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どこに居るかから、どう在りたいかを導くのではなく、どう在りたいがどこに居るかに繋がる



社員になるかならないかかれこれ1ヶ月以上経過したけどだいぶ腹をくくれたけどまだ怖さもある自分がいる

社員なるのが良き道なのか、自分の楽しさに繋がるのか?

はたまたこの機会に別の職場に転職が自分のチャレンジでありワクワクに繋がる?

うーん?どちらもイメージしてもこっちだ!って感覚が湧かない。

何だろうな?と考えてみる




あ〜これ多分どっちでもいいんだなって思った

今の自分の状態だったらどちらを選んでも大して変わんない気がする

私は自分がどう在りたいかという答えを、自分がどこに居るかということから見つけようとしてるんだ

どこに居るかも誰と居るかも勿論大切なこと

でもそれは自分がどこに居たいか、誰と居たいかを明確にしてからのこと

頭では自分がどう在りたいかを大切にそうしてるつもりだった

今の私は私が自分のワクワクやこれやりたい!と思っても周りの人がそれに嫌悪感を抱いて人間関係が悪くなり、結果的に居心地が誰も良くない自分もストレスを感じながら働くのは嫌だなと思った

皆んなでただ楽しく働きたい

正直嫌気がさす事もたくさんあったし、今でもたくさんある(笑)

何でこんなに人の話を最後まで聞けない人がたくさんいるんだ〜!ここは動物園か🐘!とかいつも思ってる(笑)←失礼!

でも接してるとわかる。自分にもこの気持ちがたくさんたくさんあったこと。今の自分にもあること

だからそれなら許さなきゃとかは思わないし、八つ当たりされるのも本当に嫌だと思ってる


わかってほしい、自分を認めて欲しい、私を見てほしい、話を聞いてほしい

そのまんまの自分でも愛して欲しい。これが皆んな根幹にあるんだと思う。誰でもあるよね


自分を見てるようで、陰険な態度をあからさまに取られるのも辛かったけど、こんな想いをこの人達も抱えてて自分で葛藤して、自分でも何に対してこんな感情になるのかもわからなくてそれを外にぶつけてしまうんだなと。辛いんだろうなと感じるのも辛かった

相手は私を責めてるんだけどめちゃくちゃ相手が本当はしんどい。

表面上は顔も態度も怒ってるけど、本当は心は泣いてる

でも当たられてる自分も辛くて、でもこの気持ちを抱えてるんだなっていうのも痛いほど伝わってどちらも感じてしまって余計にしんどかった(笑)

この両方から逃げ出したくなって、そもそも自分も周りもこんなに傷つくのなら別にやりたくないしと思ってしまった

何でこんなに社員になろうって思ってんの?執着してるの自分やんって

ただ1日の中で8時間を共に過ごすのなら楽しい時間にもっとしたいし、改善できる事を自分なりにパートという枠を外れることでやってみたい。

でもねこの皆んなも楽しく働きたいのこの気持ちって本当に悪い気持ちとかではないんだけど、自分の生き方の観念が入ってるんだなって思った

苦しいことも、自分の嫌な見たく無い部分も含めて自分であり、そして自分の人生であるってことだって深い部分で腑に落とすことなんだなぁと。ここにこの想いが繋がっている 

ここがまだ自分の中でやっぱり苦しい事だったりを味わいたく無いとかあるのが、この皆んなも笑顔でになってるんだと思った

それも含めてこそが人生であり、私が社員になるという選択で、自分の人生を生きる事で、苦しくなる人も居るかもしれないけどそれもお互いに必要な経験でありそれも受け止める事が本当の愛であるんだと

ただ寄り添うだけが愛じゃなくて、今は受け入れられないこともあるよねって生きてくのもこれも愛なんだなって

一昨日渓谷に行ってきた時に本当に穏やかで気持ちよかったんだけど目を瞑ってたら涙が出てきて。

今自分が辛いからこの穏やかさに感動出来るんだなって同時に思った

ずーっとこの穏やかだったらそこに感動出来ないんだろうなって

惑星と同じように私たちにもリズムがあって静と動、陰、陽のサイクルで皆生きてるんだなって

太陽があるから元気に生活出来て、でも夜がないと私たちは眠れない

陽、光があるから私たちはそれを情熱にして動けて、陰、闇があるから私たちは自分の内側を内観することができる


2つでひとつ  

悪い出来事でもなく、良い出来事でもない

悪い出来事でもあるけど、良い出来事ででもあるような


そして私が今しているのは負に寄り添う愛

相手も辛いよね、私も辛い。だからそれなら全てが丸く収まる穏やかな道がいいよねって

でもこれは偽物の穏やかさであり、まやかしなんだよね

老子の言葉で

『授人以魚 不如授人以漁』

というのがあって飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。っていう例えがあって私は目先の負に寄り添って魚をあげてることをしてるだけなんだって。

