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【スーパー銭湯で働いていた時のこと⑤/やってきた流行り病の話】

おはようございます。
「今月こそは、ぜったいに銭湯へ行くぞ!」
と休日を確保して、カレンダーに花丸を入れました。
今から楽しみです♨️

④の続きです。


●突然に訪れた流行り病

銭湯で働く前までは、むしろ銭湯が苦手だった、わたし。
しかし、銭湯で働くにつれ、すっかり銭湯のトリコになっていた、わたし。

働き始めて1年が経過し、仕事にも慣れ、常連のお客様ともすっかり馴染み「65歳まで、ここで働かせてもらおう」
と、ウキウキと銭湯ライフをエンジョイしていた、わたし。

そんな時にあの「流行り病コロナ禍 」がやってきたのです。

始まりは2019年12月。

2019年12月1日 - 新型コロナ感染症の最初の患者が中国の武漢で原因不明の肺炎を発症した日とされている[1]。 その後、同様の患者が武漢で増え続け[1]、12月31日には世界保健機関(WHO)に正式に報告された[2]。

↑ 朝日新聞の「まとめ記事」↑で振り返ると、
「そうだった、そうだった!ほんと大変だったよ」
と、当時のことが蘇ってきます。

国内初の感染者確認→ダイヤモンド・プリンセス号→マスクが店頭から消える→トイレットペーパー品薄→オリンピック延期→緊急事態宣言、全国に→アベノマスク配布→3密避ける新しい生活様式・・云々

朝日新聞「まとめ記事」

日本中がこの「流行り病コロナ禍 」に、いやおうなしに巻き込まれてゆきました。影響されなかった人は、誰一人としていなかったでしょう。

そして、銭湯でも・・というか銭湯だからこそ一層に、感染症予防対策に取り組まなくてはならなかったのです。

●感染症予防対策に追われる日々

今、思い返すと「あの日々は一体なんだったのだろう」と思うのですが、当時は必死でしたよね。

目に見えないウィルスを撲滅するべく、日本中が全力を挙げて対策をとっていました。

職場では、ロビーや脱衣所に「マスク着用と手指消毒のお願い」のポスターを作成して貼り、マスクをされていない人には、マスク着用のお願いの呼びかけを続けて。
(浴場に入ったらマスクは外すのにね、と心の中では思いつつ。しかし「脱衣所まではぜったいにしてください」と言わねばならなかったのです)

消毒スプレー(次亜塩素酸水)と布巾を持って、常に拭き掃除。
ドアノブ、券売機のボタン、マッサージチェア、ロビーの椅子、カウンター、いたるところを。
もちろん脱衣所の消毒も念入りに。

浴場やサウナでは「黙浴 もくよく」のお願い。
感染症予防で通気性を良くする為に、浴場と露天風呂の間のドアを開放することへのご協力のお願い。などなど。

感染症予防を徹底するために、ギスギスした空気も流れる中、安全な営業を続けようと、スタッフは最大限に努力をしていました。

ロビーにはテレビが置いてあったのですが、ニュースで流れる「今日の感染者数です」の発表に、さらに神経がすり減っていきましたね。

「今日は感染者が20人も出とるじゃないか。どんどん増えるのぅ。こりゃ、もう、銭湯へ来とる場合じゃぁないで。家の風呂で我慢するしかないかのぅ」
と嘆くお客様の声。

でも、確かにそうなんです。
銭湯の常連さんのお家にはお風呂があるのです。にもかかわらず、銭湯へ通ってくださっているのですから。

その言葉通り、お客様の足はどんどん遠のいていったのです。

●緊急事態宣言

そして、2020年4月には「緊急事態宣言」が行われ始めました。
広島県に緊急事態宣言が発令されたのは5月16日。しかも、6月20日までの延長の措置もとられ、経済も目に見えて落ち込み始めた頃ではなかったかと記憶します。

わたしが勤務していたスーパー銭湯は、「公衆浴場」で登録されていた為、緊急事態宣言が出ても営業ができました。

しかし、グループ事業の「スパ温泉」は、娯楽施設だった為、営業自粛を余儀なくされ休館。
この休館期間で不利益を被り、「スパ温泉」は閉館となりました。

同グループのホテル業、飲食業もあおりを受け、きびしい経営が続いていました。

わたしが勤務していたスーパー銭湯では、お客様が減ってゆく中、営業時間短縮を行い、年中無休だった方針を変え、休館日を設けて、スタッフの出勤日数を減らすなどの経費削減にも努めて、経営をしのぐ状態が続いていました。

●そして広がってゆく噂

そんな中、「ここの銭湯も閉館する噂が出とるよ。従業員の人は聞いとらんのん?」という話を、お客様から聞くようになりました。

お客様には「そんな噂が出てるんですか?大丈夫ですよ、そんな話は聞いてませんから安心してください」とはお答えしつつも、わたし達も、このままいくと閉館なんだろうな・・という予感はありました。

市内でも、閉店した銭湯や、閉館したスーパー銭湯がポツリポツリと出始めました。
全国的にも、あの「流行り病コロナ禍 」の影響で、閉店をした銭湯は多かったのです。

そんな中、職場では、お姉さま達(職場の大先輩)が引退され、転職する仲間も現れる状況となり。
わたしはといえばシフトが減った分を補うために、ダブルワークを試みる、というチャレンジを始めていました。
(このダブルワーク先が「便利屋」で、これまたいろいろな仕事をさせてもらいました。葬儀のお手伝いや遺品整理など)

しかし、ダブルワークという働き方は、車の運転ができない自分には、難しいと思ったのでした。

そして「この銭湯が人生で最後の職場だ」と思っていたのに、再び就職活動を始めることとなったのです。

長くなりましたので、この続きは、また今度💐

♨️続きはこちら♨️

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