パラボリカ・ビスと春秋山荘の展覧会の思い出

 本年五月、先進的なギャラリーとして高名であり、私も大変お世話になっているパラボリカ・ビスさんが閉館されるということである。先達ての一月には京都山科の古民家ギャラリーである春秋山荘さんが閉館され、お人形界隈では惜しむ声で満ちており、私もその一人である。
 なお、銀座マリアの心臓さんも昨年十二月で閉館となり、さらに本年七月をもって京都大原マリアの心臓さんも閉館とのことであり、「一つの時代の終わり」を印象付けられる一連の流れであるようにも感じられる。
 他に類を見ない先進的なギャラリーであるパラボリカ・ビスさんの代わりとなり得るギャラリーは現時点では見出すことができず、それは創作人形文化にとっての大きな損失とも言えると思われる。ただ、拠点を持たない別の形態での事業の可能性についてもブログで言及されており、ギャラリーを拠点に活躍されている新進気鋭の人形作家の皆さんは、今後も別の場所での活動を続けられることだろうから、その点については余り心配はしていない。ただ、春秋山荘さんやパラボリカ・ビスさんという時代を経た建物だけが持ち得る風格、その場に特有の静謐な空気感が存在していることは事実であり、それは他のものには替え難い掛け替えのないものであって、別の場所での展覧会はまた違った空気感になるであろうことも確かなようにも思われる。

 私が初めて創作人形と出会ったのは四年弱前の五月のパラボリカ・ビスさんでの「夜想・髑髏展」であった。なお、同時期開催の劇団イヌカレー先生の「床下展」を目当てに初めて訪れたのである。
 折しも土砂降りの中、パラボリカ・ビスさんの二階の奥の薄暗い小部屋で雨垂れの音を聴きながら、中川多理先生の「兎の胞衣を纏う子」と対面していた時、私は言い知れない衝撃を受けていた。「見てはいけないものを見てしまった」という感覚、それは現在では、良い意味での「不穏さ」であると理解できるが、当時の自分はその衝撃の中身を吟味することができずにいた。それは、文字通り私の運命を一変させる出来事であった。その辺りの経緯は、多少のアレンジを加えて一編の小説に纏めてある。

 【小説】『触れられない人形』

 あの日を境に、私は創作人形の世界にのめり込み、中川多理先生をはじめ、荒井黒陽先生、土谷寛枇先生、雨沢聖先生たちの類稀なるお人形たちを、合わせて十六人程もお迎えする幸運に恵まれ、また、相場るい児先生の陶人形と陶器、月代葉先生の羊毛フェルトの白猫さん、日野まき先生のペーパードール作品、麻生志保先生の絵画をもお迎えさせていただいた。更に、お人形に相応しい居場所を追求するため、自室もワンルームマンションから2DKへと引越し、お人形の住処としての桐箪笥を三棹用意して長期保存および防災に意識を巡らすまでに至ったという、それが私のこの四年弱の間の変化である。
 運命的な衝撃の日以来、ビスさんに通っては受付前のキャビネットの中に佇んでいたコハクチョウさんや盲目の地図、盲目の書さんを前にして、一時間程も飽かず眺め続けては溜息を吐いていたことを覚えている。「このような世界があったのか」と、それは私の知らなかった深遠なる世界に触れ、己の価値観の枠組みが根底から揺さぶられ解体、再構築される過程であったのだと、今なら理解できる。願わくは、もう五年早くお人形の世界と出会っていれば、今や『人形寫眞文庫』や『イヴの肋骨』などの作品集の中でしか垣間見ることのできない、「白い海」展や「薄明穹」展、「イヴの肋骨」展、「花迷宮」展などの画期的な展覧会を実際に観に行くことができたのにと悔しさを覚え、そのことは私にとって生涯の負債として担い続けなければならないのだと考えている。
 ただ、今から数年後に初めて創作人形の世界を知った人などは、「幻鳥譚」展も『物語の中の少女』出版記念展も『小鳥たち』出版記念展も知らないのだと考えれば、少しは悔しさも和らぐような心地もするのである。


