「夜想#中川多理——物語の中の少女 出版記念展」の思い出

五月から六月にかけて、東京は浅草橋のパラボリカ・ビスで開催されていた、中川多理先生の人形展を観に行ってきた。

・夜想#中川多理—物語の中の少女
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2018/05/yaso12_nakagawatari.html

中川先生の人形展は、二年余り前の「髑髏展」が初めてであり、以来、「幻鳥譚」「幻鳥譚 東京展」「幻鳥譚WIND」「Fille dans l’histoire—山尾悠子「小鳥たち」に寄せて」そして、今回の「夜想#中川多理—物語の中の少女」と、通わせていただき、その度に圧倒的な存在感を放つお人形たちを目前にして、言い知れぬ感動を覚えたのだった。そして、幸運にも貴重なお人形をお迎えするご縁に恵まれ、今に至る。

当日、会場風景。パラボリカ・ビスの一階左手のナハトの部屋。打ち放しのコンクリートの床と壁。重厚なドアを押し開けば、まず、目前に「老天使」三人が並んで座っている。「老天使」のシリーズの子は手脚が長く、鳥に変身する、「化鳥」をイメージしているようで、人間ではなく、鳥の面影を色濃く残した造形になっているようである。いずれも美しい少女たちで、伽藍の身体を持ち、一人は手先が鳥のようにすぼまっているようであった。人間の範疇を超えた身体表現が可能になっており、そのために鳥のモチーフが選ばれたことは自然なようにも思える。勿論、人間であっても、「兎の胞衣を纏う子」や「水琴窟」のように、身体表現は無限であるのだろうけれども。群を抜いた耽美さを纏った子たちである。

三人の老天使たちの上には、展覧会のタイトルにもある「物語の中の少女」たちのミニサイズ版の子たちが、それぞれの出典となる書籍とともに、お行儀よく並んでいる。記憶の限りでは、「エレンディラ」「カファルド」「ヴァニーナ」「押絵の奇跡」「スノウホワイト」「レナ&アリツェ」「氷」の子たちがいたと思う。どの子も可愛らしく、自室の机の隅にちょこんと座っていると思わず笑みがこぼれそうな可愛らしい子たちである。この子たちは、『夜想 中川多理特集』の特装版として、書籍と一緒に特製のボックスに入れられてお迎えすることができるようになっていた。このボックスがまた見事なのである。お人形に相応しいアンティーク調の仕上げを施してある。なお、この特装版ボックス形式は、前回の作品集『イヴの肋骨』の展覧会の時も同様であったらしい。

そこから後ろを振り返ると、小鳥たちのシリーズの子たちが佇んでいる。山尾悠子先生の小説『小鳥たち』から飛び出して来たような、アンティークな雰囲気を纏い、エレガントなドレスと前掛けエプロン、編み上げブーツがよく似合っている。誰もが欲しがるような可愛らしさと、中川先生特有の造形美、奥深さを感じさせる存在感とが同居した、至高のお人形たちと言って良いであろう。この子たちも老天使の名を持っており、それぞれの鳥のマスクを被れば一瞬にして鳥に変身することができる。やや暗めの照明の中でも彼女たちの美しさは水際立っている。プラチナブロンドの髪にそばかすの健康的な肌を持った小鳥は、口中に義歯と舌がちらりと見えるのが艶かしさがある。銀髪に菫色のドレスの小鳥は片目に文字が入っており、泣き黒子が印象的な妖艶さのある巻き毛の小鳥、長い黒髪が美しい流し目の小鳥。いずれ劣らぬ綺麗さを誇っている。

その隣には、「物語の中の少女」の中にあっては白一点というべきか、兎の胞衣を纏う子(兎になり損ねた子)が横になっている。小さな耳のある可愛らしい男の子で、脚先は未成長のようにすぼまっている。これから産まれゆく未分化な状態の、『夜想 第二号 ベルメール』の「未生の闇」の言葉を借りるなら、「未生」の状態と呼べるのかもしれない。インパクトのある身体表現でありながら、その穏やかな表情を見詰めていると心地よい感じを受けるという、矛盾するようでいて、実際には何らの矛盾もない、中川先生一流の表現であるようにも思える。

