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どうしたらこの世界を受け入れられるだろう。

ズブズブと私は落ちていく。

自分の吐いた息が泡となってくるくる回りながら上へと逃げて行く。

頭の上にはキラキラ輝く水面がある。

私は浮上するのは無理だと知っている。

水面のキラキラした世界は私には関係の無い世界だ。

私は指一つ動かせないで、ただゆっくりと落ちていく。


もしくは・・・


私は血まみれだ。

痛みを感じないよう感情を殺して、かろうじて機械のようにゆっくり手足を動かして匍匐前進する。


これらは私が若い頃から心が辛くなった時の状態をイメージしたものだ。


私には心に波があって躁状態と鬱状態が交互にやってくる。

鬱状態の時はとにかく時間の経過を辛抱強く待つしかない。

心が浮上するまでは、どうあがいても自分でどうにもならなくて自然に上がるのを待つしかない事を知っている。

その間はいつでもこのイメージが頭にある。

不可抗力。

抗えない。


特に若い頃の気持ちの沈みは抗えなくて辛かった。

発狂もできないから、こんな時は思考を停止させてやり過ごすのが良策だ。

ただ機械のようにすべき事だけを、自分の感情に眼を向けず淡々と行うしかない。

それでも昔に比べると少しはマシになった気がする。

少しは抗えない心の浮き沈みをコントロールできている気もする。

つまり歳をとって鈍くなれたんだと思う。

どういう事かと言うと、外の世界に対してこれまで心は剝き出しだったが、まるで心が曇ったようになったんだと思う。

若い頃は外の環境、つまり社会での人間関係や折り合いが解らず、生きづらさが剝き出しの心にダイレクトに突き刺さった。

社会という外の世界と自己という内の世界を隔てる壁がなくて無防備だったように思う。

今ではこの「曇り」が壁となって私を守ってくれている。


あぁ、そうか。

歳をとると身体も衰えるが心(精神)も衰えるんだな。

敏感さが欠けて、つまらないプライドも欠けてそれが「曇り」となって間接的に私と社会をつなぐ結果となった。

歳をとるってこんな一面もあるんだな。

身体は不自由になっても心は開放されるのかも知れない。


私にとっては歳を重ねる事は少しだけこの世界が受け入れらるということなのかも知れない。

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