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DeNAに入社して、気づけば11年経ってたので色々と振り返ってみた

はじめに

2008年11月にDeNAに第2新卒で入社して丸11年が経過し、12年目に突入。
これまで続けてきたもので一番長いのはサッカー(今は月イチのフットサルくらいだけど)なのだけど、その次に長く続いており、本当は丸10年という節目の昨年に書けばよかったなと思いつつ、ログを残しておこうと思います。

note初投稿なので少し自己紹介をすると、
風早亮(Kazahaya Akira)と申しまして、2019年11月現在はDeNAで採用の責任者とかをやらせてもらいながら、私生活では1児の父として日々悪戦苦闘を楽しんでサバイブしてます。

これまであまり外に向けて発信するほうではなかったのですが、2018年7月にHRの仕事をすることになったことをきっかけにTwitter(@kazahaya0127)を開始して、緩やかな繋がりと情報収集を楽しんでいるところです。

これを機に色々発信できればと思いますが、まずはこの11年を振り返りたいと思います。(ちな、退職エントリーではありません)

「こと」に向かわず「ヒト」に向かっていた日々

DeNAには、全社員に求められる「DeNA Quality」(社内では略してDQと呼ぶことが多いです)という行動規範が存在します。
その中でも、「ことに向かう」というものがあり、意味合いとしては、「ポジションや立場関係なく本質的な価値を追求することに集中せよ」といったようなものになります。

11年前、23歳。第二新卒で入社して「まだ右も左も…」な状態の中でも、もちろん入社したその日から即座にDQの体現を求められます。

2008年当時はモバゲーのタイアップ広告の企画営業等をアサインされていたのですが、隣の席では同年に新卒で入社した現アカツキ代表の塩田さん(@GenkiShiota)や、優秀な同期(めぐりめぐって今また隣の席で働いていたりする不思議w)が血眼になって仕事に取り組む中で、求められるレベルに食らいついていくのに必死。ただひたすら目の前に課せられたものを少しでも早く返し、少しでも期待に応えるべく邁進するという日々で、報・連・相と納期の徹底、資料作成と営業活動と必要な調整の繰り返し。

そんな日々の中で、結果を出さねばという焦燥もありつつ、何より目の前の上司(Kさん)の求めるレベルの高さと圧に萎縮し…。ことに向かうどころか完全に周囲というか上司を意識して、人に向かって仕事をしていました。(キツかったし己が弱かった。)

日々インプットをもらう度に自信を失い、次第に目の前のお客さんよりも、《このやりとりは隣の上司にどう見えているだろうか?》というマインドになり、完全に本質からはズレ、自分はDeNAにいてはいけないんじゃないか?と思うこともありました。

ギリギリのところでなんとか折れなかったのは、当時の仲間や友人の存在であり、飲みに行って同じように苦しい想いを共有しながらも、互いに愚痴をこぼすとかではなく、刺激しあって活力補充し、支えあっていたような気がします。

また、昔から、最終的には「なんとかなる」と開き直れるところがあり、その楽観性がなければもっと苦しんでいたかもしれません。

どんな仕事も選り好みせず、成長がどうとかビジョンがどうとか今後のキャリアがどうとか考える余裕もなく、とにかく愚直にやり続けました。

程度の問題はあるにせよ、DeNAならではの論理的思考や言語化能力など、基礎スキルは日々のインプットで染み込んでいったのですが、何より「挑戦し、実行すること以外価値ナシ」くらいのスタンスやマインドが叩き込まれたのは、当時そんなこと考える余裕も視座もなかったですが、今振り返ると貴重な時間を過ごしていたんだなと思えるので、ファーストキャリアとしては胸張ってオススメできます。

後日談ですが、その後数年経ち、今でも当時の上司と話をする時は、南場さんや守安さんと話をする時よりもピンと背筋が伸びる感覚になるのですがw、ひょんなことからご本人に当時の自分についてコメントをもらう機会があり、 「君は幾ら打たれても指摘を受け止め、逃げずに打席に立ち続けた」というような言葉をもらい、決して優秀ではなかったかもしれないが、やってきたことは間違っていなかったのかなと勝手に解釈しつつ、ホッとしたのと同時に、こんな自分に向き合い続けてくれたことに感謝しかありません。

人に恵まれ続けた

その後も自分の力というより、とにかくマネージャーや同僚含め、自分は「人」に恵まれてきました。
時間の経過と共にできることも広がり、徐々に結果もついてきて自信が出てきたタイミングで、リーダー業務を任せてもらえたり、広告商品開発等多くの経験をさせてもらう中で、会社としてはソーシャルゲームが大ヒットし、プラットフォームのオープン化で海外展開含めて一気に勢いづきはじめるタイミングでした。

