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せいてはことをしそんじる

2020年12月1日夕方
私はものすごく焦っていた。
この日、私は人生で初めてシナリオを応募しようと思っていた。
中学校の時、私を支えてえてくれた一本のドラマがあって、そのドラマの脚本家が審査員をやるシナリオのコンペがあるのを見つけて、それに向けて脚本を書きはじめた。
その募集を見つけたのは半年前だった。それから、たまに忘れては思い出して書いたり、また忘れては思い出して書いたりを繰り返していた。一人でコツコツ書くと言うよりは、一人でコソコソ書いているという感じだった。

人生の中で何かトライをしたかったんだと思う。
頼まれたことばかりをやる仕事に正直、疲れていた。
クライアントの都合で、急にやれと言われたり、急に辞めると言われたり、色々振り回されて心が削られているのが自分でもわかった。
仕事ってそういうもんだよねとは思える年にはなったけど、心の奥底ではなんだかんだ傷ついていて、だから、自分で決めたことを勝手に自由にやりたかったんだと思う。シンプルに言うと、人生をちょっとでもいいから変えたかった。そう思って初めたのに、仕事や日々の雑務にかまけて応募のギリギリで慌てていた。

シナリオをデータで提出するなら本日の13時だったけど、それはもう過ぎてしまった。郵送で送るなら本日の消印有効。今はコロナで一番遅くまでやっている郵便局でも19時に閉まる。ここでも地味にコロナの影響を喰らう。
それでも、19時に向けて一人必死にあらすじを書いていた。シナリオは一応書けたが、応募には「あらすじ」がいるなんて…。しかも2ぺージ。5行でいいと思っていた私は、あらすじが全くまとまらず四苦八苦していた。

そんな時に、電話が鳴った。クライアントだった。至急の修正要請だった。
仕事はお金をもらっている。シナリオの応募はお金をもらっていない。
仕事は人が待っている。シナリオは誰一人待っていない。
天秤は言うまでもなく、仕事のほうに傾いた。

しかも今日の夕方は姉から、かんちゃんのお迎えを頼まれている。
かんちゃんは近くに住む私の4歳の姪っ子で、最近の私の一番の友達である。

しかも、13時のデータ応募を逃してしまったら一気にタスクが増えた。
データだったらパソコンで送ればいいだけだったのに、
郵送となるとシナリオに穴を開けて紐を止めて封筒にいれなければならない。我が家にはパンチも紐もない。封筒は辛うじてあった。
あー、なんで13時にデータで送らなかったんだと自分を責めた。

急ぎの頼まれた仕事を仕上げ、そして、なんとかあらすじも打った。
それをプリントアウトしたら、かんちゃんを保育園に迎えに行かなければならない時間になっていた。
かんちゃんをダッシュで迎えに行って、帰りに店でパンチと紐を買って、家に帰ってそれでシナリオを止めて封筒にいれて郵便局へ持っていく。
限られた時間の中でのタスクの多さに「諦めようか」と不意に思った。
それでも、このシナリオ応募には私の人生を少しでも変えるという当初の目的があった。賞をとることより、出すことの方が私には大事だった。
「ここで諦めたら、これからの人生諦めるばっかりだぞ。人に振り回されてばかりの人生だ」とスパルタの自分が突如現れ、これからの未来を盾に脅迫してきた。まだ諦めるわけにいかない、私はそう思った。

保育園にお迎えに行くと、かんちゃんは嬉しそうに飛びついてきた。
姉が朝置いていった電動自転車にかんちゃんを乗せてヘルメットをかぶせて、私は真面目な顔で言った。
「かんちゃん、今日、おばたんは郵便局で7時までに送らないといけない大事なものがあるの。時間がないから、かんちゃん、協力してほしい。」
かんちゃんは突然のミッションを告げられ、戸惑いながらも頷いた。
そこから自転車を飛ばして、ここから一番近い100均へ。

かんちゃんの手をひき、店の中へズンズン入る。
私は睨みつけるようにパンチと紐を探し出す。その間に、かんちゃんはおもちゃを次々と見つけ欲しそうにするので、私はお構い無しにカゴに入れていいと言った。姪っ子に甘い、どんなものも100円、とにかく時間がない!!
この3つが揃えば、断る理由など何一つ無い。
かんちゃんが駄々をこねて時間をロスすることを一番避けたかった。
かんちゃんは今がチャンスとばかりにおもちゃをカゴに入れまくった。

そして、家に着いて購入したパンチでシナリオに穴をガシャンと一発であけ紐を通して即、郵便局へ向かう予定だった。
けれど、その算段は100均のパンチが紙束10枚程しか穴があけられないことで崩れた。
シナリオは全部で60枚近くある。しかも、予備も一冊送らないといけないので、合計120枚。
「くそ!もう!」とイラつく私に、かんちゃんが「くそは、言っちゃだめなんだよ」と部屋の中でヘルメットをかぶりながら言った。
かんちゃんはヘルメットを被らされたまま、今か今かと私からの出発命令を待っているのだ。

このシナリオを待ってる人は誰もいない。ただ私が出すと決めただけで今諦めても、この地球上で困る人は誰一人いない。
それなのに出さなければとイラついている自分が滑稽に思えた。