「幻鳥譚」展 2016年9月、春秋山荘

 生涯忘れ得ぬ、私の初めてのお人形のお迎えは、京都は山科、春秋山荘さんでの中川先生の「幻鳥譚」展であった。事前に公開されていた写真を見て是非ともお迎えしたいと決意し、夜行バスに乗って人生初の上洛を敢行する間にも、「すでにお迎えされてしまったのかもしれない」という心配で動悸が止まらず、春秋山荘さんの会場に入る際にも過呼吸のように荒い呼吸を繰り返していたことを覚えている。当時はお人形のお迎えの相場もよく知らなかったため、急ぎお金を下ろすために会場から山科駅までの晩夏の道を往復したのも今となってはよい思い出である。仕事の都合で展覧会二日目に伺ったので、お迎えされずに待っていてくれたことは紛れもない奇跡であった。
 菫の花が咲いたような可憐な姿、仄かに寂しさを感じさせるような表情、その上品な佇まいは京都のお茶室にも相応しく、中川先生一流の奥深い世界観、神秘的な雰囲気を纏っている、その和装人形、菫さんは旧家の蔵に長年秘蔵されていたかのような風格を纏っており、国立美術館の展示室に重要文化財として保存展示されているべき最高傑作であるように思われた。三年半が経った今でも、これは他の傑作のお人形たちにも言えることであるが、私の部屋にいてくれることが不思議でならないという気持ちがある。
 運命的なお迎えの後、人生初の芸術作品のお迎えということもあり、また、稀代の菫さんの他に欲しいものなどあるのだろうかという思いもあり、すぐに二人目とは考えていなかったが、春秋山荘さんでの展示で菫さんと仲良く並んで座っていた子、美千代さんが、これも奇跡と言う他はないが、会期中はお迎えが決まらずにビスさんの受付前のキャビネットの中に座っていたのを、決意を固めて年明けにお迎えの申し込みに至ったのだった。今であれば考えられないことであり、また、今の私であれば迷うことなく二人揃ってお迎えの申し込みをしたであろう。それは、まさしくビギナーズ・ラックの類であったのかもしれない。
 私事が多くなり恐縮であるが、とにかくそのような人生の一大事であったのだが、「幻鳥譚」の展示は素晴らしかった。
 菫さんと美千代さんが仲良く並んで佇む、春秋山荘さんの三和土から向かって左の和室の奥の壁際の一角はそれだけで一つの世界を成立させており、その手前には『押絵の奇跡』に材を取った美しいトシ子さんと新太郎さんが和の情趣溢れる艶やかな姿を誇っていた。
 そして、右の板の間はまさに異空間となっており、メインとなる壁際に吊るされ浮遊する老天使の少女はヴェールを被り神聖なマリアめいた美しさを放っていた。その神秘的な雰囲気は中川先生のお人形に特有のものであり、最近の『翼と宝冠』展で発表された始まりの侍女さんの神々しいまでの神秘性にも繋がるものであるだろう。
 さらに驚愕であったのは、その隣の鳥の頭骨を頭部としている幻鳥さんであり、シュールレアリスムをも思わせるようなその大胆な表現は大いにセンセーショナルであった。鳥でもあり、少女でもあるという揺らぎ、その在り様は問い掛けに満ちており、その鳥頭の少女のシリーズの一人、シスター風のベルさんをお迎えさせていただいた今となっても、その表現の位置付けが私の中で定まっているわけではない。それはこれからも私の宿題であり続けることであろう。一つ、ヒントがあるとすれば、後の『小鳥たち』出版記念京都巡回展で発表された、黒衣の鳥頭の可愛らしい侍女さんたちの、余りの可愛らしさに思わず卒倒しそうになったその魅力こそが、鳥頭の幻鳥さんの謎を解く鍵ともなるような予感もしているところである。