タイアップ広告で大手ナショナルクライアントの担当をさせていただいたり、アライアンスの経験もしてきたこともあり、ある程度自信のついていたタイミングで、「会社のメインストリームの事業で働かせてほしい」と、当時の上長をすっ飛ばしてゲームのアライアンスの役員(Sさん)に直談判し、二つ返事で「わかった。ありがとう。」と言ってもらい、ゲームのアライアンスの仕事をするようになりました。
(お作法としては当時の上長には本当に申し訳なかったですが、今ではシェイクハンズ制度という形で正式なルールになってます)

広告企画営業でもゲームのアライアンスでも、いわゆる武士というか「雨が降っても自分のせい」を地で行くような人たちの下で、次第に自分にもそれが当たり前な感覚として染みついていた頃に、当時の社長室の案件として現ミラティブ代表の赤川さん(@jakaguwa)と一緒に、海外展開でてんやわんやしながら無茶ブリ耐性を磨きつつwな日々で、めちゃくちゃ難易度高いながらもやっていることのスケールのデカさや会社を牽引する感覚が強く、働きがいのある充実した時間を過ごしていました。

また、社員だけでなく各社パートナーにも育てていただきました。
ゲームのアライアンス時代は多くの起業家・経営者とお付き合いをさせていただき、成功や失敗、各社の文化に触れられたのは貴重な経験です。
うまくいった経験もありますが、それ以上に失敗経験が財産となっており、時には裏切られてビジネスの厳しさを痛感したり、逆にご迷惑をおかけしてスーツ着て平謝りしたり…。

アライアンスのポジションから離れた今でもお付き合いいただける経営者の方も多く、お会いする度に勉強になることばかりで本当に感謝しています。

心理的安全性

この頃にはマネジメント業務なども経験させてもらっており、歴代の自分の上司の良いところや合わないところを考えながら、反面教師的に自分なりのマネジメントスタイルと向き合う日々でした。

割と多くの役員と一緒に仕事をさせてもらってきた中で、営業職の強い組織で育ったためか、似たようなタイプが多かったのですが、その当時の上長(Mさん)は根っこのDeNAっぽさは同じでも真逆のタイプで、悩みだったり相談だったり、時には弱さも含めて逆に打ち明けてくれるような距離感で、ものすごく透明性の高いマネジメントでした。
「Mさんでもそう思うのかぁ」と思えたり、開き直れたり、感謝や労いの言葉をかけてくれたりと、求めるコミットメントは高いながらも、いい感じに肩の力が抜け、巷で良く言う心理的安全性の担保とはまさにこのことでした。

上司部下の関係の前に「人間だもの」みたいなスタンスは、言葉にすると当たり前のようだけど実際には難しい絶妙な距離感であり、自分のマネジメントスタイルに大きな影響を与えてくださり、組織が変わった今でも気にかけていただいており、感謝しかありません。

子どもの誕生とHRへの異動

ゲームのアライアンスや周辺事業などを中心に、役割やアジェンダを変えながら、5年程度経験させてもらったタイミングで、めでたいことに妻が子どもを授かりました。
これまで会食続きの日々で、家庭との両立で衝突することもしばしばあったのですが(今も全然あるけどw)、色々な事情もあり、さすがに働き方について考える機会となったタイミングで、元上司であり当時のHRの本部長(Tさん)に相談して色んなオプションを検討いただいた上で、これまでのマネジメント経験を活かし、内製ゲーム事業の戦略人事(HRBP)のポジションをやってみないかというお話を受け、妻の出産のタイミングでは4週間くらいお休みをいただいたりしながらも(良い会社w)、新しい挑戦が始まりました。

HRBPの仕事は奥が深く、これまでは事業サイドで部長職として事業とマネジメントを両立させるのがめちゃくちゃ大変だった中で、「事業目線を持ちながら組織にコミット」して動くのは自分が思っていた以上に楽しかったというのが、当時は意外な発見でした。
これまで自分がやってきたマネジメントを体系化して、HRBPとして担当部門のマネージャーにアクションを促し、半年で組織状況のアンケートスコアがじわじわ改善していく兆しが見えた経験を積めたことで、HRが与えうる影響範囲の大きさと、自分個人が生み出せるかもしれないレバレッジの大きさの可能性に、「手触り感もって会社を改革できるかもしれない!」という武者震いするようなワクワクと可能性を感じ、夢中になって働いていました。

また、同じタイミングで、「ネクストボード」という次世代幹部育成制度(今は少し形を変えた制度になってます)のメンバーとして、1年間バーチャル組織で経営課題に向き合う過程で、人・組織に対する課題感と思い入れがますます強まっていました。

そんな鼻息荒くなっていたタイミングで、その年に新たにHR本部長に就任した役員(現HR本部長の崔。崔についてはぜひこちらの記事を)から、「新卒採用責任者」のポジションオファーの話をいただきました。