これもやさしさではあるかもしれないけど、ずっと魚を与え続けなければいけないってこと

魚の釣り方を教えることでその人は自分で生きていく事が出来るって老子の言葉

もう自分に対しても人に対しても負に寄り添うことから選択して生きたくないんだと思った

本当は上っ面の仲良しごっこなんてしたくないって思ってる

そんな事するくらいなら相容れない部分もあるよねって深く介入しない関係のがよっぽど本物で本質的で愛だって思ってる


私のこの観念が全ての状況を映してる

先日観た映画エヴリシング エヴリウェア オールアット ワンスを観てまたまた繋がったんだけど

自分の許せない部分だったり、苦しい事も悲しい事もそういうものひっくるめて本当に自分の人生を慈しみ愛せた時、私が本当に自分のやりたい道を進む事でいっときは苦しい想いする人もいるけど、それも人生であり愛の経験だって悟るんだと思う

だから社員になるかならないか、他の職場に転職するかなんてことより、最初にやってみたい!って思った自分の直感に従ってみるかって

多分私がどこに居るかなんてどっちでもいいというよりなんでもいい

1日でやっぱ嫌だってなるかもしれないし、もしかしたら転職を明日気が変わって選択するのかもしれない

でもそれでいいんだと思う

思考がわからなくさせてしまってたけど、よくわかんないけどやってみよーって自分はただ思ったんだ


ただ精一杯にどんな事も自分のやれる事を懸命にやりたい。ただもっとやりたいって思ったんだ


今自分にとって多分一番大切な事はこれ

周りの状況、見えてる世界から自分の道を決める事ではなく、自分の在り方から自分の道を創っていく事

自分のイシキから創造していくこと

多分周りの人からしたらめちゃくちゃ小さな事で何をそんなに躊躇って怯えてるんだって思われるのかもしれない

だけどめちゃくちゃ食欲失せるくらい悩んでる(笑)

きっとでもここまで浮き彫りになったってことはもう手放せる準備出来たで〜のサインだと思う


自分の軸で生きていて楽しい事が大好きで精一杯自分の出来る事をしたい。

やさしさの中に強さがある芯がある、自由でいて奔放で、でもしなやかでいて、たおやか

これが自分の在りたい自分

植物のような風のような自然な人

この間勝手になんだけど植物の意識に繋がった感じがした時があった

瞑想しながら近くにある植物にいつも話を聞いてくれて励ましてくれてありがとうって伝えてみたら、 

植物が『そんな風に思ってくれてるんだ〜ふふふ』みたいなはにかんでるような意識がふわっと入ってきて風がほわ〜って吹いて葉っぱが風でこすれて音がさわさわってした

もうその感じが本当にただやさしくてあたたかくて押し付けがましくなくて泣けてきて

いいんだよ〜大丈夫って思いながらいつも私の話を黙って歌聞いてるみたいにふわーって聞いてくれてる感じがして(笑)

私たちはたくさん仲間がいて、たくさんの種類や特性があって色んなところに居るからいつでも繋がれるんだよ〜って言ってくれてる感じがして

私達にみんなにその植物のスピリットが流れていて同じであるんだって感じた

私たちの皆が繋がって生きてるというひとつの中に自分のワクワクに従って自分が生きる事で、最初は修正が入る事で歪みが起きるかもしれないけど、自分が自分の道を生きることが、皆も自分の道を進むことになるんだとふと思った

私が誰かの道に侵入してたら、その道を行きたい人はズレないといけなくてそうすると皆んな一個ずつ自ずとズレてくわけだよね

自分が自分の道を走ることでそれが解消されるわけで(笑)そうやって私たちは見えない領域で影響しあい繋がってるんだね

実は私はよく人と譲り合ってお互い行きたい方向行けないみたいな感じなのに遭遇しやすくて、この時に私自分の進む道ここを進むぞーって決めて周りの人がどっち行くって読むのをやめた時にスーッと進めた事にこれだ!って感じた時があった

無理やりそこを通るとか自分の道だからどいてとかそういうんじゃなくて、周りを気にする人を読もうとするのを辞めた時、自分はこの道進むって思って集中した時に人がスーッと道をあけてくれたみたいな感じで

自分がこれと決めることなんだって


流れに身を任せながらもきちんと流れも感じて選択していく

こわいけど委ねる


委ねてるとは自分の宇宙をただ信じる事


実験してみる

また時が経ってからこの日記を見直してみようと思う


楽しみ〜!


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