過去を「失敗だった」と言えること。
自分の行動を決めるとき、cotreeの戦略を考えるとき、チームの進み方を決めるとき、ごくまれに思うことがある。
間違えちゃいけない。
そう思うときは、無意識のうちに未来を自分の中で勝手に正解に当てはめようとしている。だけど現実は複雑だから、描いた正解通りになることはほとんどない。
正解を探している自分に気づいたときは、間違えることを織り込んで目の前の人と状況をよくみるように言い聞かせる。そのときの環境に対して、自分の全部で応えることに集中した方が賢明だ。
間違っているかもしれないと思いながら、自分をモチベートして周りの人を巻き込んでいくのは、とても苦しい。
苦しさがない人生なんて、たぶんない。自分がどんな選択をしても、多少の苦しさはある。気づかないとしたら、見て見ぬふりをしているだけだ。
どうせ苦しい、何をやるにしても。だったらせめて自分なりに納得したい。納得したうえで苦しさを味わうことくらいしか、無力な自分にはできない。
訪れるかもしれない苦しみや困難を認識することは、覚悟を決めることであり現実を受け入れることだ。
悲しみのない平和な世界や苦しみのない天国を想像することはできるけど、それが現実になるのは、たぶんずっと未来の話。少なくても自分が生きている間には、人生の悲劇や辛苦はなくならないはずだ。
現実をしっかりとみなければ、筋の通った未来を描くことができない。現実ばかりみてしまうと、未来は描けない。
現実と理想の未来、その二つを丁寧に織り込んだ道を決められるのは、自分だけだ。それがチームの話ならば、いつも自分たちの意思で決めなければいけない。
過去の反省を踏まえて、より良い方向に進みはじめると、大抵の場合、過去の自分たちのやり方の否定することになる。
自分たちは間違っていたかもね。
次の新しいやり方を試してみようよ。
言うのは簡単だけど、それまでのやり方を続けてきた人には、やるせなさや深い苦しみがある。でもきっと、しょうがないのだと思う。
過去の自分たちは、そのときなりに精一杯やっていたよ。
過去を失敗だと思えることは、自分たちが成長している証だ。だから「いまここ」から、また始めなおせばいい。
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間違えてしまうことばかりなんです。
ただ間違いのない人生なんて、シロップのないかき氷のようなものだから。降りかかった間違いにどんな意味をつけて、真っ白なかき氷を自分好みにするか。
決めてあげられるのは、自分だけです。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。