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(64) 心を亡くす

「♪俺の話を聞け~」
昔ながらのスタイルで唯一無二、あのクレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」の歌詞の一節である。“ハマ”が舞台で、言葉を大切にした古風なバンドだ。元気になれる。横山剣さん、彼はただ者ではない。

人は誰しも、誰かに“話”を聞いて欲しいのだ。隠すことに疲れ、聞いてもらえるのなら、時間の許す限り“心の内”を聞いて欲しいものである。しかし、なかなか話す勇気が出てこない。自身の内面のことだし、勇気が出なくて、いつもは無かったことにして“本当の気持ち”を抑圧してしまう。抑圧した感情は、すぐにいっぱいになり、でも話せない、出せないから苦しくて辛くてやり場がなくなる。やがて、胸の苦しみ・頭痛・腹痛・首肩のコリとなったりするものだ。悪夢から不眠になることもある。(決まって“痛み”となる)

強引すぎるが、「♪俺の話を聞け~」となる。五分だけでいい、が、二分だけでもいい、と、値引いても聞いて欲しい、となる。可愛らしい限りだ。とても健康さを感じる。強引でいいのだ。それだけ聞いて欲しいのだから。直球を投げればいい。話せる人を見つけて、話したらいいのだ。クライアントの方々は、カウンセリング・ルームを訪れられるまで相当な葛藤をされたと思われる。内面を話す事は、勇気がいることだろうと思う。
「この人に話していいのだろうか・・・?」
初回面接のとき、試されるのはカウンセラーであるこの私自身だ。当然のことだ。それでなければ、“心の内”は簡単に話せるものではない。そう言った人間関係だから、この私も命懸けであり、何がなんでもクライアントを守る決意をもってお会いする。

もちろん主訴やケースが違うから、全部がそうではないのだが、大半のクライアントの方々は“心を亡くして”いらっしゃる。理由は様々だが、感情や思いを出してはいけないという強い思いから、長い月日、感情・思いを心にしまい込んでおられた。

決して出ないよう圧力をかけ、隠し通して来た歴史は、ひどく重いのだ。圧力をかければかけるだけそれらは熱を持ち、膨れ上がる。今にも爆発しそうだから、もっと抑圧することになる。行きどころのなくなった熱を持った感情たちは、自身の身体に症状で訴え始めることになるのだ。気づいて欲しいという“無意識”からの、自身への訴えである。

それ程までに、出すことが躊躇われるのは人それぞれだろうが、「そんな人だ」と思われたくない一心で、いわば“承認欲求”からなのだと思われる。「いい人」でいたいのだ。痛いほどわかる。しかし、それで「いい人」という評価がもらえるのだろうか?大きな疑問である。百歩譲って、「いい人」の評価を人から頂いたとして、自らの“心を亡くし”、身体に症状を出しながら辛くて苦しくて、それでいいのだろうか。“承認欲求”を求めて生きるとは、“ひざまづく”ことではないのだろうか。

「ぼっちキャンプ」で著名なお笑い芸人のヒロシ氏が、番組の冒頭で「ひざまづいていたのでは、自由になれない!」と述べている。これは決して広告代理店のコピーライターの考えたキャッチコピーではない。ヒロシ氏の生き様から発せられた、私たちへのメッセージなのだ。彼もただ者ではない。

私も決してひざまづかない。
私自身であるためであり、自由でいたいからだ。
だから、私は“承認欲求”を捨てた。
人からの貶された評価も
人からの褒められた評価も
丁寧にご辞退することに決めている。
私自身の評価は、この私がすると決めているからだ。
人はそれほどこの私を深く知らない。それはそれで良いから、評価もしないで欲しいと思うのだ。

そう決めているからと言って、人と線を引き疎遠を決め込んでいるわけでは全然ない。寂しいからと、アイツを呼び出し好きなコーヒーを一緒に飲む。酒呑みの知り合いから誘われる。呑めないくせにほいほい出掛ける。人懐っこいし、よく人からも懐かれる。しかし、私へのどちらの評価も固く辞退している。そうなりかけると、話をそらせば良いだけのことだ。

あなたがあなたでいるために。
あなたがあなたらしく自由でいるために。

あなたは気持ちを、感情を、意見を抑圧することはないのだ。“心を亡く”してはいけない。
「私」を主語にして
「私はそう思うよ」
「私はそうしたくないよ」
と、述べたら良いのだ。

くれぐれも、「あなた」を主語に述べないことだ。述語がつくのだから「あなた」を否定したり、拒否したりしてしまうことになるから、直球が投げられなくなり、主張がネガティブに、また、複雑になるからである。これを“「私」メッセージ”と言う。“「私」メッセージ”に限るのだ。

私は、誰からも評価を頂かない。
私は、自身を高くも低くも評価していない。
私は、心を亡くしたりしない。
私は、私であり続けるために、決してひざまづかない。
私は、隠さない。
私は、何もかもに命懸けで向かう。たかが食事、たかがドライブ、臨床、遊び・・・
私は、いつも直球勝負をする。
私は、人懐っこい。
私は、“ここの今”に全力を注ぐ。
私は、何もかも“楽しむ”ことを心掛ける。
私は、凡夫であり続ける。

私の不安は誰にも負けないくらい大きく、深い。だが、“不安”は生きている証し、めげないで抱えていく覚悟をしている。クライアントの方々から教わり気づいたことである。私は、クライアントの方々から育てられている。有難いことだから、何よりの幸せである。

あなたそのものである“心”を亡くさないで欲しい。あなたらしいやり方で・・・。


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