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語彙力は感性を養う

私は6年前まで幼稚園教諭をしていた。
子どもたちが「先生、あのね…」と一生懸命に話をしてくれる時間が嬉しく、同時に子どもたちの成長を感じる瞬間でもあった。

ある日も"好きなご飯"の話になったことをきっかけに、報告会が繰り広げられた。
定番のハンバーグ・カレー・唐揚げをはじめ、様々なものを教えてくれていたのだが、いつもは大人しい女の子が、珍しく輪の中に入ってきた。

何かを言いたそうに、もじもじとしていたので「〇〇ちゃんの好きなご飯はなぁに?」と聞くと、恥ずかしそうに答えたのだ。

「…炊きたて(ニッコリ)」と。

3歳児の好きなご飯が「炊きたてご飯」という予想の斜め上をいく答えにも驚いたが、それ以上にこの子の家庭では日常的に様々な言葉が溢れているのだと確信した。

「今日のご飯は炊きたてで美味しいね」
「帰ったら炊きたてのご飯が待ってるよ」

そんな素敵な言葉と食べる炊きたてのご飯は、さぞ美味しかったであろう。そして、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに「炊きたて」と言った彼女の微笑みは今でも忘れられない。

このような豊かな言葉のシャワーを浴びて、子どもたちは語彙を吸収していく。そして、ただ吸収するだけではなく、その言葉と体験がつながった時に、子どもたちは語彙を獲得するのだ。

また、語彙を獲得することが、感性を育てることへとつながる。一見、繋がりが見えないように思われるかもしれないが、人はやはり言葉を無くしては思考をすることができない。

「感性」と聞くとどうしても心の働きであるため、胸のあたりにあるとつい考えてしまうが、心は脳の中にあることを忘れてはならない。つまり、思考することこそが感性を育てることなのだ。

私も語彙力をつけたい…と思うが、一応大人なので獲得のプロセスが子どもたちとは異なる。
もちろん語彙の豊富な人と生活を共にすることは非常に有効ではあるが、やはり大人は読書が1番有効である。語彙を増やすだけでなく、他者の考えを知る機会にもなるからだ。

だが大人はすぐ忘れる。「見聞きしたことがある言葉」を「知っている言葉」と勘違いしてしまうことも、語彙力に繋がらない要因の1つであろう。言葉は使わなければ意味がないのだ。

語彙に触れる機会を自ら作り、得た言葉は口に出し使っていく。まだまだ感性は養えるはずだ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。