「うたかた 麻生志保×土谷寛枇 二人展」の思い出

去る七月七日の七夕より、八月十一日まで、パラボリカ・ビスで開催されている「うたかた」展を観に行ってきた。日本画の麻生志保先生と球体関節人形の土谷寛枇先生のコラボレーション展ということで、何が飛び出すのか、期待を胸にギャラリーへと向かった。ちなみに、この前日にボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』を読み終えて予習を済ませたのだった。

・うたかた 麻生志保×土谷寛枇 二人展
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2018/06/utakata.html

二階の白い展示室「マッティナ」とその奥の「ターナ」が展示会場だった。
開け放たれた入り口から一歩、足を踏み入れれば、そこはすでに幻想世界である。薄暗い照明、中空に浮かんでいるのは麻生先生の日本画、薄く透き通った絹本に牡丹などの満開の花々が描かれている。大胆にして緻密、躍動感のある画風、この世ならざる雰囲気を醸し出している。浮かんでいるのは勿論、魔法ではなく、天井を見上げれば糸の存在が判る。
その御簾を通した向こう側には、二人の少年たちが佇んでいるのが朧げに見える。その趣向は、なるほど、和室に差し込む障子明かりのようにも感じられる。
御簾を両手にして中央に歩み出せば、そこに佇んでいるのは「ワルツ」と題された少女。焦茶の長い髪にやや浅黒い肌、今にも踊り出しそうな手足の指先の造形、エキゾチックで個性的な顔立ちは土谷先生ならではのものであろう。一般的な美形路線とは一線を画し、独自の個性を持った子たちである。どこか遠い地に暮らす部族のような力強さを秘めた、と言っても良いのだろうか、単純で直線的な美を求めるのではなく、土を耕し、その土から人間が生まれ出ずるような重厚な雰囲気を纏っているようにも思える。
ワルツさんや他の子も、その洋服は、リネンだろうか、土谷先生が仕立てた白地を麻生先生が手ずから染色して作られているそうである。襟元の夕焼けのような橙色と、裾の鮮やかな紫色が印象的に仕上がっている。

ワルツさんの左隣には、「こもれび」さんが座っている。眠り目の可愛らしい子で、見ていると自然と微笑がこぼれそうになる。この子の肌には艶があり、いつもの和紙張りではないらしい。和紙の肌も独特な質感を生み出しているが、滑らかな肌もやはり良い。この子もやはり麻生先生の染めからなる洋服を纏っており、鮮やかなターコイズブルーが夏らしい風情で爽やかな印象を受ける。その中にあっても、しっかりとした造形が存在感を与えているように思える。ワルツさんもそうだが、洋服の下の身体表現もきっと見事であるのに間違いはなかろうと思う。

こもれびさんの左隣には、部屋の入り口の御簾の裏側に見えていた、「海」君が座っている。ターコイズブルーに染められたシャツがよく似合っており、薄暗い部屋だとより深い風合いに見える。ショートヘアに浅黒い肌を持った少年で、少し憂いを帯びているような表情が印象的である。とても良い少年であるように感じられる。
その反対側の御簾の奥には、「今宵」君が佇んでいる。赤から青への大胆なグラデーションのシャツを着ており、左右分けの茶髪の気の強そうな印象の少年に見えるが、じっくりと見るとまだあどけなさも見えてきて、印象も変わってくる。鎖骨のあたりの造形が秀逸な子である。

そうして幻想的な御簾と人形の部屋を一回りした後、狭い隙間を通って、奥の小部屋へと足を進める。
そこは打って変わって、光に満ちた世界。大きな窓には麻生先生の手になる七色の布が下げられており、展覧会のテーマである「うたかた」を表現しているようで、移ろいやすい紫陽花をも彷彿とさせる。部屋に入ってすぐ左手には、麻生先生の絵の入った中国団扇が飾られており、その一つ一つに髑髏や花や少女や銃などの意匠が描かれている、その淡い色彩は紫陽花のようにも感じられる。

部屋の中央まで進み、右手奥には「クロエ」さんが寝台に横たわっている。和紙張りの白い肌は山肌に降った雪のよう、長い焦茶の髪に儚げな表情を浮かべており、病床の身を案じさせる。その表情を見た瞬間、あるいは、その捻りの入った身体の見事な造形を見た瞬間、この子は良い人形だと直感したのである。抜群に良いと感じた。身体表現だけでも見事なオブジェとなり、顔だけでもその性格と背景とを想像させ得る。誠に素晴らしい人形であると瞬時に判った。さらに、その右胸は蓋になっており、それを外すと中の伽藍一杯に睡蓮の蕾が群生しているではないか! これは感動的な光景であろう。このような人形は私の知る限り、見たことがない。その睡蓮の蕾たちは麻生先生の手になる見事な筆致である。胸の穴から中を覗く趣向は万華鏡のようにも思えた。美しい少女人形の右胸から身体の中を覗く……。あるいは、そのような仕掛けをどこかで読んだような気もする。『夜想 ベルメール特集』だったろうか。尤も、土谷先生がベルメールを意識されていたのかは分からない。

その後、三回に分けて、麻生先生によるライブペインティングが行われ、クロエさんの白い肌の背中に睡蓮の花を咲かせる儀式が執り行われた。最初に一筆を入れるのには麻生先生も大いに迷われたことと推察される。それほど、クロエさんは完成された人形であった。この人形に筆を入れる覚悟というのは並大抵ではなかったのではないかと感じられる。その中にあって、三回目の仕上げの時などは、迷いなくすらすらと筆を走らせ、どこからともなく桃色の睡蓮の花が立ち上がり、蓮葉の浮かぶ池が姿を現した時、その仕上がった絵の完成度の高さに、感動を覚えたのだった。この時、どこにもない、見たことのない人形が完成したのだと、達成感めいたものを私も感じていたのだった。ライブペインティングの場に立ち会えたことを心底、良かったと思う。クロエさんの背中に咲き誇る睡蓮を見るたびに、私はこの日のことを思い起こすことであろう。

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