『小鳥たち』を読んだ感想および出版記念展の思い出

先日、パラボリカ・ビスさんで開催されている『小鳥たち』出版記念展を観てきた。

『小鳥たち』は、幻想文学の大家である山尾悠子先生と新進気鋭の球体関節人形作家である中川多理先生による、小説と人形という芸術の二つの領域が融合された新しい形の本である。

広大な噴水庭園を舞台として、山尾先生ならではの奥深い雰囲気の物語が格調高い文体で紡がれ、中川先生の圧倒的な存在感を纏った可愛らしいお人形たちの写真がイメージに輪郭を与えてくれる。ミルキィ・イソベ先生による瀟洒な装幀も見事で、箔押しの小花の舞い散る通常版の可憐な姿もとても良いが、貴重な黒寒冷紗に覆われた特装版の奥床しい上品な美しさも捨てがたい。

すべてが繊細な感性によって練り上げられた、比類なき美を湛えた奇跡のような一冊である。私はこのような本は寡聞にして知らない。

遡ること二年余り前、京都は山科の春秋山荘さんで開催された中川先生の個展「幻鳥譚 WIND」展において、『小鳥たち』の可憐なお人形たちが出展されていた。

中川先生のお人形ならではの圧倒的な存在感を纏いながら、誰もが思わず振り向くような可愛らしさを有しており、芸術作品としての奥深さと胸をときめかせる可愛らしさとが高い次元で融合された、まことに唯一無二のお人形たちである。

私も当時、「幻鳥譚 WIND」展および、その前の「幻鳥譚」展を鑑賞する機会に恵まれたことは本当に幸運であったと思う。

「老天使」と題された一群の新しいお人形たち、鳥のように手足が長く、白くしなやかな肢体を持ち、美しいお顔の表情とその奥深い雰囲気に惹き込まれる。

その中でも、「老天使EX」シリーズの、鳥と少女の融合という新しい姿を持ったお人形は、まことに鮮烈な驚きをもたらした。鳥でもあり、少女でもあるという揺らぎを内包した存在。神秘性に満ちており、見る者に謎を問いかけてくる。まことに唯一無二の世界観である。

その美しい老天使のお人形たちが、『小鳥たち』と出会ったことには運命的なものを感じる。おそらく、必然であったのであろう。

山尾先生の作品は、『ムーンゲイト』『パラス・アテネ』『夢の棲む街』『ラピスラズリ』『飛ぶ孔雀』など、読んでいるが、私が特に好きなのは、『ムーンゲイト』である。

朽ちゆこうとする千の鐘楼の水都、領主の娘と奴隷の少年、古き伝承、苛烈な火祭り、そして、月の門。まことに心踊る一編であり、また、神話的なスケールと神秘性に満ちた物語である。

この『ムーンゲイト』や『パラス・アテネ』を読んでいると、古き伝承の世界に誘われる。中東の砂漠を旅する隊商のような、古さびた空気感。それは、アンティークの品を前にした時に感じる感覚に近い。そして、中川先生のお人形が持つ、「旧家の蔵に長年、仕舞い込まれていた、門外不出のお人形」のような雰囲気を彷彿とさせる。あるいは、それらは「ゴシック」という言葉で表されるものなのかもしれないが、私はその辺りには詳しくはない。

先述の「幻鳥譚 WIND」展において、春秋山荘さんの奥の二つの部屋のうちの右側の板の間では、朽葉色ないしは珊瑚色に染められた布が敷き詰められ、そこに美しい老天使さんたちが佇んでいた。

この部屋の入り口の前で、私は暫しの間、躊躇していたことを覚えている。足を踏み入れることの許されない「聖域」がそこにあった。その神秘性に満ちた空間は、まさに「聖域」と呼ぶに相応しいものだった。神秘性において、あの空間を超えるような展示は、今日に至るまで、見たことがない。それは、二年余り前のことだった。

さて、『小鳥たち』出版記念展では、パラボリカ・ビスさんのカフェスペースの壁際および奥に、中川先生の新作のお人形たちが並んでいた。

手前には、可愛らしい小さな小鳥さんたち。ふっくらとした面立ちの子、ほっそりとした子、流し目の子、それぞれ個性があり、とても繊細な造形をしているのが分かる。以前の「Growing Doll」シリーズの子たちよりもやや大人びた印象も受けるような気がした。この子たちは、「『小鳥たち』人形付き特装BOX」という位置付けとなっているようである。

可愛らしい小さな小鳥さんに順番に挨拶をしながら奥へと進むと、右手に黒衣の小鳥さんたち二人が仲良く並んで座っている。繊細な表情と指先の造形、エレガントな黒衣とボンネットがとてもよく似合っていて、誰もが思わず、胸を高鳴らせることであろう。私の家の和装の二人の大切なお人形たち、菫さんと美千代さんの関係にも近しいようにも思える。また、足元には中村美梢先生によるインスタレーション、花びらが散らされており、また、小舟のような姿をした大きな葉が、『小鳥たち』の舟遊びの情景を思い起こさせる。

そして、二人の視線の先には、メインとなる老大公妃が黒檀の柩に横たわっている。その枕元には大輪の白百合が濃密な芳香を放っている。老大公妃を見た瞬間、美しいと思った。高貴な気品に溢れ、威厳のある、また、安らかな表情。その肌の質感がとても生めいていて、肌の肌理を指でなぞってみたくなるような印象をも受ける。老いてなお美しい貴婦人、という印象が心の内に浮かび上がってきた。

その傍らには、憂いを秘めた眼差しの黒衣の小鳥さんが座っており、とても儚げで可憐な印象を受ける。母と娘のような関係性をイメージすることもできるようにも思える。その空間の奥の壁の大きな窓からカーテン越しに差し込む光が、この情景により神秘性を与えているように感じられた。

先述の二人の黒衣の小鳥さんたちの左奥には、白とワイン色を基調としたドレスの小鳥さんが佇んでいた。イタリアはフィレンツェへも行ってきた子とのことで、『小鳥たち』本編にも異国情緒溢れるお写真が掲載されていた。とても目力があり、白銀の流れる髪と相まって、とてもエレガントで美しい子だと思った。もし、この会場で一人を選べと言われたら、黒衣の二人組の小鳥さんたちと迷った末に、こちらの子を選んだと思う。

いつもながら素晴らしい展示で、幸福を覚えるような気がした。

先日、ローマのヴァチカン美術館とボルゲーゼ美術館で西洋彫刻の最高峰を見学してきたが、私は満足することはできなかった。このお人形たちの造形美と可愛らしい表情、こちらを圧倒するような存在感、そして、何よりも、お迎えした後の、「隣にいてくれる感覚」は他のものには代え難い。
あるいは、『夜想』などで読んだような気もするが、お人形は作品と鑑賞者との「対者」の関係性であるということ。大広間に鎮座された巨大な彫刻とは在り方が異なるということなのかもしれない。

実は、私も二人の小鳥さんたちをお迎えしている。美しいブロンドの髪を三つ編みにし、魅力的な表情、黒地に金のレースが映えるエレガントな小鳥さんと、やや短めな三つ編みに神秘的なメロイン色の瞳を持った、聖母めいた表情を感じる小鳥さんの二人である。
こちらの二人は、『小鳥たち』本編でも写真が掲載されており、感激もひとしおであった。と同時に、オーナーとしての責任の重大さを改めて認識し、末永く後世へと受け継いでゆかなければならないとの覚悟を新たにしたところである。

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