日本の議会にだけなぜ共産党が多いのか

それでは、なぜ先進国で日本のみ今なお共産主義が浸透し、共産党が多くの議席を持っているのでしょうか。その発端は、吉田茂の決断にあります。

日本内の状況

終戦の翌年、一九四六年五月十九日の食糧メーデーには、二五万人のデモが皇居に押しかけ、一〇〇〇万人餓死説が流布し、革命前夜を思わせるほど共産主義の影響が国内を覆っていました。戦禍に打ちひしがれ食うや食わずの状態だった国民には、政治への不満が溜まっていました。そのため共産主義の世の中になれば、全員が平等で豊かになる、平和が訪れるという幻想が浸透しやすかったのです。

学会の状況

東大経済学部では、自由主義者の河合栄治郎が亡くなり、国家主義の土方成美は追放され、共産主義者の大内兵衛が残ります。戦後の論壇は『世界』(岩波書店)が創刊されるなど共産主義に強いシンパシーを持つ者がが活躍します。東大総長の南原繁、丸山眞男、中野好夫などは、米軍基地反対、ソ連も含む全面講和を掲げ、日本の世論は左傾化します。

そんな中、河合門下の猪木正道や土屋清、筆者の恩師である関嘉彦たちが、容共思想から日本を守ろうと「社会思想研究会」を立ち上げます。丸山眞男門下の東大助教授の坂本義和は「中立日本の防衛構想」で中立論を掲げ脚光を浴びます。一方、猪木正道門下の京大助教授の高坂正堯は、坂本の中立構想を批判し日米同盟を重視する論を展開します。

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