと深く、誇りの持てる仕事のことを。宮崎は高畑が次々と繰り出す無理難題に全力で答え続けました。高畑といる限り、うじうじと生きる必要はなくなったのです。

ところが蜜月関係はいつまでも続きませんでした。

今や世界にその名をとどろかすプロダクション、スタジオジブリ。それは宮崎や高畑が誇りの持てる仕事を実現するために作った夢の城、のはずでした。

高畑の妥協しない姿勢は諸刃の剣です。スケジュールが遅れようが未完成だろうがお構いなし。名作「火垂るの墓」はなんと未完成のまま上映。公開後になっても制作を続けたという前代未聞の事態にまで陥ったのです。
遺作の「かぐや姫の物語」も案の定遅延に次ぐ遅延。そのことをインタビューで問われるとこう、答えています。

「遅れたら遅れたままです。僕の場合は。全然平気です。作品が完成しなくたって」

映画の公開日はたびたび延期され、それによって製作費は膨れ上がりました
プロデューサーは証言します。「スタッフも資産もズタボロ」

宮崎がヒット作を生み出す。その一方で高畑がスタジオを食いつぶす。ジブリとはそんな構図に支配される場となっていたのです。

宮崎は仕事に対して高いモラル意識を持っています。それだけに高畑の自分以外を考えないやり方が許せません。

宮崎は高畑との関係をこう表現しています。
「僕らは愛憎半ばしてますからね。」

それでも高畑は唯一無二の存在でした。
宮崎が壮絶な鬱との闘いの中で考え続けた「生きる」ということの意味。
そのイメージを高い次元でアニメに昇華する。世界を感動させる宮崎アニメの根幹です。

しかし、そんな宮崎の想いや技術について来られるスタッフは誰もいません。過去のドキュメンタリーではついて来られないスタッフにいら立つ宮崎の姿がたびたび登場します。

若き日の宮崎は高畑の想いを全身全霊をかけて具現化しました。
それにあたるスタッフが宮崎にはいないのです。彼は孤独でした。
結局、宮崎を受け止め、理解する人間は世界でただ一人。高畑勲しかいなかったのです。

憎悪しながらも慕い続けた人。宮崎駿を揺さぶり続け人生を決定づけた存在。パクさんとはいったい何者だったのか。その決着をつけなければならない。

そんな想から作られた映画が「君たちはどう生きるか」でした。

高畑は2018年亡くなります。映画の製作途中でした。
一番見せたい人が亡くなった。宮崎は涙ながらに弔辞で詠んでいます。

「僕らは精いっぱいあの時僕らは生きたんだ。ひざを折らなかったぱくさんの姿勢は僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前にあの雨上がりのバス停の前で声をかけてくれたパクさんを忘れない」

そしてNHKドキュメンタリーは葬儀の後、何か月間も一人で通夜を続ける宮崎の姿を追います。

雷が鳴れば
「パクさんは雷神になった」
タバコを吸うのにライターが見当たらないと
「さては隠したな。返してパクさん」
「パクさん、というといるなという感じはする」

宮崎は自身の創作の秘密をこんな言葉で表現しています。
「脳みそのフタを開けるんだ」
「知的に組み立てるんじゃない。脳みそのふたが開く。ぐにゃぐにゃの中から出てくるもの。
脳が爬虫類の時代から持っている原始的な部分には攻撃性もある。生活するにはコントロールしなけりゃいけない。おかしくならないと蓋が明かない」
「狂気の境界線に立たないと映画は面白くならない」
脳をさらけ出し、狂気に身を任せ、映画の世界に飛び込んで行く。

「映画が首根っこをぐっと掴む。もう逃げることができない。たたり神みたいなもの」
映画というたたり神に身をゆだねる。
屈辱と痛恨の思いが映画を作らせる。

映画の中で主人公の真人は自分のこめかみに石をぶつけ大きな傷をつけます。いったい何のための傷なのか。

「悪意のしるし」と真人は言っています。
それは宮崎が生きる上で背負い続けた重たい十字架。

鬱でもがいていた自分。監督になってからもスタッフを罵倒した自分。息子を上手に愛せなかった自分。幸せを素直に受け取ることができなくなっている自分。高畑を憎むと同時に慕い続ける倒錯した感情。それらをすべて象徴する悪意の自覚としての傷。

高畑は塔に住む大叔父として登場します。

主人公の真人は宮崎駿。大叔父は高畑。映画のクライマックス。大叔父が作り上げた世界の中で大叔父と真人の会話が繰り広げられます。

大叔父 「真人。私の仕事を継いでくれぬか」
真人  「僕が」
大叔父 「この世界が美しい世界になるか、醜い世界になるかはすべて君に 
    かかるんだ。
    はるかに遠い時と場所を旅して見つけてきたものたちだ。
    全部で13個ある。三日にひとつずつ積みなさい。
    君の塔を築くのだ。悪意から自由な王国を。
    豊かで平和な美しい世界を作り給え。」
真人  「この傷は自分でつけました。僕の悪意のしるしです。
    僕はその石には触れません。
    奈津子母さんと自分の世界に戻ります。」
大叔父 「殺し合い、奪い合う。愚かな世界に戻るというのかね。
    じきに火の海となる世界だ。」
真人  「友達を見つけます。ヒミやキリコさんやアオサギのような」
大叔父 「友達を作るのも良い。戻るのも良い。
    とにかくこの石を積むのだ。時間がない。
    私の塔はもはや支えきれぬ。」

宮崎は実際に二つの世界にいたのかもしれません。高畑と二人。地獄のような苦しみからものを作り出す世界。もう一つは、アオサギこと鈴木敏夫達が住む俗世界。 

映画の中で語るこの会話は高畑との決別を表していました。

NHKドキュメンタリーでは、大叔父の最後のセリフ収録がありました。
大叔父 「自分の時に戻れ」
大叔父役の火野正平に宮崎は何度も注文を出します。

「(真人に呼びかける距離感を)もう少し遠くに行けませんかね」「これが限界ですか」

演出をする宮崎は、涙をこらえていました。

「自分の時に戻れ」パクさんが言っている。いや、そう言ってくれ。もっと語りかけてくれ。もっと。もっと・・・・。
ディレクター席での宮崎駿は明らかにパクさんと会話していました。

映画のラスト。大叔父の塔の塔が崩れ去ります。高畑の世界が崩れ消える。それは呪縛からの解放でした。宮崎はため息をつきます。
「くたびれたよ。このおじさんに。殺しちゃった」

出口のない壮絶な鬱から救い出してくれた天使。同時に宮崎駿を根底から揺さぶり続けた破壊者。一番憎み、一番慕った人。
映画が完成した後も、宮崎はふとつぶやきます。

「パクさんと話がしたいよ。パクさん何か作ってよ」

https://note.com/career_salon/m/m4c1d1009cb77


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