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簪100本計画

20年ほど前、高山で蜻蛉玉(とんぼだま)の展示会をしたときのこと。展示会場に気になるカップルがいた。男性は大柄でスキンヘッド。女性は目元が印象的な知的美人風。大きな男性の隣で女性はずいぶん小柄に見えて、なんとも目立つお二人。長く私の作品に見入っているので声をかけてみた。それが浜松の小間物屋「ぶん屋」さんとのお付き合いの始まり。今は引っ越され、袋井市で営んでおられる。

後になって知ることになるが、ぶん屋さんは自分達のイメージを形に出来る蜻蛉玉職人を探し、あちこちを旅されていた。そして高山で「見つけた」と思って下さったらしい。もっともその頃の私は始めたばかりの未熟者で、それを承知の上で「可能性を感じた」のだそう。いきなり蜻蛉玉を仕事にしてしまい方向を迷っていた私にはとても嬉しい出会いだった。望まれての仕事、そして思いは共感できるものだった。それから私はぶん屋さんの声に耳を傾けながら蜻蛉玉を制作してきた。ぶん屋さんに育てられたと言っても過言ではない。

出会って早々にぶん屋さんは私の簪(かんざし)を気に入ってくださり「100本並んだのを見たいから100本は注文する」と。それは私もぜひ見てみたいと思い、作った簪をせっせと浜松に送ることになった。最初は楽に考えていたが、それは簡単ではなかった。一緒にイメージを考え形にしていくことは、楽しくもあり苦しくもある作業だった。なかなか思い通りに作れない。店頭に並ぶのは苦労の結晶だ。そしてとっくの昔に100本は送ったが、ぶん屋さんは上手に売って下さるのでなかなか目標に到達しない。未だに100本並んだ景色は見ていないが、まだ諦めてはいない。

蜻蛉玉を始めた頃は10年作り続けたらすごい人になっているかもと思っていたが、20年以上経ってもそうはなっていない。たまに良しと思うこともあるが、作っても作っても不満は出てくる。そんな中、ずっとお付き合い下さっているぶん屋さんには感謝しかない。

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