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#003:原油の中に潜む かくれた次元

モノの内部の世界。

たくさんのモノに囲まれて、私たちは暮らしています。そのモノには内部があり、目に映る表相だけではわからないことがほとんどです。例えば、身近なスマートホン。半導体やカメラ、センサーなどの精密部品が詰まっており、ナノメートルという微細なサイズがこの世界のものさしです。

美しい自然の植物や生物も、小さな細胞や繊維で構成され、常に新しく生まれ変わりながらも一定の状態を維持するという「動的平衡」の状態にあります。部品の集まりではなく、流動性の中にこそ生命が存在しています。

「原油」のことを考えると、夜も眠れない。

いろんなモノの中で、私が特に不可思議だなと感じるのは「原油」です。通常の暮らしでは「原油」を目にすることはないものの、「原油」から生まれた製品は実に膨大で、あらゆる生活シーンで使われています。

「原油」は加熱することで精製されます。低い温度帯では軽い成分、高い温度帯では重い成分が取り出されます。LPガス、ガソリン、ナフサ、灯油、ジェット燃料、軽油、重油、アスファルトは加熱温度の違いで現れてくる「原油」の一部ということになり、これだけのものが「原油」の中に隠れているのです。

また、ナフサという材料をさらに熱で分解すると、エチレンやプロピレンなどの成分が抽出され、そこからプラスチック、合成繊維、合成ゴム、農薬、医薬品などが生まれます。上の図にあるように「原油」は動力、熱、材料に形を変えながら、暮らしや社会で幅広く使われ、なくてはならない存在となっています。

「原油」を精製する際、各製品は一定の比率で生産されることから、これらは「連産品」と呼ばれます。ガソリンを作れば、その他の製品も同時にできると考えればいいでしょう。一部のガソリンだけ減らそうとか、ビニール袋の原料であるナフサをなくそうなどとは簡単には言えないのです。

以上のことから、「原油」の利用が滞ると暮らしや社会はその影響をたちまちに受けてしまい、この世界が「原油」に支配されているような気になります。なぜ「原油」にこのようなモノを生み出す「かくれた次元」があるのか本当に不思議で、考えれば考えるほどその存在に驚かされます。

「かくれた次元」に頼っていいのだろうか。

子どもの頃、「油田は数百万年、数千万年前の海中プランクトンの死骸が長時間かけて液状化したもの」と誰もが習ったはずです。私自身はこのプランクトン死骸説には納得していませんが、長い時間をかけて生まれてきたのは間違いないでしょう。

砂と泥が固まり、岩石ができるまで1000年から2000年かかります。規則正しい結晶構造を持つ鉱物はもっと時間がかかります。「原油」であれば、さらに想像もできない年月をかけて生まれてきたことになります。

このような資源を、私たちは「あるもの」として使う前提に立っていますが、人の体感では及びもつかない時間軸にある資源を使い続けることには無理があるのです。そのような資源を一方的に使い続けても、それを再生できる術がないなら、持続可能であるとは言えないからです。

循環を考えるとは、時間軸を考えること。

木は植樹から伐採まで、成長に50年が必要です。しかし、50年という単位は人間の意識が及ぶ時間の幅です。さらに短い時間に立てば、農業で得られる「工芸作物」というものがあります。綿や麻、畳のい草、和紙の材料など、昔から馴染みのある材料は人が営めるサイクルで生成できます。産業革命以前の時代は、このような時間軸の材料からモノは作られていました。

「原油」の効能に抗うのは難しいことですが、持続可能な暮らしと社会を考えていくなら、まずは私たちの目の届く時間軸に「循環」を戻していくことが大事です。

一人の人間では無理なら、2世代、3世代でも構いません。ちゃんとコミュニケーションが及ぶ時間軸で体感できる「循環」のデザインをしていくべきではないでしょうか。

「原油」の「かくれた次元」を発見した人類の知恵に敬服しながら、これからは人間がまかなえる時間世界の資源に目を向けていきましょう。

人間スケールの時間軸で新たな技術開発を目指し、持続可能な文化を増やしていきたいと私は思っています。


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