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「違うって?」男は舷側から砂浜へ飛び降りてくる。須恵の横にしゃがみ込むと『ミミ?』と砂に描く。男は顔を上げ自分の耳を指さすと、須恵の横顔を覗き込む。 須恵は男から目を反らし微かに頷く。男は砂浜に胡座をかき、子供の頃に返ったように砂に文字を描き始める。 『ここ 女 いた ?』 須恵は首を振る。 『わかい めがね』 須恵は一瞬宙を睨む。砂浜に目を戻すと、須恵は自転車の絵を殴り書く。 「自転車?」男は不審そうに須恵の顔を覗き込み呟く。 須恵は頷く。 「ひとがり
暫くして、船が浜に近づいてくる。船は波打ち際まで近づき、勢いよく浜辺に乗上げる。後ずさりする須恵。 「沖が時化てね」船縁から男が顔を出し、苦笑いを浮かべる。 「今、梯子降ろすから」男は舷側に回り梯子を用意する。 須恵は、立ち尽くしたまま男の様子を眺める。 「さあ、気を付けて上ってきて」降ろした梯子が砂浜に突き刺さる。 首を横に振る須恵。 「急いで!」男が辺りを警戒するように声を絞り出す。 須恵は船に背を向けしゃがみ込むと、濡れた砂に大きな字をなぞり始め
「実際に見たのか、感じたのかわからないですね。遊園地の中を、ふっと漂っていたような」 「何か、つまらなそうだった。遊園地にいるのに、遊びたいけど遊べないっていう感じ」 「ぞっとしましたね。気がついたら目の前に浮かんで見えたから。まるで、幽霊みたいに」 十八 迎え船 海岸道。須恵は気がかりそうに、何度も後ろを振り返る。暫く行くと、須恵は立止まる。懐かしそうに海の方を振り向く。両手で耳を覆い、潮騒の音を聞く素振り。砂に足を取られながら、須恵は砂浜に降りていく。
備考:モニターのため各年代で人数制限アリ。募集年齢は30〜50代、複数回参加不可」 被験者が入替わりテストに臨んでいる。被験者の様子を見守る木川田。 テスト終了後、木川田は被験者に問いかける。 「あなたが体験したこの仮想空間の中で人の姿を見かけましたか?見かけたとしたら、どんな姿でした?」 被験者が答える。 「どこで見たのか、思い出せない。確かに人の姿を見たような・・・。見たという記憶だけが残っている感じ。というのかな」 「いろんなところで見かけましたよ
「ビデオ?」 「遺品なんです。母の・・・」 「そこに何が?」 「あの光の輪・・・。そのようなものが」砂絵は早口で言う。涙声を隠すように。 受話器をそっと置き、写真立てに目をやる木川田。木川田は書棚から一冊のアルバムを引き出す。頁を捲り、写真を数枚剥ぎ取る。その写真をコンピューターに取り込む。写真は、平面から次第に立体的な人の姿へ形づけられていく。それは木川田の死んだ息子の姿。 数日後、木川田は新たに被験者を募集した。 「モニター。仮想空間にある遊園地を巡
ユウは鞄を見つけられない。そして気づく。駐車場の端に建つ番小屋に目を向け、懐からナイフを取り出す。 須恵は、近づく人影を見て窓から離れる。脇に置いた鞄に目を向ける。 須恵は奥の羽目板を蹴破り外へ逃げ出す。扉を蹴破り小屋に入るユウ。壁の羽目板が外れて揺れている。ユウは鞄を掴み、小屋の裏手に回る。 「誰だ?」ユウが問うたところで返事をする者はいない。 十七 母の遺品 数日後、木川田の作業場。電話が鳴り受話器を取る木川田。 「正木ですが」 「ああ、君か。大丈夫
番小屋の中から駐車場の様子を窺う須恵。須恵は耳を押さえながら頭を振る。 少年達の自転車が駐車場を出ていく。女の眼鏡と鞄が、雨に濡れたまま残されている。 須恵は女の倒れていた辺りに怖ず怖ずと歩み出す。女の鞄を掴むと、須恵は番小屋にそそくさと戻る。 須恵は持ち帰った鞄を開け、中をあらためる。粗末な衣類が数枚畳んである。それだけだ。番小屋の窓から外の様子を窺う須恵。 須恵のイメージ。倒れていく女の姿。椎衣が見たというプールに浮いた女。椎衣の妹、椎雨の姿が重なる。