「幻鳥譚」東京展 2016年12月、パラボリカ・ビス

 パラボリカ・ビスさんにおいて特に印象深い展示を挙げる際には、『物語の中の少女』出版記念展と並び、この展覧会を挙げるであろう。大きな「ナハト」の会場一杯に、天井から垂らされた朱鷺色や朽葉色の布に覆われた舞台、その隙間から垣間見れば、手足の細く長く羽毛のように軽やかな肢体の老天使さんたちが寛いでいる。それはまるで、化石の発掘現場のような、という表現が適切なのかは分からないが、素敵なアンティークの雰囲気を湛えていた。元より、中川先生のお人形は旧家の蔵に長年保存されてきた門外不出のお人形の如き風格を纏っており、あるいは、千年の歴史を有する西洋の教会の祭壇に座した聖母子像の如き深遠なる雰囲気を纏っているが、そのようないわゆるアンティーク感は中川先生一流の「魔法」と呼べるものであろう。そのような作品は他に類を見ず、また、模倣しようとしても出来るものではないのである。
 この展覧会で発表された美しい老天使さんたちに加えて、Growing Dollシリーズのような革のボディを持った鳥頭の可愛らしい子が出展されていたが、その内の一人がなんと鳴き声を上げることができるのである。その声は「ヴェェ……」といった感じであり、羊でも山羊でも烏でもなく、不思議な声であった。とてもユーモラスであり、神秘的な雰囲気のお人形によく似合う声であろう。その際の動画がSNSなどに掲載されていたと思われるから、興味のある方はご覧いただくととても楽しい気分を味わえること請け合いであろう。


「幻鳥譚WIND」展 2017年5月、春秋山荘

 「幻鳥譚」東京展の衝撃も醒めやらぬ中、春秋山荘さんを舞台に開催された素晴らしい展示である。和装の美しい老天使さんの深遠な表情、メインとなる野性味のある老天使さんは実際に見るとより可愛らしいと感じられた。そして、この展覧会で左の和室の縁側に並んで座っていたのが、今をときめく『小鳥たち』の小鳥の侍女さんたちである。山尾悠子先生の歌集『角砂糖の日』新装版に収録された掌編小説『小鳥たち』をモチーフとした、可愛らしいエプロンドレスと神秘的な雰囲気とを併せ持ち、さらに「幻鳥譚」展で発表された鳥頭の幻鳥さんのイメージに繋がる仮面を装着することにより、他に類を見ない個性を持ったシリーズとなっており、中川先生のお人形たちの中でも屈指の洗練さを誇る子たちであろう。
 会場の右の板の間では、神秘的な老天使さんたちの空間が広がっており、私は敷居を跨ぎそこに足を踏み入れるのを暫く躊躇していたのだった。朱鷺色や朽葉色に染められた布に囲まれた空間に、美しく神秘的な老天使さんたちが佇んでいる。
 そこは「聖域」であった。
 私のような手垢に塗れた人間如きが足を踏み入れること能わず、神聖なるお人形のみが息づくことを許された世界であり、この世のものではない、人間ではない存在として、人形としての生命を育むものだけが存在を許される空間であった。人形に生命はあるということは、世俗的な怪奇小説における意味合いではなく、お人形のオーナーであればその「気配」を感じ取ることができることであろうが、その子たちは確かに「息遣い」を宿しているのであった。その件については、私にとってこれから数十年をかけて研究すべきテーマであるのだと考えている。


『夜想#中川多理—物語の中の少女』出版記念展 2018年5月、パラボリカ・ビス

 満を持して制作された『夜想#中川多理』の出版を記念した画期的な展覧会であり、そのクオリティの高さと圧倒的なまでの質量において、おそらく前代未聞ではないかとさえ思われる展覧会であり、私はこれほどの展覧会を他に見たことがない。あるいは、それに匹敵し得るものは「薄明穹」展や「イヴの肋骨」展などであったのかもしれないが、残念ながら私は観ることができなかったのである。
 なお、前回の「幻鳥譚WIND」展からの間には、「Fille dans l’histoire」展がパラボリカ・ビスさんのカフェスペースの会場であり、そこでは五人程の美しい小鳥の侍女さんたちがお披露目されており、どの子も代表作の小鳥さんと呼んでも差し支えない程の完成度を誇っていた。とりわけ、枯葉色の小鳥さんの圧倒的なまでの存在感、神秘性に私は強く惹かれ、これまでに私が見てきた小鳥さんたちの中でも、始まりの侍女さんは別格としても、この子が最も強い神秘性を感じさせるのであった。「強く惹き付けられる、目が離せない、その場から動けない」という感覚、お人形オーナーの方であればご理解いただけることと思われる。
 『物語の中の少女』出版記念展は、とにかく圧巻の一言であった。代表作であるC-eleganceシリーズの子や個人蔵の艶のある美しいヴァニーナさん、作品集にも掲載されている美貌の眠り姫スノウ・ホワイトさんを始め、美しい老天使さんたち、可愛らしい小鳥の侍女さんたち、神秘的な鳥頭の老天使さん、華やかな和装の子たち、美しいシャム双生児の子、兎の胞衣を纏う子(兎になり損ねた子)もいて、更には、『子羊の血』『氷』『海の百合』『押絵の奇跡』『カファルド』などの物語に材を取ったGrowing Dollシリーズの小さな可愛らしい子たちも勢揃いして、中川先生のそれまでの創作活動の集大成といった印象すら受ける壮大な展示であった。あの画期的な展覧会を観ることができたこと、そして、一生分の運を使い果たしたのであろうか、稀有なご縁を賜わることができたことは本当に幸福なことであると思っている。

