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(123) 心が折れる

「人からの評価を気にしない」と決心して生きることは、とても難しいことである。また、他人からの評価を受けることで自分がやる気になることがあるものだから、一概に否定することが出来ないでいるのかも知れない。だからと言って、そのことにこだわると、”他者・社会”の評価ばかりが気になることになり、自分の心からの”思い”で事を進めることが出来なくなってしまう。

その結果、自分が「善い」と思うことではなく、「他人が褒めてくれること」をやるようになる。

確かに私たちは弱く、寂しがりやでもあり、人にどう思われているかに注視して一喜一憂しているものだ。気の休まる暇がない。一日にLINEでメッセージがたくさん届くと私が認められているのだと”錯覚”する。「求められている」と思い”安心”する。送ったメッセージの返信がいつ来るか?に自分の存在価値を置き、なかなか届かないと「大切にされていない」と思い込む。

こういった”他者・社会”からの”承認”に基づいて自身の生き様を決めていると、とても「苦しい」ことになる。この心理の背景に隠れているのは、「”他者・社会”の評価こそが最大の価値」というものであり、それを強く持っているということになると、今の自分を”ありのまま”受け入れているとは言えず、永遠に”他者・社会”の評価に振り回されなければならず、自分をどこかに追いやってしまう危険がある。

こんな訳で、”承認欲求”の強い、それに頼っている人は、過度の”劣等感”、すなわち自分が本来こうありたいという願いが叶えられていない為に、他者の評価でそれらを補おうとしていると考えられる。

「視線恐怖」に苦しんでいるクライアントが大変多いというのが私の実感である。単なる神経症のひとつであるから、上手くその症状と付き合っていく必要があるのだが、そんな自分は人と違う、劣っていると思いがちで、苦しみから逃れられない悪循環に陥り、もがいてもがいて強く”承認”を求めることになる。

こんな糸の混乱した結び方は、なかなかほどけないのだ。ほどく糸口がどこにあるのか、長年の悪循環の中で見えて来ないのだ。「結ばって」しまっているのだ。私はほどけない糸を私なりにほどきながら、”認知行動療法”を提案しながら、糸を緩めていきたいのだ。「人前に出ても、思ったより恐怖は感じなかった」を何回か試しながら感じとって貰いたいと願っている。

比較的、心身の調子の良い日、恐がりながらでも、目を人に向けるのを伏せるのではなく、普通に目の向く方向に目をやり、店などへ入ってみるということだ。ほんの少しでも、自分の思っていた恐怖や緊張より小さかったとしたら、儲けものである。それが、集団の中、広場、駅など何でも構わない。やってみようと、誰の指図でもない自分の意志で動ける時がベストである。

確かに「”他者・社会”の評価」は私たちが生きる上で大切なものである。しかし、この思いからだけでは過ぎた”承認欲求”にまでなることは決してないのだ。”自己否定””劣等感”がその自身の基本の中にない限り、そうはならない。「”承認欲求”負のスパイラル」から抜け出そう。

大きくは二つ、道はある。ひとつは”自己否定””劣等感”を捨てることである。長い時間をかけて自分の中に蓄積されたものであり、自分にこびりついているはずだ。簡単に捨てるなどと言葉で言うわけにはいかない。二つの道には優先順がある。先の”自己否定””劣等感”を捨てる前に、「”承認欲求”を目的とした人生」を考え直すことが「先」なのである。これはメリット・デメリットに照らしてみないとその”答”は出てこない。

誰しもがほとんど「”承認欲求”負のスパイラル」の中でもがいている。

人から認められるように頑張る

上手くいかない・ミスをする

人に承認されない・認めてもらえない

苦しい・何ともならない・折れてしまう

これがデメリットであり、それを求め続ける辛さである。
勇気をもって”承認欲求”を「否定」して生きようとする

上手くいかない
・・・しかし、自分が「善い」と思ってしたことをやったのだ。動機も意志も意欲もあるのだ。自分でコントロール出来ることが大きなメリットである。上手くいかなかったとしても、自分で再度決意をすれば、評価軸が自分であるのだから、何度でも挑戦し続けられるということである。

自分で自分の”努力””挑戦”を認め、「よくやっている」と評価・承認したらいいのである。自分の評価は、他者でなく自分でするものなのだ。

「苦しさ」は自分で手が届かない”他者・社会”に評価基準を置くからなのだ。自らが他人にコントロールされてしまうのである。

アドラー博士の名言がある。
・過度の劣等感があると、認められたとしても、さらなる評価に飢え続ける
・善し悪しの判断基準を他人に握られてしまうと「心が折れる」大きなきっかけになる

私は博士に勇気づけられて以来、まだまだぎこちないが、「折れない」を目標に生きることを決めている。”安気”に過ごせるのだ。

※過去のnote 『(2)承認欲求』 『(107)視線恐怖』 『(112)自分軸で生きる』 も、どうぞご一読を。



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