なぜ自分はDeNAで働いているのか

当社における新卒採用の大切さは理解していたつもりでいたものの、HRBPの仕事にやりがいを持っていたし、前述の通りものすごく可能性を感じていたので、会社に対する貢献という意味で「自分の時間をHRBPに張っていた方がバリューが出せるんじゃないか?」みたいな葛藤もあった一方で、南場さんを筆頭にDeNAの経営陣は採用へのコミットが強く、特にこれまでほぼ接点のなかった南場さんと直接働くという機会はなかなか経験できないことだし、「DeNAならではの機会では?」という想いもあり、まずは一度直接話をさせていただくことになりました。

南場さんとの面談で、そもそも自分をどこまで知ってもらえているか謎だったので簡単な自己紹介をしつつ(おそらく事前にちょろっと聞いていた程度だったはずw)、課題に感じていることや何を期待されているのかなどを聞いたのですが、正直それでもピンと来ず…。どうしたものかと考えて内省していった時に、ちょうどネクストボードのメンバーとも議論をしていた、「なぜ自分はDeNAで働いているのか?」という問いと向き合うことがきっかけで、道が拓けていきました。
以下、結論を出した際に南場さんや相談者、関係者に伝えたことの一部です。

「長く働き続けたいと思えて、ワクワクし続けられる会社であってほしい」

シンプルに考えるとこれが自分の願いとしてあり、DeNAの人やカルチャーが大好きだからこそ、数字にコミットするのも当然だが、今まで以上に人や組織、文化を大事にできる会社であってほしい。

 ① 個人が熱中し続けられる環境作り(内発的、外発的動機)
 ② (上記を活かした)入口/出口設計
 ③ (上記を実現しつつ)収益の柱となる事業を当て’’続ける’’ための仕組みづくり
(noteでは具体の話は別の機会にできればと思うので省きます)

3つの概要だけだと当たり前感すごいですが、大切にしたい文化があった上で、この当たり前が実現されれば少なくとも自分が所属し続けたいと思える会社になるはずだし、そういう組織であれば必ず勝てると信じているので、それ自体を誰かに委ねるのではなく、自分がHR本部の中からアクションを起こして変えていけるのであればそれが一番だなと。

今回の新卒採用のポジションは、上記自分が望む場所を創っていくためのひとつ(②の一部)であって、期待されている部分はもちろんロールとして全うするものの、それだけをやるつもりはないですし、実現したいことをやりとげるためにも、きっちり仕上げて誰かに渡すくらいな心意気でやりたい。

大口叩いて全然できなかったらアレですがw、「新卒採用のチャレンジ」というのを「今の業務」と天秤にかけて検討するよりも、それくらい上段の視点をもった大きなチャレンジと考えればすごくやりがいになると思っているので、それを前提に新卒採用のミッションを引き受けさせてもらえればと思います。

※読み返してみると、、なんだろう、この上から感。。mm

「自分の働きやすい環境は自分でつくりなさい」

前述の異動の意思決定に至れたのも、その背景には営業・アライアンス時代の役員のSさんからの影響が大きく、「どんな場所、どんな環境であっても、そこを楽しむことができるかは自分次第。自分で環境をつくりなさい。」という教えを受けていました。
当時は「モチベーションの問題という意味かな?」くらいにしか考えられていなかったものの、今となっては仲間集めやルールづくりもそうだし、自分が大切にしたいことなどがクリアになってきたことで、より広義でその言葉の意味を捉えられるようになりました。

異動の意思決定も、オファー自体を自分で咀嚼し、「自分にとって楽しめるようにするにはどういう考え方で受け入れるか?」と思考をリフレーミングすることで、より前向きに自分で意思決定する。という形に変えられたと思っています。

その後、新卒採用の責任者を担ってからのチャレンジはまた改めて記事にできればと思っていますが、現在はキャリア採用・採用ブランディングの領域も見させていただいており、「採用≦育成」に焦点をあてて、「個のプロフェショナルはもちろん、支えあい高めあうことができ、社員がやりがいを持って熱中できる環境づくり」に向けてチャレンジしている最中です。
※今がそうでないとかではなく、より高みを目指すという感覚

と、いったんここまでをざっと振り返ってみたものの、年単位、Q単位、月単位でも色濃く歴史があり、長くやりつづけることでしか見えてこなかったものがあるなぁと。
この時代、先のことはどうなるかなんてわかりませんが、ネクストボードのリーダーシップ研修のプログラム(これもどこかで記事にできればと思いますが)で、マイナス約40℃の極寒のモンゴルに行き、己と向き合った結果、

「人と向き合い、つながりによって人の可能性を引き出し、一緒に挑戦し、一緒に感動したい」

という自分が大切にしたい軸にたどり着いたのですが、己のありたい人生軸をブラさず、且つアップデートしながら、これからも挑戦を楽しんで生きていきたいなと思います。

駄文長文になってしまいましたが、最後までご一読いただきましてありがとうございましたmm

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