そこから奥へと進む前に、左手のベッドに横たわっているのは、C-eleganceシリーズの子である。中川先生曰く、モールドの問題でシリーズの最後の一人であるのだという。(後になって、この子の抽選の申し込みをしなかったことを後悔している。) 確か、五、六年ほど前の「薄明穹」展、あるいはその後の子なのだろうか。詳しい情報はお調べいただきたい。(私も二年前からこの世界を勉強し始めた、駆け出しである。) 背中の反りの曲線美、耽美な表情とモノクロームの皮膚の彩色が特徴であり、その首飾りはリアナンシー製(?)のアンティークな感じがよく似合っている。太腿や脛のあたりの造形が肉感的であるようにも感じたが、他の子と並べて見てみたいところではある。

そして、奥へと進む足元の台の上に、ヴァニーナさんが横たわっている。私が見て来た人形たちの中でもとりわけ、艶やかな肌を持った少女であると感じられた。吐息が聴こえてきそうなほどの、生きている、という強い印象を受けた。一夏の海辺のバカンスの物語に相応しい、健康的な肌とアバンチュールを思わせる艶かしさが印象に残る。漆黒のドレスもエレガントでよく似合っていた。

ヴァニーナさんをじっくりと眺めた後、奥の左手を見れば、和装の人形が四人、佇んでいる。三人の小柄な子たちは縦長の木箱の中に座っており、大きな赤い着物の真朱さんは床に座っていた。どの子も甲乙つけがたい傑作の人形であるが、まず真朱さん。赤地に孔雀柄の華やかな着物に赤い扱き帯を締めている。そのきめ細やかな肌の質感は生気を感じさせ、吐息が聴こえてきそうである。目を閉じて、どこか愁いを帯びたような表情、その身体から伝わってくる存在感は確固たるものがあった。また、左手の三人の和装の子たち。金髪に山吹色の着物に前垂れを付けた子は圧倒的な存在感を放っており、この会場で一人を選べと言われたら、私は迷わずこの子を選んだろうと思われた。思わず手をついてひれ伏したくなるような圧倒的な存在感である。その隣に佇んでいるのが、おかっぱの黒髪の眠り目の子、赤い着物には扇や雲や可愛らしい絵柄が入っており、金糸の帯に赤の帯揚げで、座敷わらしのイメージそのもののようなと言っても良いのだろうか、古き時代の雰囲気を纏った子である。その奥には、リボンが可愛らしい女学生風の子が座っていた。おっとりとした良家のお嬢様然とした雰囲気を纏っており、可愛らしさで言えば抜群であったように思える。ちなみに、私はこのお嬢様と隣のおかっぱ髪の子とで迷ったが、先住の子たちとの関係性を考えて、おかっぱ髪の子の方に優先順位を高くして抽選申し込みをしたのだった。

そこから右手には、結合双生児のレナ&アリツェさん、生々しい肌の質感と結合部分の縫い痕が印象的で、儚さを感じさせる表情。その右手奥には、大きな木の寝台に寝かせられた、スノウホワイトさん。作品集『イヴの肋骨』に掲載されていた写真を見た時、最も美しい子だなと感じていたが、実際にその美しさは感動的であった。白雪姫の名に相応しい子であろう。オフホワイトのアンティークのドレスもよく似合っていた。そして、その左手には、嘴の大きな幻鳥の老天使が二人、並んで座っていた。片方は緑の襟巻きをした、枯葉色の肌と伽藍の身体を持った紳士(?)で、もう片方は生々しい肌を持ち、首元の十字架の意匠が印象的なシスターの少女であった。この幻鳥のシリーズには、私も驚きを持って見ていたが、会場で平安工房さんの解説を聞くうちに、この鳥の表現が持つ特異性、鳥でありながらも少女であるというアンバランスを内包しながらも、見事に人形として成立させているところの表現力について感嘆させられたのだった。近いうちに、幻鳥さんの子をお迎えしたいと考えている。

以上、雑感レベルで恐縮であるが、記憶が確かなうちに(そう簡単に薄れるものでもないが)、「夜想#中川多理——物語の中の少女 出版記念展」の思い出について語らせていただいた。

私は、「モノクローム」「白い海」「薄明穹」「花迷宮」「イヴの肋骨」展の頃は、まだこの世界と出会っていなかったので、それらの、いわば「第一期」を知らないことが、大きな足枷であると痛感している。このことは、私の生涯に渡り、大きな欠点として残り続けるものなのだろうと思う。ただ、こう考えてみたい。今から十年後に中川多理先生を初めて知る人もいるだろう。その人は、「髑髏展」も「幻鳥譚」も「物語の中の少女 出版記念展」も知らないのである。そう考えれば、私もまだ「遅くなかった」方であると言えるのではないだろうか。こう思い込むしかないのである。

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