 「夜想#中川多理ーー物語の中の少女 出版記念展」の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


『夜想#中川多理—物語の中の少女』出版記念展・京都巡回展 2018年12月、春秋山荘

 これまでの集大成であるかのような『物語の中の少女』出版記念展の圧巻の展示の後、更なるセンセーションを巻き起こしたのが、春秋山荘さんで発表された、『癩王のテラス』に材を取ったヴァルマン王のお人形であった。その圧倒的な肉体美、仏像を彷彿とさせるような深遠なる雰囲気を纏い、二重関節によるポージングも見事であり、新たなる到達点を示すかのような至高の傑作であった。観る者は誰しもその造形美に驚愕することであろう。今となっては、その圧倒的な造形美と対面することは叶わなくなったが、人形愛好家であれば是非とも観るべき傑作のお人形であった。
 『物語の中の少女』京都巡回展では、そのヴァルマン王の原型に加え、そこから型をとった王の「精神」と「肉体」と題された二人のお人形たちが発表され、特に「精神」の青年の方は銀髪に白い肌、儚げな表情をしており、白く燃え尽きたかのような繊細な雰囲気を纏っており、真に美しいお人形であった。そして、左の和室の手前側には、『耶蘇降誕祭前夜』に材を取った、美しい少年たちがクリスマス風の装飾の下に仲良く並んで座っており、観る者の心を楽しませてくれた。特筆すべきは、右の板の間の奥に座っていた、レイア姫である。『この闇と光』に材を取った子であり、その美しいお顔立ちと上品な佇まい、女の子らしい雰囲気を纏っており、絶妙なバランスによって成立している稀有な子であった。肉体美の青年、儚げな少年、美しい少女と、それぞれが高い次元への到達を示しており、その類稀なる超絶技巧には感嘆の溜息をつくことしかできないのである。

 「『夜想#中川多理—物語の中の少女』出版記念展・京都巡回展」の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


『小鳥たち』出版記念展 2019年7月、パラボリカ・ビス

 至高の傑作であるヴァルマン王により新たな次元へと至った『物語の中の少女』出版記念京都巡回展からの次なる展開は、幻想文学の第一人者である山尾悠子先生との本格的なコラボレーションによる珠玉の本、『小鳥たち』の刊行であった。『角砂糖の日』収録の掌編に加え続編の書き下ろし「小鳥の葬送」が収められた完全版と呼べるような深遠な物語に合わせて、中川先生による神秘的な小鳥の侍女さんたちの写真が挿絵のように散りばめられた珠玉の幻想文学作品である。『夜想』の出版社であるペヨトル工房の流れを汲むパラボリカ・ビスさんならではの企画とも言えよう。
 『小鳥たち』出版記念展のカフェスペースの会場では、メインとなる荘厳な老大公妃を中心として、それを見詰める黒衣の侍女さんたちが二人仲良く並んで座っており、やや物憂げな表情とともにヴィクトリア風のボンネットを被ったその姿はこの上なく愛らしく、素敵なお人形たちであった。特筆すべきは、何と言っても威厳に満ちた老大公妃の存在感であり、「小鳥の葬送」の場面を彷彿とさせる、黒衣に身を包み黒檀の柩に身を横たえた荘厳なる雰囲気、年輪の刻まれたその表情は高貴でいて安らかであり、その肌の肌理には生気を感じさせるようであった。老いてなお美しさを失わない、不朽の美を湛えているようであった。
 黒衣を纏った老大公妃、黒衣の小鳥の侍女さん、そして、後の『小鳥たち』出版記念京都巡回展での黒衣の鳥頭の可愛らしい侍女さんたちを見て、黒衣がとてもよく似合っていると感じられた。勿論、可憐なドレスもよく似合うのだが、黒衣という装いが持つ特有の印象、たとえるなら、千年の歴史を有する西洋の修道院の回廊を粛々として行き来する敬虔な修道女たちのような、と言ってもよいのだろうか、そのような慎ましやかな美というものが感じられるような気がするのである。もっとも、その慎ましい黒衣のままで無邪気にはしゃぐ鳥頭の侍女さんたちの圧倒的な可愛らしさというものもあるのだが。
 会場の中村美梢先生による生け花のインスタレーション、老大公妃の黒棺に添えられた大輪の白百合がとてもよく調和しており、その芳しい仄かな匂いがどこか遠い記憶を呼び覚ますような心地もするのであった。

