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Doors 第21章 〜 フォーカルジストニア奮闘記5

 ついにその扉に辿り着いた.あれほど必死に探していたその扉,開くときはとてもあっさりしていた.音も立てずに悟ったような扉が開いていた.気がつくと既に別の世界にいた.
 その世界は時間が生きていた.僕らの世界では,時間は意志を持たずに無機質に働いている認識だ.直前をただひたすら一定方向に一定の速度で進んでいるかのように見える.しかし,この世界では時間が生活している.右に左に動き回りもするし,早くなったり遅くなったりもする.時間の本当の姿に近いものだと感じた.そして,時間の流れを自分でコントロールすることさえ可能な世界だった.

 ふと辺りを見回すと,僕は高台に立っていた.そこから見える景色は何とも形容し難い.強くも優しい,そう感じる景色だった.そうか,上り坂の角度が急になった分だけ,上り詰めたその頂上から見える景色もまた美しくなるということか.なるほど,歳を重ねるということはこういうことかと悟った.

 直感でこの世界はフロー(ゾーン)体験と繋がっているなと思った.フロー体験中は精神がいい意味で分離する.思考と行動が独立した状態になるにもかかわらず,細かいところまで完璧にリンクしている.お互いが全単射によって結ばれているような,それでいてそこにラグが一切存在しない非常識な状態だ.
 また,視野が演繹的から帰納的なものに変わって広がりをみせ,あらゆる情報が飛び込んでくる.しかも必要な情報だけが厳選された状態で.普段ならパンクするだろうその膨大な情報量も,時間の流れを緩やかにすれば問題なく捌ける.神の領域というのに相応しいこの世界は何度訪れても心地よく感じるものだ.

 そんな風に走り続けて4ヶ月ほど経った頃,徐々にその扉を見つけるまでの時間が早くなっているのに気づいた.輝く雪もたくさん降ってくる.霧が晴れる場所も何となく分かるようになってきた.やはり成長が感じられると嬉しいものだ.ずっと昔から思い描いていた理想のフォームにかなり近づいた.1時間もあればその場所に辿り着けるという自信もついた.
 20年以上も何かに携わっていると,マイナーなアップデートこそたくさんあれど,こうはっきりと感じられるメジャーなアップデートにはなかなか出会えなくなる.だからこそ,その喜びも一入だ.

 そうなると,この喜びを誰かと分かち合いたいという至極当然な思いが徐々に生まれてくる.この苦労に立ち向かっている自分のことを褒めてもらいたい.この場所から見える美しい景色を誰かと共有したい.
 残念ながら成長の喜びは,この孤独という落とし穴を埋めてはくれない.それどころか,ますます深く大きくなっている気もする.そんな目の前に空いた紫色の穴を埋めるかのように,僕はスティックを振り続けた.

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