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インとアウトの間に

noteを初めて、今日で3ヶ月目に突入した。毎日投稿することを目指していたのだが2日ほどサボってしまったので、これまでに60記事を投稿したことになる。

60記事を書き、今思うこと。

それは「書くことこそ最大のアウトプットであり、話すことは必ずしもアウトプットとは言えない」ということ。

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話すことがアウトプットになるという考え方がある。新しく得た知識や言葉を、人に話をすることでそれが自分のものになる、と。

しかし、本当にそうだろうか。

口頭での会話というのは、頭を使わずともある程度できてしまうように思う。多少のニュアンスや行間は、"なんとなく"で伝わってしまう。どんなに曖昧でも、語彙が不十分でも、主述が一致していなくとも、概ねのことは伝えることができてしまうのだ。

言語活動は、聞く・読む・話す・書く。この4つに集約することが出来る。

これまでの私は、教育という仕事柄もあるが、いかに上手く話すかということに注力し、話し方のテクニックばかりに関心があった。もちろん、話すことも大事で、会話を手掛かりに授業の組み立て、それでも十分頭を使っている気がしていた。しかし、noteを続け、いかに自分が頭を使ってこなかったのかを痛感している。この気づきだけでも、noteを始めた価値があったと感じている。

話すことばかりでは、正しく頭を使った「言葉の力」はつかない。書くことは、言葉を選んで、言葉を論理的に組み立てていく。そして、同時に読み手を想定し、正しく理解できるかも検討しながら書く必要があるのだ。

コミュニケーションの際、相手を説得する中身は「ボディーランゲージ55%、声のトーン38%、実際の言葉7%」という法則があると聞いた。確かにそうかもしれない。会話を文字に起こせば、いかに自分の会話における文法が整理されていないかを実感することができるだろう。

となると、やはり話すことをアウトプットと考えていいのか、という疑問がぬぐい切れない。

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スループットという言葉をご存じだろうか。

機器や通信路における「単位時間当たりの処理能力」のことらしい。インプットとアウトプットというのは直結しておらず、スループットを介している。

想像しやすいのは、FAXだろう。受信から出力されるまでに流れる「ピーーーヒョロロロ」を思い出すとよい。あとは、ゲーム機器。最近のものはどうかわからないが、スイッチボタンをつまみ上げ、TVに映し出されるロゴを見るまでには、少しの時差がある。バグが起きている時なんかは、何度もオンとオフを繰り返すが、カチッというスイッチボタンの音のあとに数秒訪れる静寂は、時が止まったように思えたものだ。

何事も、瞬時に反応を示すことは難儀である。

だから、これを言語活動の能力に置き換えると、話すことはアウトプットよりもスループットに近いのではないか…と。

むしろ、聞いた言葉を繰り返し声に出すことは、一つのインプットだとも言えるだろう。

つまり、見聞きしたものを声に出すことで脳に刻み込み(インプット)、会話の中でいくうちに意味や概念を吸収し(スループット)、理解した上で整合性を保ちつつ書く(アウトプット)。

今のところ、これが言語活動におけるサイクルだと思っているが、今後もnoteを続けていけば、また新たな発見があるかもしれないとワクワクしている。



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