「さよなら・・・」神妙な表情でケイが女の体から離れる。 神妙な面持ちでユウが女の背中から恐る恐るナイフを引き抜く。ユウの手は小刻みに震えている。 「行ってくる。知らせに」ユウは自転車に股がる。 他の少年が数人、女の周りに集まる。 「誰の番?」少年達の顔をゆっくり見回すケイ。 「おまえだろ?」一人がケイの尻を軽く蹴り上げる。 「そうか・・・」ケイは倒れた自転車を起こす。 少年達は女を抱えケイの自転車の荷台に乗せ、ケイの背中にくくりつける。 「やけに重い
女は周りを見回す。乗客はもう誰も残ってはいない。女は席を立ち、開け放たれた扉に向かう。 浜に立ち尽くす女の姿。女は何かを待つようにしきりに首を回す。やがて、女は諦めたように腰を下す。 駐車場。その女の周りを取り囲むように、自転車が走り回っている。女の前に一台の自転車スリップして止まる。少年が足元を指して何か叫ぶと、自転車を降り女に近づく。 「靴ひも」少年は呟く。 「えっ?」女は少年の顔を見る。 「解けてるよ」 眼鏡の鞘を持ち、自分の足元を見下ろす女。履き古し
その女の追憶。バス停。霧雨混じりの夜風が吹きつけ、女の顔に水滴が丸く光ってこぼれ落ちる。女は水筒から麦茶をカップに注ぐ。両手で包み込むように唇をつける。熱い麦茶を一口咽に流し込むと、女の口から白い吐息がこぼれる。カップに淡い口紅の跡が残る。 女は、バスの来る方向を漫然と眺める。背伸びをしながら体を傾ける。諦めたように、女は視線を落とす。雨に濡れ黒く光るアスファルトの道に。 丘の上で車の照明が煌めく。照明の光を左右に振りながら、軽いエンジン音を響かせバスが坂を下りてくる
十六 迷い女《まよいめ》 夜の黒く濡れた駐車場。アスファルトの路面が雨に濡れビロードのように光る。放置された自動車から滲んだ油が路面に虹色の膜をつくっている。雨のカーテンをかき分け数台の自転車が駐車場に入ってくる。その二輪達は、水しぶきをあげ走り回る。 自転車の輪の中に女が迷い込む。その輪から自転車が一台抜けだすと、女の前で急ブレーキを掛け半回転し滑りながら止まる。少年が自転車から飛び降りると、女に何か声をかける。女が頷くと濡れた黒髪が横顔を隠す。少年は女の前に跪くと、
「正木さんですか?私、美絵と再婚した高橋という者です」 「はあ」 「突然ですが、彼女、一年ほど前から患っておりまして」 「何の病で?」 「いや、何日も持たない。お嬢さん、砂絵さんでしたか。美絵が一度会いたいと。それで、連絡した次第です」 病室に入る泰造と砂絵。痩せて衰えきった美絵。泰造と砂絵は畳み椅子を開き腰掛ける。眠ったまま目を開かない美絵。無表情に美絵の様子を見つめる砂絵。 美絵が静かに息を引き取る。涙も見せず、砂絵は病室の窓をぼんやり見つめる。泰造は高橋に向
椎衣は古雑誌をかたずけ卓袱台を畳むと夜具を敷き横になる。 十五 母のこと 砂絵は坂の上から駅の方向を見る。夕陽は線路際まで傾き、線路につたって反射した赤い帯が伸びている。砂絵は坂を下りる途中振り向くと、坂に沿って伸びる自分の影を見つめる。 砂絵の自宅。食卓に向かい合う砂絵と泰造。 「母さんのこと、思い出すことある?」 「いや・・・」オルゴール人形を磨く手を止め、泰造が顔を上げる。そして、食 器棚のガラス戸の奥にある写真盾に目を向ける。そこには、砂絵がまだ小さ
「父さん!」目を覚まし上半身を跳ね上げる砂絵。 「気がついたか?」 「私、どうしたんだろう?」砂絵はぼうっと部屋の中を見回す。 「大丈夫?」 「ええ・・・」砂絵は宙の一点を見つめている。 「何が見えた?」 「母の姿が。光の輪の向こうに。近づこうと思ったら、目の前が真っ白に。母の夢なんて、見たこともなかったのに」砂絵は長椅子から起き上がり頭を振る。 砂絵の回想。母の病床に立つ砂絵。やせ細った母の腕に点滴の針が痛々しい。薄い毛布さえ持ち上げることさえ難しそうな母の浅い呼吸