蜻蛉玉(とんぼだま)は硝子を溶かして作る。それは火との格闘で、始める前に心の準備がいる。火を付けたら仕上がるまで止めるわけにいかないので、気持ちが乗った時にしかバーナーに向かわない。上手くいくとき、そうでないときもあり、特に選ばれた玉が簪(かんざし)となる。簪は挿す本人には見えないから、どの面も見映えすることを心がけている。そして玉が出来たら、その穴に合わせ木を削る。自分にとっては、玉を作るのも木を削るのもけっこう大変な作業だ。 出来上がった簪を撮影するのは楽しい時間。いろ
黄色に少々緑がかった硝子。黄色とも黄緑とも言いがたく、イエローと呼んでいる。外の光にかざして見ていたら、コールドプレイの曲「Yellow」を口ずさみたくなったから。 皮をむいた蜜柑のようだから蜜柑玉。涼しげな彩りとなる簪(かんざし)。
瑠璃(るり)と名付けたこの青い硝子の玉を空にかざして見ていたら、「地球は青かった」という言葉が浮かんだ。1961年、世界で初めて宇宙飛行したガガーリンの名言とされているが、実際は「地球は青みがかっていた」と訳すのが正しいらしい。どちらにしても地球に暮らすものにとっては空も水も青。人はいろんな青色の中で生きている。 ガガーリンが見た景色よりはるかに小さいが、この簪(かんざし)の玉も見飽きない青の世界がある。写真では本当の美しさが伝わらない。 皮を剥いた丸ごと蜜柑のようだから
瓶覗き(かめのぞき)とは、藍で染めたものの最も薄い色を言う。 その名の由来は「藍の染料を入れた瓶の中に、覗くように布をちょっとだけ浸けた」「藍瓶に張られた水に空が映り、それを人が覗き見た」という2つの説がある。個人的には後者だったら素敵だなと思う。 自作の蜻蛉玉(とんぼだま)に名を付けるのに、吉岡幸雄さんの「日本の色辞典」を参考にしている。初めてその本を開いた時、色の名の多さに驚いた。しかも響きの美しい言葉が並んでいる。そしてその由来を知ると、ものを大切にし、色を愛でた昔の
赤玉簪は粋な演出の定番。珊瑚、瑪瑙、木に春慶塗りも綺麗。私は硝子で作るから、硝子にしか出来ない意匠を施したい。赤い玉の奥には無数の筋が交差している。
「縞」とはなんと人を粋にみせるものだろう。浮世絵や江戸のドラマで目にする縞柄の装いにそう思う。鈴木春信の描く縦縞の着物の女性はスレンダーでかっこいいし、歌川国貞の描く縞の色合いも日本的で美しい。 同じ幅が並ぶ「棒縞」、太い縞のそばに細い縞が並ぶ「子持ち縞」、様々な幅や色が不規則に並ぶ「矢鱈縞(やたらじま)」、、縞にもいろいろある。 写真の青縞は少々よろけたが、「よろけ縞」も悪くない。
皮を剥いた丸ごと蜜柑のようだから蜜柑玉。品のある紫には桔梗と名付けた。もうひとつは青とも緑ともつかない微妙な色合い。硝子の表面の切り込みが、陽の光を浴びて味わい深い表情を見せる。夏におすすめの「涼」を感じる簪。
無色透明の硝子もちょっとした工夫で質感を面白くすることができる。切り込みを入れると透明の中にも濃淡ができ、雰囲気のある玉となる。この玉は皮を剥いた丸ごと蜜柑のようだから「蜜柑玉」。涼を感じる無色透明の玉には「氷」と名付けた。
クロアチアの海岸沿い350kmほどを車で移動したことがある。助手席からアドリア海を何時間も眺めていた。日本の海では見たことのない鮮やかな青と緑が微妙に変化しながら続いていく。青は無限だと感じる。そんな派手な海を見ながら、自分は日本海の色が落ち着くと思ったりもする。 昔の人は自然界の色に美しい名を付けた。浅葱(あさぎ)、縹(はなだ)、甕覗(かめのぞき)、藍鼠(あいねず)、紺、藍、、、みんな青。 「青」を硝子で表現しようと模索している。それは永遠のテーマだ。
身に付けるものは派手過ぎずシンプルなものがいい。そういうものを作ろうとすると、日本の伝統文様に辿り着く。それは自然界にあるものを出来る限りシンプルにした究極のデザイン。江戸時代に庶民の間で流行った文様や色は今も粋なものとして存在している。その中でも特に「縞」「七宝」に心惹かれ、硝子で表現出来ないかと取り組んできた。と言って日本の文化にどっぷりしているわけではない。私が作る簪は和装だけでなく普段着の洋服にも合うと思っている。 氷に花七宝、涼しさを髪に。
みどりさんは近所に住む和裁士。ネット上で気になった簪(かんざし)が自分の家から歩いて5分とかからない店から発信されていると知り、財布を握りしめて来店してくれたのは2013年の春だった。それ以来、私の簪を愛用してくれている。写真の簪は彼女との思い出のあるものなので「みどり」と名付けている。 みどりさんと出会ってから着物への関心が高まっていった。和裁士、呉服店や旅館の女将と、私の身近には着物が日常である人たちがいるが、みんな身のこなしが美しい。それが着物の魅力を発揮する。素人の
水々しく爽やかな檸檬色の蜻蛉玉(とんぼだま)。梶井元次郎の小説「檸檬」の中のフレーズを思い出す。 「あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られた。。」ここで言うびいどろとは色硝子のおはじきのこと。硝子細工は、作る過程も出来上がったものも飴細工と似ている。口に入れたいと思う気持ちがわからなくもない。 硝子と檸檬が似合う季節がやってくる。
この簪(かんざし)は紫が美しい5月に制作した。光によって見え方が変わるこの蜻蛉玉(とんぼだま)も菖蒲やかきつばた、藤などを連想する。陽が沈むと深紫(こきむらさき)となり特別感がある。蜻蛉玉はそれぞれが一期一会。これはずっと眺めていたいひとつ。 この簪(かんざし)は、ある琵琶奏者をイメージして制作しました。桜吹雪の中で琵琶を奏でるその女性の黒髪には品のある紫の玉が似合うと想像しました。
20年ほど前、高山で蜻蛉玉(とんぼだま)の展示会をしたときのこと。展示会場に気になるカップルがいた。男性は大柄でスキンヘッド。女性は目元が印象的な知的美人風。大きな男性の隣で女性はずいぶん小柄に見えて、なんとも目立つお二人。長く私の作品に見入っているので声をかけてみた。それが浜松の小間物屋「ぶん屋」さんとのお付き合いの始まり。今は引っ越され、袋井市で営んでおられる。 後になって知ることになるが、ぶん屋さんは自分達のイメージを形に出来る蜻蛉玉職人を探し、あちこちを旅されていた
蜻蛉玉簪(とんぼだまかんざし)を作り続けて20年ほどになる。蜻蛉玉の店を営みつつ、試行錯誤を重ねながら、簪は今の形となった。最初のきっかけは夫だった。 20年以上前、夫はナイフ作りに夢中になっていた。自作のカスタムナイフを腰にぶら下げ、アウトドア仲間と自慢し合ったり、ナイフメーカーを訪ねたりしていた。その持ち手の材となる木が美しかった。アイアンウッド、スネークウッド、タガヤサン、ココボロ等、普段目にすることはない珍しいものを使っていた。その端材を細長く削って私の作った蜻蛉玉