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1996年からの私〜第27回(12年)尊敬すべきノンフィクションライターとの出会いと別れ

罵倒、裏切り、人間不信

野球ステップアップシリーズの成功を経て、ようやく新たなスタートを切ることができた私のもとに、野球関連の仕事依頼がやってきました。白夜書房の『野球小僧』という、アマチュア野球、ドラフト情報を中心とした、かなりコアな野球ファン向けの雑誌を丸ごと作ってほしいという依頼です。

「編集部のスタッフが全員辞めてしまった。定期購読が数多くあり、雑誌を作らないわけにはいかない。会社を助けてほしい」。大まかにはこうした内容でした。実際に雑誌を見せてもらうと、とにかく情報量、ページ数も多く、とても一人で作れるとは思えません。しかし、「執筆しているライターは全員協力してくれるから大丈夫」と聞き、まったく同じ体裁ではできないけど、なんとかやってみますと返しました。

このとき、多大な協力をしてくれたのが、現在ベースボール・レジェンド・ファウンデーションの代表を務める岡田真理さん。バイタリティに溢れる彼女は、接点のあるライターさんを紹介してくれたり、自ら取材、執筆も引き受けてくれたり、企画を提案してくれたり、本当に助けてもらいました。

その一方で、協力してくれると聞いていたライターの方々とコンタクトをとると、「オマエらなんかに協力するか!」と敵意むき出しで拒否されました。のちにわかったことですが、会社と編集部にイザコザがあり、大半のライターは編集部の味方についたということ。こちらは依頼された仕事をしているだけなのに、悪党呼ばわりされ罵倒され、それだけならまだしも、依頼した仕事を途中で投げ出され、音信不通になったりと、大変な目に遭いました。

そうしたなか、コンタクトが取れた一人のライターの方に原稿依頼。写真を提供してくれるということで、挨拶を兼ねて自宅まで取りに行くことになりました。

そのライター、戸部良也さんは、日本だけでなく、台湾野球をはじめ世界各国の野球に精通し、数多くの著書も持つ大ベテランのノンフィクションライター。このときの私は野球媒体初心者であり、失礼がないようにと少し緊張していました。そんな私を戸部さんは手厚く迎え入れてくれました。

私は媒体がこんなことになっている現状をまずは詫びて、自分が知りうることを話し、困っているので協力してほしいとお願いしました。それに対して戸部さんは「あなたは信用できそうな人ですね」と言ってくれました。

「会社と編集部がもめたというけど、どちらからも何の連絡もない。私はどっちが良くてどっちが悪いとかは関係ないんです。ただ、しっかり挨拶に来てくれたのはあなただけなので、あなたのことを信用します。お手伝いしますよ」

自分とは関係ない揉め事に巻き込まれて罵倒され、裏切られ、人間不信になりそうなところで、戸部さんからの温かい言葉に救われる思いでした。このままでは制作できないと弱気になりかけていた自分をもう一度奮い立たせ、なんとか230ページの一冊を作り上げることができました。

本ができた後、それを届けるのと同時に借りていた写真を返却するため、再び戸部さんのお宅を訪問。このとき、戸部さんはすごく高級であろうメロンや上品な洋菓子を用意してくれていて、3時間以上野球談議をしました。台湾野球がスタートしたばかりの頃、プレー中に判定に迷ったときは、どうしたらいいか?と電話がかかってきたという話など、本当に面白い話を聞かせてもらい、時間はあっという間に過ぎていきました。

マイナスの感情はマイナスしか生まない

その後、白夜書房の役員の方と雑誌の方向性について会議。ドラフト情報に不可欠な全国の地方在住ライターのコネクションを使えないことが明らかになり、ドラフト本からの脱却を余儀なくされました。そこでアマチュア野球やドラフト情報も残しつつ、野球全体の面白さを追求する本にしようとシフトチェンジを確認。

