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1996年からの私〜第29回(12年〜)リングを降りても熱い男

プロレスを競技として解説する

週プロ時代はプロレスカレンダーオンリーで動いていましたが、転職後は多種多様な仕事をしているため、1年ごとの時系列で出来事を追えません。そのため前回から時間が少し前後します。

プロレスに頼らないと決めて新たな道を歩み始めた私に、プロレスのレギュラー解説者としての仕事依頼がきたのは2012年の年末でした。日テレG+のプロレスリング・ノア中継のレギュラー解説者になってほしいという依頼です。

このとき、NOAHは秋山準選手、潮崎豪選手ら中心選手が大挙して退団することが明らかになっていました。これまで中継の解説は空いている選手が持ち回りでおこなう形でしたが、戦力ダウンに伴う中継自体の質の低下を抑えるために、固定の解説者をつけたいとのことでした。

私は旗揚げ戦、もっと言えば旗揚げ準備段階からNOAHの取材をしてきていて、人気のピーク時に担当記者を務めていました。しかし、BBM退社後はチケットを買って何度か会場には行っていたものの、しっかり取材をしていたわけではないので、中継の質を上げるような解説ができるのかと、いささか不安はありました。

不安はあれど、物事はイエスからしか始まりません。ノーから何も始まらない。何かを始めるときは成功の絵を描く。自分のモットーに基づき、この仕事を引き受けることにしました。

私が解説で心がけているのは、プロレスをスポーツとして伝えることです。プロレスはエンターテインメントでもありますが、当然スポーツとしての面も強くあります。選手たちの技術の背景や試合の組み立て方の戦術としての意図…いわゆるロジックを大事にするということ。ネットで調べればわかる情報ではなく、リアルタイムで起こっている出来事を分析して伝える解説です。

なぜこの技を使ったのか? この技が決まらなかった原因は? ここを狙う理由は? 週プロの記者時代は試合の中で気になった攻防については試合後に取材し、それをリポートで伝えていました。そうした経験の積み重ねから、選手がやろうとしていることの意図はある程度理解することができます。もちろん、試合中は本人の確認が取れないため、試合リポートと同じようにはいきません。それでも見ている人が納得する、「理由」を解説するのです。

現在、YouTubeも人気の元プロ野球選手、里崎智也さんと仕事でご一緒する機会が多々あります。里崎さんの解説は面白いと評判。その理由は本人いわく「結果を喋らない」から。野球中継でありがちな解説は「甘く入ったので打たれましたね」みたいな解説。それは解説ではなく、目の前で起こったことの結果です。なぜ甘く入ったのか? なぜそこに投げてはいけなかったのか?を伝えるのが解説。里崎さんが結果を言わないというのはこういうことです。私もプロレス中継では同様のことを心がけています。そうでなければ、中継の質を高めるための解説者としての意味がないからです。

幸い、現在はそのやり方が好評いただいていることはTwitterなどの自分へのメッセージで知り、あるいはプロデューサーからも視聴者からの評判を聞かされているので、狙った方向性としては良かったのかなと思っています。

完全アウェイの講演会で鉄人のすごさを知る

さて、初めて日テレG+の解説として放送席に座った2012年12月のNOAH両国大会では、鉄人・小橋建太選手が引退を発表しました。プロレス界に一時代を築いたスターの引退発表に会場には、涙するファンも数多く存在しました。

この引退発表の数日前、先行した新聞報道が出て間もなく、私は小橋さんとともに講演会をおこなう機会がありました。そのテーマはプロレスではなく、「介護を頑張る方を励ます」というもの。小橋さんはヒザの大手術や腎臓がんを乗り越えた経歴を持ち、その体験談から家族の介護を頑張っている人たちを勇気づけてほしいという依頼でした。

進行役としてなぜ私に白羽の矢が立ったのかは記憶が曖昧なのですが、主催者の葉山町社会福祉協議会さんから直々にオファーをいただきました。プロレスをまったく知らない人たちの前で、どうやって表現していけば元気づけることができるのか?と頭を悩ませたことはよく覚えています。

プロレスから少し距離を置いていたため、小橋さんとじっくり話すのも久しぶりのことでした。当日は引退や体調については触れず、世間話に終始していましたが、引退を決めて小橋さんがとても穏やかな様子だったことが記憶に残っています。そしてこの講演会で、鉄人のすごさを目の当たりにすることになります。

最初に司会者として私が紹介されて挨拶。「介護を頑張っている方を励ます会」とあって、参加者の方は皆さん、家族の介護を頑張っている方たち。プロレスラーのトークショーを楽しむぞ!という感じはなく、どんな有益な情報が得られるのか?という空気、あるいは疲れた様子の方もいて、大丈夫かな?と一気に不安になりました。「プロレスを生で見たことがある方はいますか?」と問うと一人も手があがらず、「小橋さんのことをご存知の方は?」の問いには数人が挙手。中東でアウェイゲームを闘うサッカー日本代表はこんな気持ちなのかと思ったくらいです。そして失礼ながら小橋さんは決して饒舌なタイプでもないため、うまくやらないとお通夜みたいな空気になってしまうと危機感を募らせていました。

そんな不安を吹き飛ばしてくれたのが、他ならぬ小橋さんでした。私が質問を投げて、それに小橋さんが答えるトークショー形式で講演会は進みます。実績がないと入門拒否されながらも努力でトップ選手に上り詰めていった過程から、前例がないと言われたヒザの大手術からのカムバック、命も危ぶまれた腎臓がんからの奇跡の復活…。熱く語りかける小橋さんに、会場にいる全員が引き込まれていく様子がはっきりとわかりました。

そして後半は参加者の方々が自分の抱えてる問題を告白し、小橋さんがそれに対してアドバイス。さらにプロレス式にその人の名前をみんなでコールしてエールを贈るという形。なんだかわけがわからないけど、盛り上がって、すごくいい雰囲気で講演会は終了しました。

講演会終了後、小橋さんが退場するときには大きな拍手と、プロレスファンが花道に駆け寄るように感謝の意を示して手を握りにいくおばあさんがいたりして、三沢vs小橋戦とは違った意味で「すごいものを見た」と思いました。

控室に戻り、主催者の方からは「本当に素晴らしい講演会になりました。ありがとうございます!」と興奮気味にお礼があり、来場者の感想が書かれたアンケートを見せてもらいました。「勇気をもらえた」「明日からまた頑張ろうという気持ちになった」「小橋さんのファンになった」「プロレスを見たらもっと元気になれますか? 会場に行ってみたい」…。そんな賞賛で溢れていて、感動したことをはっきり覚えています。

引退報道があってからは、プロレスとともに生きてきた小橋さんがリングを降りたらどうなるのだろう?と思っていたのですが、この日の講演会を体験して、小橋さんはリングを降りても小橋建太としてリングに上がっていた時と同じように、多くの人に勇気や元気を与えていくのだろうなと確信しました。引退から7年、実際そうなっていますね。小橋建太はいつでもどこでも小橋建太で在り続けています。

この完全アウェイの講演会を経て、のちに小橋さんとはたくさんのトークショーをやっていくことになります。小橋さんのトークショーきっかけで、他のレスラー、あるいはプロ野球OBのトークショーMCを務める機会が激増しました。次回はそんなトークショーにまつわるお話を紹介しましょう。

つづく

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