言葉が信用できないから、私は人と関われないのだろうか。
久しぶりに記事を書いてみようと思う。
本当はずっと書きたいと思っていた。
私の中には書きたい事の断片がたくさんある。
でもそれは気づくと頭の中でフワフワ浮かんでは、すぐ消えてしまう。
フワフワ浮かんだ瞬間にすぐ捕まえないと、あっという間に消えてしまう。
どうしたら私の頭の中のフワフワした思考の断片を捕まえられるのか?
それは文章化してカタチにする事だ。
断片どうしを寄せ集めて糸をより合わせる様に紡いでいくのが、私にとって文章化するという行為だ。
でもこれは億劫な作業だ。
カタチの無い思考をカタチの有る文章に変換するのだから。
そして億劫以外にも、もう一つ致命的な問題だある。
私は言葉をあまり信用していないという事だ。
そもそも思考を表現する手段はカタチの有る言葉なのに思考を言語化したとたん、思考はその言葉に固定されてしまう。
固定されるとそれ以外の曖昧な部分が消えてしまう。
例えば月のない真っ暗な闇夜を表現するのは難しいように、いくら吸い込まれそうに暗いとか、漆黒とか表現しても実際に恐怖を感じるような暗さを伝える言葉には限界があると思っている。
だから私は言葉は100%は伝わらないと思っている。
せいぜい60%伝われば良い方ではないかとさえ思っている。
私は潜在的に言葉を信用していないから他人との雑談も億劫になる。
どうせ伝わらないと思う諦めが前提にある会話になってしまって、伝わらなくても伝えようとする努力が人より欠けているように思う。
それで妥協したり、分かりやすいように誇張したりするが、そんな自分をウソ臭い、誠実のない人間なんだなと感じたりする。
もともとASDの気質があるからそうなるのかも知れないが、他人と正面切って接するのを避ける所がある。
そんな人間だから人と繋がれないんだなと思う。
せめてここでは悪戦苦闘しながら自分のフワフワした思考の断片をかき集めたい。
そして表現してみたい。
そんな事を思って久しぶりに投稿してみたのだった。
稚拙な文章を読んで頂きありがとうございます。