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たまには「何者でもない者」になろうよ

ユニークであれ。
尖りを持て。
周りと違うことをせよ。
新しいことを生み出せ。

そんな前向きなメッセージが溢れている。

けれどもときたま、ふと疲れてしまうときがある。

普段頑張っている反動なのか。
押し込めた想いの表出なのか。
はたまた心からの願いなのか。

わからないけれど、疲れてしまうときがある。

増加、拡大、加速してゆく世界

肩書きが多い。言葉が多い。やることが多い。人が多い。つながりが多い。便利なものが多い。期待が多い。

色々なことが増え続けている。モノもコトも何もかもが、人一人に必要な量をはるかに超えている。大きくなるために大きくなる。増えるために増える。

手段が目的化しているような世界の中で、いま生きているように感じる。

もっと、シンプルでもいい

自分の体と頭と心。
あなたと私。
少しのお金と本。
二日分の服と雨風を防ぐ場所。

それだけでも、きっと生きていける。本当になくてはならないものだけの生活も、たまにはいいと思う。

薄い布団がある安い宿に泊まり、コンビニのおにぎりと味噌汁で胃袋を満たして、読み古した本を読んで、気づいたら眠り、うるさい目覚ましの音で起きて、今日はどこに行って何をするかをぼんやり考える。

最低限で、少し怠惰で、安穏とした日。

この慌ただしく変化してゆく世界の中で、そんな一日を持てている人はどれだけいるのだろうか。

「何者でもない者」になる

背負った荷物は下ろしていい。肩書き、期待、つながり。一人が背負うには重すぎることがある。

溜まった疲れは癒していい。毎日8時間も働いて、週に5日も働いて、休日も慌ただしく過ごしている。また歩き出すためには何もしない自由な時間も必要。

知り合いがいない場所に行っていい。気を使わず、思うがままに羽を伸ばしてもいいはずだ。

やらなきゃいけないことはなくていい。当たり前のことを当たり前にしていることができだけ大変か。たまにはわがままになってやりたいことだけをやる。



たまには「何者でもない者」になろうよ。



大切なことは少なくて平凡でいい

何もせずに大切なことを見極めることは、きっと難しい。

いろんなものを獲得してみて、いろんなものを捨ててみて。扱いきれない武器を手に入れてしまったり、大切なものを捨ててしまったり。間違いを積み重ねながら、学びを深め、感性を磨いてゆく。

その過程一つ一つに見出す意味があり、その意味づけの一つ一つが思想や哲学を形作ってゆく。

大切なことは少なくていい。平凡でいい。残ったものの中から何を見い出すかが大切な気がする。

浮かび上がる自分を受け止める強さとやさしさ

何者かでいなければいけないと思うことをやめると、何者でもない自分というものの輪郭が浮かび上がってくるのかもしれない。

あるいは、その浮かび上がってきた自分を真正面から受け止める強さと、どんな形でも受け止めてあげるやさしさが、最も大切なものかもしれない。

TOP画像は、上野にあるカフェにいた猫。これくらい、ふてぶてしく、ありたい。

cotree advent note 7日目。


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