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(43) たくましさ

人生はなかなか思うようにいかない。
災害や辛いこと、悲しいこと、理不尽なことが起こるのだ。出来るなら、それら避け難いことに出合いたくないと思うが何ともならない。ここのところ順調に行っていたかと思うと、そんな時を見計らっていたかの様に、心配で嫌なことが起きたりする。

これと言うのは、なんとなく一定の周期でやってくるものだと思っていた方が良いのかも知れない。ひとつの”ホメオスターシス”なんだろうと思う。”ホメオスターシス”とは、「生体のエネルギーの総和は常に一定である」と定義されていて、「恒常性」と呼ばれている。

「人生はいつも良い時ばかりではなく、時々歓迎したくない嫌なことも起きる。ただ人生という長いスパンで考えたら、良いことも悪いことも長続きすることはなく、総和は一定であるから・・・誰の人生も悪いことばかりでなく良いことばかりでもない。一生を通じたら、良いこと・悪いことは同じようなものだ」と、言うことになる。

だったら相当の覚悟をして、事が起きても大丈夫という準備をしておくか?となってします。これも日々、その為に生きている訳ではないのだから、事が起きる日の為に生きているのも変なものだし、遠慮したい。出来るなら、目をつむって逃げていたいものだ。”たくましさ”を持ち合わせていたら、何が起きようが怖いものなしで良いだろうなぁ、と思いがちであるのが、”たくましさ”と言うのは、どんなものであるか、あまりはっきりしないのだ。

さかな君がこんなことを言っていた。
湖に住んでいるワカサギと川に住むウナギとの単純な比較で、誰しもその魚のイメージから”たくましさ”はウナギだろうと推測する。ウナギのオスの寿命は5~8年、メスで10年だという。ワカサギは湖の妖精などと呼ばれ、華奢で可愛らしい年魚(1年の寿命)である。雑食のウナギ、プランクトンを食べるワカサギ・・・”たくましさ”はウナギだろう。5~10年の寿命で強面のウナギ、年魚であり妖精のようなワカサギ・・・どこをみてもウナギに軍配が上がる。ところがである。いざ災害が発生したとしたら、川や湖が大きなダメージを受け、ウナギもワカサギも仲間たちが全滅に近い被害を受けたとする。ウナギは寿命が長いだけあり、成長に長い時間がかかり子孫を残すのに不利である。一方ワカサギはたかだか寿命は1年と短いことが有利に働き、成長がその分早いから子孫を容易に残すことが出来る。災害後、3年から5年あれば、ワカサギは元の数に戻すことが出来る。強面で一見たくましいウナギは、寿命が長いことが災いして10年経過しても、元の数に戻らない。その間にまた災害にでもなれば全滅する恐れさえあるのだ。こう考えたら、何が”たくましさ”なのかよく分からなくなってくる。

強面で柔道三段、剣道二段、身長180センチ、体重95キロ。職業は警察官で機動隊であった。今は定年して子供たちに柔道を教えている。どこからどう見ても”たくましさ”の象徴のような奴だ。(ただ、柔道は私の方が強い)奴は高校の同級生だ。警察でもエリートで、最終の階級は警視。彼も私も現役の頃、槍ヶ岳に二人で登った。昼飯の時、食堂の庭のアジサイを眺めていた時、いきなり奴は大声を上げ、私に飛びついて来て、私の影に隠れた。
「何だ?びっくりさせるな!」
「カタツムリがいた!」
「馬鹿かお前は!カマキリならまだしも、カタツムリだと?お前恥ずかしくないのか?」
青い顔をして私の影に隠れても、でかいから隠れたことになっていない。しかも、カタツムリから隠れているのだ。情けない。

そう言えば、高校生の時、数学の予習をやらなくて、私は毎回数学の時間にグラウンドを走らされていた。だから誰よりもランは強かった。何せ、週に8時間走らされていたのだ。(数学の授業は週に8回あった)授業終了のチャイムが鳴り、グラウンドのランから教室に戻ると、奴は廊下で泣いていたことがある。先生から「廊下に立っていろ」と言われただけでである。この時も、「お前は馬鹿か!」と、言ったことを憶えている。誰から見ても、恵まれた身体に強面、文武両道であり、どこにいても人の目を引いた。奴の傍にいると、変な奴らに絡まれたりすることがないから安心だった。私とは違って、良い所だらけで豪傑、”たくましさ”は満点なのだ。しかし、カタツムリに負けるところを見ると、実のところそう見えるだけのことである。

ウナギと奴は誰しも見たところ”たくましさ”を感じる。しかし、実のところ共に決定的な弱さがある。そう、弱さがあって良いのだ。それが、”味”と言うものだ。全面”たくましさ”ばかりの人間などいない。”弱点”があり、”たくましさ”があり、それでバランスが取れていて片寄らないで良いのだ。たくましく、どんなことにも動揺せず、いざという時に果敢に闘える意志を持ち、日頃から訓練しておこう・・・などと考えることは全くいらないのだ。奴のように、カタツムリが恐いのなら、逃げたら良いのだ。(背中を貸す人はいるから大丈夫。ただ、大声は出さないように)学校や職場に行くことが辛いのなら、頑張らなくて良いのだ。逃げて安全だと思う家にいたら良い。どこでも学ぶことは出来る。職場が自分に合わなかったり、辛い思いをするのなら、転職を考えたら良い。そこだけが全てではないのだ。全てに”たくましさ”は持っていられないのだ。ウナギや奴のように、弱点はあっていい。

野球のキャッチャーが、投球が定まらない相棒のピッチャーに対して、両手で大きな丸を描き、「どこでも好きに思う所に投げて来い、必ずキャッチしてやる」と、左胸を叩いて見せる。ピッチャーはそのジェスチャーに応えて、今まで入らなかったストライクが入るようになる。”安心”したのだ。「弱くて良いから、投球が定まらなくて良いから、俺がついている」と、ジェスチャーーを貰ったからである。

弱点があるなら、力を借りたら良い。”たくましさ”を持たないと、なんて思わなくて良い。弱くて良い。隠れる所の確保が大切なのだ。こんなのが人生!大好きである。


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