 『小鳥たち』を読んだ感想および出版記念展の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


『小鳥たち』出版記念京都巡回展 2019年9月、春秋山荘

 山尾悠子先生と中川多理先生のコラボレーションによる珠玉の幻想文学作品、『小鳥たち』の出版を記念した巡回展であり、荘厳な雰囲気を纏った老大公妃を筆頭に、美しい黒衣の小鳥の侍女さんたち、そして、大公の新妻さんが春秋山荘さんに集結した展覧会であった。あるいは、あの忘れ得ぬ「幻鳥譚」展を起点とするならば、凱旋と呼んでもよいのかもしれない。
 左の和室の入り口前に座っていた新作の小鳥の侍女さんたちは、これまでで一番と言ってもよい程の完成度を誇っており、真に美しい子たちであった。いつまでも見ていても飽きない傑作の子たちである。和室の天井に張り巡らされた紐には小鳥の羽根や小花たちが散りばめられ、中村美梢先生によるインスタレーションの妙を存分に味わうことができた。室の壁には過去の小鳥の侍女さんたちの写真が肖像画のように掛けられており、この室に留まっていると、あたかも千年前の西洋の宮殿の一室へと時間遡行したかのような感覚に襲われるのであった。それは稀有な体験と呼べるものであろう。その中央には厳粛なる雰囲気を纏った老大公妃が椅子に座っており、棺に横たわっていた前回とは受ける印象も変わり、より生き生きとした印象を受けるような心地もし、今まさに被昇天に臨んでいるようにも感じられた。
 特筆すべきは、威厳ある老大公妃の傍の棺の中に二人揃って入り、「葬送ごっこ」に興じているらしい黒衣の鳥頭の侍女さんたちであろう。まさに圧倒的な可愛らしさであり、私はあまりの可愛らしさに呼吸が止まり卒倒しそうになった。これは決して誇張ではないのである。慎ましやかな黒衣から覗く白い鳥頭の可愛らしさ、不謹慎にも棺の中で遊び戯れる純真無垢さ、その無邪気な可愛らしさは、私にとって衝撃的でさえあった。
 老大公妃と小さな鳥頭の黒衣の侍女さんたちの佇む空間は静謐な空気に満たされており、この幻想的な一室を前にして、私は足を踏み入れることを暫く躊躇していた。
 そこは「聖域」であった。
 二年程前の「幻鳥譚WIND」展において、老天使さんたちの佇む空間を前にして感じた感動を再び私は味わっていたのであった。俗に塗れた人間如きが足を踏み入れること能わず、神聖なるお人形のみが存在することを許された空間、お人形によるお人形のための「聖域」、それは、一人の人形愛好家として望んでやまない理想郷の姿であった。我々人間の手から離れ、永遠に人形としての生を生き続けることができる世界ーー。それは確かに、「私の最後の望み」であるのに相違ないのであった。