穴を開けて紐を通すことに、予想以上に時間を取られてしまっている。
自転車を飛ばして郵便局まで10分。
かんちゃんも連れていかなければならないのに、もう無理だ。
ただのシナリオの公募なのに、私はこれからの人生を諦めてしまうかのような気持ちになり、大きな声で「あーだめだ!」とイラついて叫んだ。
それを見て、かんちゃんが「おばたん、せいてはことをしそんじるよ!」と3回程言った。保育園の先生に習ったのだろう。
普段なら「そんな難しい言葉知ってるの?すごーい!」と返してあげられるのに「かんちゃん、頑張ってる人にそんなこと言うのよくないよ!!」と怒ってしまった。

かんちゃんは褒められると思って言ったのに怒られてしまい泣いてしまった。4歳に八つ当たりなんて、30代半ばの大人がなんと情けない。情けなさすぎる。
それ以前に、私は本当に頑張っているのだろうか。頑張っているというのならばもっと余裕を持って完成させて、13時にはデータで送れていたし、それ以上に別に締め切りギリギリでなくてもっと前の日に出したっていい。
本当に頑張っているのなら、今頃はかんちゃんを巻き込むことなく、ゆっくり二人でご飯を食べているはずなのに。そう思うとかんちゃんに申し訳なかった。私は頑張ってなんていないじゃないか。情けなくて、自分がアホみたいだった。

なんとか全部に穴を開けて紐を結び封筒に入れ、自転車の後ろにかんちゃんを乗せて郵便局へ向かった。
自転車で走りながら、これをとにかく提出できれば、私の人生は一歩前に進む。そんな気分だった。大急ぎで出てきたから、今が何時かはわからなかった。でも、間に合うような気がした。
こういう時はいつだってギリギリセーフで、諦めなくて良かった!と後で思うことの方が多い。私の気持ちはなぜだか高揚していた。

大きな郵便局が見えてきて、警備のおじさんが入り口で光る赤い棒をくるくる回してくれた。警備のおじさんがいるのだ!これは、ぜったい間に合うと思った。しかし、受付は灰色のカーテンが引かれてすでに閉まっていた。
慌てて時間を見たら、19時1分だった。ギリギリちょっとアウト。
1分の余韻さえないのかよ、郵便局は。ここでもまた八つ当たり。


閉まったカーテンを呆然と見つめる私に自転車の後ろに座ったかんちゃんが言った。
「おばたん、間に合わなかった?」
「うん、ダメだった。かんちゃん、ついてきてもらったのにごめんね」
「いいよー」とかんちゃんに言われて、私は不意に泣きそうになった。
自分の怠惰さ、準備不足、計画不足にうなだれてしまいそうだった。
情けない気持ちでいっぱいだった。
かんちゃんも私の落ち込んだ空気を察してか黙っていた。

閉まった窓口の近くに、ぼおっと光を放つ自動販売機とベンチがあった。
「かんちゃん、ついて来てくれたお礼にジュース買うよ」
「スポーツドリンクがいい」
とかんちゃんが言うので、かんちゃんにはスポーツドリンクを自分にはミルクティーを買った。
ペットボトルの蓋を開けてかんちゃんに渡すと、かんちゃんが「おばたん、カンパイ!」と言った。
慌てて私も自分のミルクティを突き出し「カンパイ!」と返した。
ペットボトルと缶がぶつかる何とも言えない音がした。
出せなかったシナリオは自転車のカゴに入ったままだった。


少しの沈黙の後、「おばたんは、何を送ろうとしていたの?」とかんちゃんが聞いた。「何を出そうとしてたんだろうね。でも、また必ずもっと良くして出すよ」大人は子供がいると、ちゃんと強がれるものだ。
「あんな大慌てで送ってもいい結果は出なかったと思う。急いては事を仕損じるよね、ほんと。かんちゃんの言うことが、あまりに正しくて怒っちゃってごめんね」と言うと「いいよー」とかんちゃんは許してくれた。

ベンチで座っているのも寒くなってきたので「どっかでご飯食べて帰ろうか?」と聞くと、かんちゃんは「とんかつ!」と言った。
かんちゃんは、本当にとんかつが好きだ。
そのまま自転車を走らせ、近所のおいしいとんかつ屋さんで二人でとんかつを食べた。キッズセットにはおもちゃがついてきて、かんちゃんは大好きなとんかつにおもちゃまでゲットしてとても嬉しそうだった。

家に着いてしばらくすると、姉がかんちゃんを迎えにきた。
「ありがとー」と姉は私にコンビニのシュークリームとヨーグルトを手渡し、私はかんちゃんを差し出した。かんちゃんが手にいっぱいのおもちゃを抱えているので、姉はおいおい!どう言うことだ!という顔で私を見た。
姉からは家が片付かないからおもちゃを増やさないようにと頼まれている。
でも、今日はこちらにも色々事情があるのだ。
姉は私への表情とは裏腹に「かんちゃん、よかったね!いい日だったね!」と言った。かんちゃんは「うん、いい日だったよー」と嬉しそうにおもちゃを抱えて帰っていった。

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