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【勉強しろと人は言うけれど】#2 人格形成の原体験

連載2回目は小学生の頃の原体験がアラフォーに至るまで自己形成に深く影響しているというお話。新しい学びを得るための私の心構えです。

▶<日曜学校>始まりは地元のボランティアイベント

「日曜学校」というイベントが私の田舎ではあった。学校に行って何かするのでは無く、地域の定年退職した元教員の人たちが地元の寺で子供たちに日本語についてや折り紙の折り方、仏教の教えとかを教えてくれるボランティア活動。この寺の住職も教育委員会に勤務している人だったから成立してたんだろう。だから今でも般若心経を読める。当時は友達や好きな子が参加してたり、ちょっとしたお菓子やお茶(甘茶)がもらえるから参加する程度の適当な参加理由だったけど、私の仏教への興味もこの経験が下地になっているんじゃなかろうか。いまググったらキリスト教でも日曜学校ってあるんだね、これをベースに仏教Verでやっていたんだね。

甘茶:アジサイ科の落葉低木のアジサイの変種の若葉を、蒸して揉み、乾燥させた物、および、それを煎じて作った飲料。砂糖を使ってないのにメッチャ甘い。美味。毎年4月8日に行われる釈迦の生誕を祝う仏教行事「灌仏会(花祭り)」の時に仏像に甘茶を注いで参拝する慣わし。この記事を書いてる時に調べて分かった。お茶の味は覚えているけど、釈迦の像にお茶をかけたのはうっすらとしか覚えていない。

▶<座禅>見えているようで見えていない、触れているようで触れていない

一番楽しかったのは座禅ですよ。小学生男子大喜び!志村けんやドリフのコントでさんざんやっている座禅(修行?)が出来るし、住職の持っている板でピシっと叩かれるなんてそうそうできる経験じゃないし。なんだけど、そんなにピシピシ叩かないんだよね。子供が遊びでやってるんだからそりゃそうなんだよね。で、座禅のやり方を住職が「目は開いているようで開かない、見えているようで見えていない状態」で、「手は左右の親指が触れているようで、触れていない状態」にしなさいって教えてくれるのよ。何言ってんの?って感じでもはや意味不明、理解不能。ガキンチョどもはいかに薄く目を開けるか、親指をいかにギリギリに近づけるかで盛り上がってたっけな。全然集中していないのよ。
ただね、仏教について学ぶとこの中途半端な状態が「空の思想」つまり「私とあなたの境界線はあるけど無い、宇宙の中に私がいて私の中に宇宙がある、宇宙とは私だ」という考えなんだと今になってみると納得できますね。この辺は詳しい人に任せたいので説明は割愛。というか、上手く説明できる自信が無い。

座禅っていうか、修行は小学生男子の大好物。
当時はドラゴンボール全盛期だから盛り上がり必死。これじゃ覚れるわけない(笑)

▶〇〇をやってたやつは東大に行ったんだ!

この日曜学校は子供たちのしつけも兼ねていて、教室が終わったら机や畳なんかを雑巾でキレイに掃除をするよう指示を受けるんだけど、その時に先生が「目に見えるところだけ掃除してもダメだ。自分で考えて誰もやっていないところを掃除すること。そうやって考えられる子は東大に合格したんだ。」って言うわけですよ。もともと好奇心と知的欲求と自尊心が高かった少年時代にこの言葉が刺さったよね。残念ながら東大には行けなかったけど、今でも仕事をするときは「誰もやっていないことは何か?」「どこにニッチな部分があるか?」って考えている。ちょっと前に流行ったブルーオーシャン戦略っていうのかなこういうのは。誰かから言われた事だけをやってると習熟は早いけどその人の劣化コピーにしかならないから、自分で考えてこそ劣化コピーを防いで超えることが出来るんだと思うのよね。

▶<結論>全員が分かっている普通の結論になっちゃった

とは言ったものの、こじらせすぎると誰もやっていない事ではなく誰も真似したくない・やりたくない事にしかならない。ここのバランスは難しいけど、トライ&エラーを繰り返して身につけていくほか無いんだよね。ってことで「失敗を恐れずチャレンジしましょう、失敗してもそれが次の成功につながります、あきらめなければ失敗したことになりません。」というその言葉に重みなんて無くなるぐらいにこすられすぎているけど、実行することは非常に難しい結論になりました。わかっているけど出来ないことの代表格だよね、コレ。大体の人はあきらめるし、そもそもチャレンジしないし、失敗するとメンタルやられるし。
じゃあ、皆さんどうしましょうね?チャレンジしてみようよ。小さなことでもチャレンジしたら自分で自分を褒めてあげてください。少しづつ、少しづつ一歩を踏み出しましょう。足踏みに見えて居る場所は変わらなくても体は動いています。誰かが気づくかもしれないし、足踏みの振動で壁が崩れるかもしれません。
あ、これって苦しいけど我慢しよう頑張ろうってのとは全く違うよ。チャレンジの中に楽しい事を見つけてね。苦しい事を頑張るってつまらないよね。面白さは自分で見つけるものだからね。

▶おまけ:<本の紹介>極夜行・裸の大地/角幡 唯介

今日はこの2冊が対になってるので合わせて紹介。北極圏を狩りをしながら旅する一人と一匹を描いたノンフィクション。ノンフィクションってか角幡さん本人が旅をした様子が描かれている。北極圏と言えば一日中太陽が沈まない白夜が有名だけど、ちょうどこの反対の季節には「極夜」という太陽が昇らない季節が存在する。自分は極夜を知らなかったけど、言われてみれば太陽がずっと昇っているなら逆もあって然るべきだなと納得。
極夜を旅したのが「極夜行」、白夜を旅したのが「裸の大地」。メチャクチャな吹雪にあったり、クレバスにはまりかけたり、食料が無くなったりと本当によく生きて帰ってこれたという冒険モノとして見てもすっごく面白い。それ以上に極限の大地を犬一匹を連れてたった一人歩くなかで原始宗教を体験したり、人間とは何か生きるとは何かという哲学の根源をダイレクトに問いかけてくる。
今までの当たり前が全く通用しない世界を歩くとき(なんてったってずっと昼もしくは夜だ。時間の概念なんてものは簡単に崩れ去ってしまう)、人はどう感じるのか、何を考えるのか、そしてそれを受け取ってしまった読者はどうすればいいのか。私は読んで戸惑いながら理解したいと感じました。何か新しいことにチャレンジしないとこういう感情というのはわかないんだろうと、だから小さなことでもチャレンジし続けないといけないと改めて感じさせられた2冊。

それじゃ、また来週!
来週は社会人としての通貨儀礼「マルチ商法の勧誘」を書くよ。

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