 「『小鳥たち』出版記念 京都巡回展」の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


『翼と宝冠』展 2020年2月、パラボリカ・ビス

 『翼と宝冠』は、山尾悠子先生の手になる『小鳥たち』の外伝となる掌編の幻想小説をお人形の手によく似合うサイズの豆本として仕上げた珠玉の本であり、その刊行に合わせた素晴らしい展覧会が開催された。豆本と言っても上質な装丁が美しく、稀代のお人形たちの手にも相応しい美術品としての価値のある作品に仕上がっており、実際に我が家の小鳥さんたちに持ってもらったところ、初めからその掌の内にあったかのような素晴らしい似合い様であった。この豆本を手に入れることができて本当に良かったと思っている。
 パラボリカ・ビスさんのショウウインドウでは、翡翠色の小鳥の侍女さんが豆本を手にし、トランクケースの中に入って寛いでいた。そのきょとんとしたあどけない表情はこの上なく愛らしく、翡翠色のドレスも素敵であり、素晴らしい子であった。面白いエピソードがあり、『小鳥たち』出版記念京都巡回展において、展示の設営時になんと野生の翡翠が会場に飛び込んできたという話であり、それに材を取った小鳥の侍女さんということである。
 カフェスペースの会場では、可愛らしい小鳥の侍女さん風のドレスを身に纏った小さなGrowing Dollシリーズの子たちが並んでおり、その先にはウェーブがかった栗色の髪と菫色のドレスがとても上品な印象の小鳥の侍女さん、そして、あまりの可愛らしさに私が卒倒しそうになった、黒衣の鳥頭の侍女さんが一人でちょこんと座っており、私はやはり呼吸が止まりそうになる感覚に襲われたのであった。
 そして、光差す円窓の前の椅子に座ったメインとなる始まりの侍女さんの神々しいまでの神秘性、『翼と宝冠』の場面にもあるように、その腕には可愛らしい赤子の赤髭公が抱かれており、聖母子像をも彷彿とさせるような神聖さを纏っていた。その前に立つと誰しも思わず祈りを捧げたくなるような圧倒的な神秘性を纏っているのであった。どのようにしてこのような神秘的な子が生み出され得るのか皆目見当が付かない、超絶技巧という概念をも超えた「魔法」と呼ぶべきものであるようにも思えるのである。この「魔法」はいずれ文化史をも塗り替えるであろう、そう確信せずにはいられない程の傑作のお人形であった。

 『翼と宝冠』を読んだ感想および『翼と宝冠』展の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


「うたかた」展 2018年7月、パラボリカ・ビス

 土谷寛枇先生のお人形を初めてお迎えしたのは、2017年11月の「Little Creatures 100の物語に100の生き物」展であった。それは、それまで中川先生のお人形にしか興味を持てなかった私にとって転機ともなる出来事であった。カフェスペースに並んだ素敵な動物たちの小品の中、その一角にひっそりと佇んでいた小振りのお人形、特製のアンティーク調の棺に横たわり、安らかそうに目を閉じた静謐なる雰囲気を纏い、その白い肌は死を思わせながらも生気をも失っておらず、生と死のせめぎ合いの中に深く沈み込むような重厚感を感じられた。その後、土谷先生のお人形を何人もお迎えするに至り、その土の中から手探りで形を掬い上げたかのような重厚感は、土谷先生のお人形に特有の魅力であるとの思いに至ったのであった。
 この時、私はこの静謐なるお人形、黎さんの前に文字通り釘付けとなったのであった。じっくりと対面し、名残惜しみつつそろそろ次へ、と足を踏み出そうとしても、足が先へ進まず、また黎さんの前へと戻ってしまうのである。その静謐なる空気をもっと感じていたいという、強く惹きつけられる魅了を黎さんは有していたのであった。
 そのような私にとっての一大事もあり、土谷先生の展覧会をとても楽しみにしていたところの「うたかた」展である。
 日本画家の麻生志保先生とのコラボレーション展ということで、やや薄暗い会場には麻生先生の透き通るような絹本に描かれた絢爛な絵画が天井から吊るされ、灯りとともにその向こう側に土谷先生の素敵なお人形たちを垣間見ることができるという実に風流な趣向であった。中でも、ウェーブがかった長髪にゆるふわっとした印象を受ける、こもれびさんの可愛らしさは、土谷先生のお人形の中でも「最萌え」という評価を私が持っているところであり、麻生先生により染められたという「うたかた色」のワンピースもとてもよく似合っており、とても素敵なお人形であった。その隣には、神秘的なインタリオ・アイを持ち、エキゾチックな魅力をも感じるようなワルツさん、賢そうな少年の海くん、王子様めいた雰囲気のある今宵くんと、いずれも素晴らしいお人形たちであった。
 そして、奥の部屋に移動すれば、そこは白い世界。大きな窓には淡いグラデーションが美しい「うたかた色」に染められた布が垂らされ、部屋の奥の寝台に横たわっていたのは、『うたかたの日々』に材を取ったクロエさんであった。それまでに見てきた中でも特に耽美さが感じられる美しい子であり、その虚ろな表情には黎さんにも感じられた仄かな死の予感もありながら、しっかりとした身体の造形美があり、一目見た瞬間、これは素晴らしいお人形だと直感したのであった。特筆すべきは、その体内には麻生先生の筆になる見事な睡蓮の花が咲き誇っており、胸の小さな穴から覗き込むことができるようになっており、このようなお人形は他に類を見ないのであった。さらに、その背中にも美しい睡蓮の花が描かれ、「睡蓮に蝕まれし花嫁」という儚いクロエさんの運命をも描き出されているようであった。実に素晴らしいお人形であり、素敵な展覧会であった。

