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1996年からの私

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週刊プロレス7代目編集長・佐久間一彦が、三沢光晴、小橋建太、髙山善廣らプロレスラーに学んだ日々の記録。
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2020年6月の記事一覧

1996年からの私〜第24回(09年)暗黒の編集長時代に週プロ1500号

感謝をこめた1500号記念イベント前回までに書いてきたように、2009月6月13日に三沢光晴選手がリング上の事故で命を落としました。その後、私は週刊プロレスの編集長として、いくつもの難しい決断を迫られ、その都度「これで良かったのか?」と思い悩んでいくことになります。今ならわかることも未熟だったこの頃の私には、わからないことがたくさんありました。何が良くて何が良くないのかわからず、人生の迷子状態に。 9月27日と10月3日、東京、大阪で三沢さんの追悼大会が決まると、BBMでは

1996年からの私〜第25回(10年)さらば週プロ。そして新天地へ

任期満了を前に続投要請BBMは毎年、社員に向けた職場環境に関するアンケートをおこなっていました。それは自己評価であると同時に自分の在籍する部署に対する評価。その中に「現在の部署での仕事について」という項目があり、①継続を希望する②異動してもいい③異動を希望する…という回答欄がありました。実は私は週プロ在籍が3年を過ぎた2003年から、毎年③の異動を希望するに印をつけていました(編集長になってからアンケートの内容が変わったのでこの項目がなし)。 別にプロレスの取材に飽きたとか

1996年からの私〜第26回(10〜12年)呪縛を解いてくれた金髪の大男

新規事業のデジタルマガジンは失敗2010年7月からライトハウスで働き始め、転職から今年で10年。現在はエンタメ誌、総合スポーツ誌、50代以上向けの生活誌と3冊レギュラーの制作をしています。さらにWEBマガジン「VITUP!」の編集長を務め、加えて書籍は10年で50冊超(1年5冊ペース)、単発のムックやパンフレットも多種多様に制作しています。 制作以外では、日テレG+の「プロレスリング・ノア中継」、「徳光和夫のプロレス自慢できる話」にレギュラー出演。プロレス、野球を中心に月2

1996年からの私〜第27回(12年)尊敬すべきノンフィクションライターとの出会いと別れ

罵倒、裏切り、人間不信野球ステップアップシリーズの成功を経て、ようやく新たなスタートを切ることができた私のもとに、野球関連の仕事依頼がやってきました。白夜書房の『野球小僧』という、アマチュア野球、ドラフト情報を中心とした、かなりコアな野球ファン向けの雑誌を丸ごと作ってほしいという依頼です。 「編集部のスタッフが全員辞めてしまった。定期購読が数多くあり、雑誌を作らないわけにはいかない。会社を助けてほしい」。大まかにはこうした内容でした。実際に雑誌を見せてもらうと、とにかく情報

1996年からの私〜第28回(13年)妥協なきノンフィクションライターに学ぶ

プロの仕事を見て自分の甘さを痛感『野球ステップアップ』シリーズ、『野球小僧』の制作を経て、人脈の拡大とスキルアップに成功し、新たな10冊シリーズの書籍の制作依頼を受けます。仕事が充実していく一方で、『野球小僧』が「これから」というときに続けられなくなったモヤモヤは晴れずにいました。 そんなとき、バイタリティに溢れる女こと、岡田真理さんから、「新しい野球雑誌つくっちゃいましょうよ」と提案を受けます。ゼロをイチに変えるのは膨大なエネルギーを必要とします。それでも私は大変なことほ

1996年からの私〜第29回(12年〜)リングを降りても熱い男

プロレスを競技として解説する週プロ時代はプロレスカレンダーオンリーで動いていましたが、転職後は多種多様な仕事をしているため、1年ごとの時系列で出来事を追えません。そのため前回から時間が少し前後します。 プロレスに頼らないと決めて新たな道を歩み始めた私に、プロレスのレギュラー解説者としての仕事依頼がきたのは2012年の年末でした。日テレG+のプロレスリング・ノア中継のレギュラー解説者になってほしいという依頼です。 このとき、NOAHは秋山準選手、潮崎豪選手ら中心選手が大挙し