制作2冊目では当時高校生だった大谷翔平選手、アマチュアだった松井裕樹選手、大瀬良大地選手、梅野隆太郎選手らに加え、プロ(OB)からも石井琢郎、小久保裕紀、斎藤隆、赤星憲広、坪井智哉、G.G.佐藤らに登場願い、なかなか豪華なラインナップを実現。新たな方向性に手応えを感じていました。そして白夜書房からも「来年以降もこの方向性でお願いします」と継続依頼を受け、年末進行があるため、すぐに次の号のアポ、取材に取りかかりました。

ところが…。すでに取材をいくつか終えた段階で「来年の予算の都合がついたので野球小僧はやめます」との連絡が入りました。「会社を助けてくれ」と依頼を受け、その会社の代わりにライターの方々の罵倒を受け、それでも引き受けた以上はと必死にやった結果がこの仕打ち。残念な思いはありつつも会社の事情もあるので、それは仕方のないことと受け入れました。しかし、すでに取材をしてしまっているので、協力してくれた方には事情を説明して一緒に謝罪をしてほしいと伝えました。

プロやOBは取材謝礼さえ払えば良いとして、アマチュアの選手たちはそんな簡単な話ではありません。新年号から新たに女子野球にスポットを当てた連載として、野球部のある高校を取材。女子野球を普及していこうという狙いでした。取材の際、選手たちは雑誌に載れることを本当に喜んでくれていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。誠意を持って謝罪しようと思い、顧問の先生にアポをとり、一緒に取材したライターさんとともに学校へ。この後、信じられないことが起こりました。

約束の時間の直前になって白夜書房の役員の方から「行けなくなりました」とドタキャンの電話。確信犯かどうかはわかりませんが、あまりにも誠意を欠いています。本当なら会社までいってぶん殴ってやりたい気持ちでしたが、「二度と俺の目の前には現れるな」とだけ告げ、ライターさんと二人で誠心誠意謝罪しました。

会社と編集部が揉めたという理由がわずか数カ月でハッキリわかりました。編集部側についたライターの方たちが私に敵意をもって接してきた理由も、このときの役員の方の一連の応対から理解しました。罵倒したくなる気持ちもわかります。そして数日後、戸部さんに雑誌が継続できなくなったことを報告しようと自宅に電話を入れると、さらなるショックを受けることになります。電話をとった奥様から、戸部さんが心臓発作で亡くなったことを知らされたのです。

白夜書房の対応云々が吹き飛ぶくらいショックでした。奥様にお悔やみと協力いただいたことへのお礼を伝えると、「あなたがウチに来てくれたときは本当に楽しそうに話していて、こちらこそありがとうございました」と逆に感謝の言葉を伝えられ、胸がいっぱいになりました。どこの誰だかわからない私を信頼し協力してくれた戸部さんへの感謝の思い、そして奥様からの感謝の言葉に触れ、負の感情、マイナスの感情は持つべきではないと自分に言い聞かせました。

このときまでは怒りの感情がありましたが、マイナスの感情からはマイナスしか生まれません。誰かを憎んでも誰も得する人はいません。『野球小僧』は、素敵な人との出会いを提供してくれた雑誌だったと感謝の気持ちに変え、自分はこれから生きていくべきだと考えました。感謝の言葉「ありがとう」は、もっとも脳にいいポジティブワードです。言われた側はもちろん、言った側も心が温かくなる言葉。戸部さんへの感謝の思いで、怒りの感情を浄化しました。

最後まで原稿を書き続け、ノンフィクションライターとしての人生を全うした戸部さん。そんな素敵な方との貴重な時間を与えてくれたこの雑誌制作では、もう一人、のちの取材者としての自分に多大なる影響を与えることとなるノンフィクションライターとの出会いも与えてくれました。

翌年、新たな野球媒体でそのノンフィクションライターのすごさを知り、自分の取材姿勢が大きく変化していくことになるのでした。

つづく

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