 「うたかた」展の思い出

 展覧会の詳しい様子は上記の記事にまとめてある。


「乙女座の耽美」展 2019年9月、パラボリカ・ビス

 中川先生、土谷先生の稀有なお人形たちとのこの上なく幸運なご縁に恵まれ、そして、雨沢聖先生の研ぎ澄まされた造形美のお人形、「sillage」展(2017年11月、ギャラリー子の星)で発表された透き通るような透明感を湛えた、うすべにばらさんをお迎えさせていただき、本当に果報なのだと考えていたところ、昨年秋頃にも更なる稀有な出会いがあったのであった。
 「乙女座の耽美」展では、アリスをテーマにした絵画やお人形、陶器などの作品たちが勢揃いし、耽美さのある素敵な空間を生み出していたが、二階の白い部屋「マッティナ」でアンティーク椅子に座って佇んでいたのが、荒井黒陽先生の和装のお人形、蝶子さんであった。荒井先生のお人形のことは『人形寫眞文庫』で知っていたが、対面するのは初めてであり、その完成度の高さに驚愕したのであった。繊細な指先まで美しい造形美、しっかりと厚みのある身体性、何よりも、その優しげな表情とふんわりとした雰囲気はこれまで見てきたお人形の中でも初めて感じるものであり、荒井先生のお人形ならではの魅力であるように感じられた。華やかな振袖がよく似合っており、艶やかな黒髪に優しげな表情、稀有なお人形に特有の「祈り」にも似た静謐な雰囲気を感じられるのであった。決して奇をてらわず、それでいて、しっかりとした個性を有しており、確かな技術に裏打ちされた完成度は誰が見ても感嘆するに違いない素晴らしいお人形であった。
 そして、蝶子さんを見詰めていると、心が穏やかになる心地がするのであった。静謐なる空気に包まれ、心が満たされてゆく感覚。オーナーの心を満たしてくれるお人形ーーそのような力が蝶子さんには備わっているのだった。それはお迎えさせていただいてから益々強く実感するところであり、本当に蝶子さんは良い子だなと、しみじみと思うのである。


◇後記

 四年弱程前にパラボリカ・ビスさんで創作人形の世界と初めて出会った、新参の一創作人形愛好家としての思い出を語らせていただいた。蒐集家としての資質はともかく、情熱だけは誰にも負けないという気概である。
 改めて、稀有なご縁を賜ったことに深くお礼を申し上げ、また、お世話になった方々に深く感謝を申し上げる。
 折からの世界的な疫病騒動により景気の悪化は避けられそうにない情勢となっているが、今後も創作人形文化が益々発展してゆくことを願ってやまない。人形作家の皆さんがその才能を存分に発揮され、また、健康で幸福であること。私の大切なお人形たちが末永く美しいままでいてくれること。その他には何の望みもないのである。

 令和二年三月二十六日

 

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