![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/42560934/rectangle_large_type_2_02c48cd9dbeecbc199656034440e6b2a.jpg?width=800)
自由の中から「個性」は生まれない
好きなようにしていいよ。
これがとても苦手だった。
子供の頃から、絵を描くにも砂遊びをするにも、何を作ればいいのかわからないからだ。
何かを選択するのが苦手で、「好きなものを描く」「好きなものを作る」「好きなことを書く」という指示がとても嫌いだった。
何と決められた方が楽だから。
しかし、かと言って個性や自分の意思がなかったわけではない。
プール遊びをしましょうと言われてもその通りにはせず、木登りをして先生を困らせた。
みんなで大きなお山を作ろうと先導する先生をよそに、1人でカッチカチの泥団子を作るのに一生懸命だった。
父が迎えにきても手洗いをやめず、付き合うのが大変だったと今でも言われる。
好きなこと、やりたいことがなかったわけではない。あまのじゃくとも少し違う。
「さぁ、いざ今から好きなことを」と自由を与えられるのが嫌だったんだ。
・・・
今の保育や教育は、子供たちの「自主性・主体性」を重んじる。私は、この時代に子供でなくて良かったと心から思う。
あの頃の私だったら…
「好きなことをしていい」がすこぶる苦手だったあの頃の私だったら、さぞ辛いだろう。
好きなだけ気に登り、気がすむまで泥団子を作り、手を洗い続けることを咎められなくなるのはいいが、それらは強制からはみ出した私の個性だ。
個性とは、自由の中から生まれるのではない。
同じことをやらせても、歩く道をひかれても、はみ出していくものが個性だと思う。
思いつくまま気の向くままに、好き勝手することが個性ではない。ルールや規制の中でも、輝きを失わないものが個性なのではないかと思うからだ。
・・・
noteは書式が決まっている。
明朝体も選べるらしいが、大体皆が同じゴシック体で、色が選べるわけでもフォントサイズを自由にできるわけでもない、
一定のルールの上で成り立つ記事。
じゃあ、これらの記事に個性がないだろうか。
いや、それぞれに個性はある。
無いように見えるのもまた「個性」の一部である。
そういうことです。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。