映画『ドライブ・マイ・カー』とても長い個人的な考察と感想と感覚の覚書
すこし前に映画『ドライブ・マイ・カー』を見た。直後はふわふわとしたものが残るだけでなにも言葉にならなかったのだけど、時間が経つにつれてじわじわと頭が痛くなってきた。夜中に急激に今書かなきゃという波が襲ってきて、この感覚みたいなものをどこかに書き残しておいた方が良いような気がした。
というわけでこの記事は
・モロネタバレ
・あらすじでもなく
・めっちゃ勝手な、個人的な考察と感想と感覚の覚書
です。
しかもいわゆる考察サイトを見ないようにしていたので、一般解と大きくズレたことを言っている可能性大。作品や他の考察を批判する意図はないので、こういう感じ方をした人もいるんだな〜と笑っていただけると幸いです。
緊張する映画だった
家福氏が車を走らせて空港に向かい、駐車場エリアに入り車を停めるシーン。左にハンドルをキュッと切って、前進で車を止めた。家福氏は几帳面な人だという印象があったのだが、駐車枠に対して案外テキトーに駐車するんだなあ〜と思った。荷物はトランクに入れたのだから運転席側(外車だから左側)を狭くする意味もなさそう。自分が車の駐車が苦手なものから、妙な親近感を覚えた。
その後、交差点での事故が起きた。左目に緑内障が見つかった。
なるほど、だから駐車するときに左側にズレていたのかと話がつながって、「あ、これ、ちゃんとみないといけない映画だ」と確信した。いい意味でピンと緊張した。
音さんは”狂い”を演じていたのではないか
これはたぶん邪推だけど、思ったこと。
音さんは「翌朝には自らの語りを忘れている」という体をとって、自分の内なるものを語り、それを家福氏に語らせ直すことで、家福氏と「創造を共有する/苦しみを乗り越える」という関係を維持していたのではないか。つまり、本当は意識して語り、また語ったことを覚えていたのではないだろうか。
つまり、(語弊があるけど)音さんが”狂い”を演じていた、としたら。
冒険的に(悪く言うと"試す"意味で)自分が語った内容を、家福氏が「覚えてない、ごめん」と言ったことで、語りを通して共有する二人で作り上げた関係が切れた(=終わった)と感じたのではないか。
”狂い”が関係を繋ぎとめることは珍しいことではない。経験の共有が絆を作るように、狂気や悲しみ、病、そして”狂い”の共有は、時に手放したくない相手を繋ぎ止める働きをする。誰だって多かれ少なかれ共依存の欠片を持ちながら生きている。
とはいえ、音さんにとっては”狂い”が家庭と仕事、つまり生活の全てを支えていて、それ以外がない。もし、音さんが意識して語ってその語りを自らも覚えていたとしたら……もし、狂いきれなくて狂ったフリをしていたとしたら……これほど悲しいものはない。
音さんは家福氏が気づいていないフリをしていることに気づいていた
先の「音さんは自分の語りを覚えていた仮説」は邪推の可能性が高いけれど、家福氏が気づいていないフリをしていることに音さんは気づいていたのは、まあ、そうだろうなと思う。
しかし音さんは、家福氏が気づいていないフリをすることを都合が良くてラッキーとは決して思っていなくて、むしろ自分の孤独を深める根拠のように感じていたはず。
回想シーンが全くないから、正直だんだん「音さんってどんな人だったっけ?」と思えてくるのだが、男たちが語る音さんが素晴らしすぎて、とんでもないすごい人のような気がしてくる。
でも、音さんも人間なのだ。素晴らしい人にさせられすぎて異様すぎる。「普通の人」としての苦しみ、苦しみを苦しみのまま表現できずに苦しんでいたのは音さんも同じだったはず。家福氏と音さんは、苦しみを苦しみとして表現できない苦しみを分かりあえたはずなのだ。
物語の主題は不条理「以後」の話
人間はふつうに生きていこうとしてもふつうに生きていけることのほうがまれで、どうしようもない出来事に巻き込まれながらも生きていくしかない。器用な人は「あのときの〇〇があったから、今の△△がある」と出来事を肯定しながら上手に意味付けして生きていくことができるのかもしれない。
でも、器用じゃない人間に言わせてみれば、どう考えたってあのときの〇〇がないほうが絶対によかったってことはあるし、あのときの〇〇によって望まない方向に人生が大きく変容することがある。他人が変容する様に巻き込まれることだってある。ちょうど、ドライバーの彼女のお母さんがおかしくなってしまったように。音さんの人生が子供の死で大きく変わったように。音さんの変容に家福氏がズタズタに傷つけられたように。
現実は「あのときの〇〇があったから、今の△△がある」という、わかりやすくありがたい因果構文に落とし込めない物事は相当に多い。〇〇が起きて、何かが損なわれて、変容して、でも、やっていくしかない。何かが起きたら、その何かが起きる前には100%戻れない。
それなのに無理矢理に「あのときの〇〇があったから、今の△△がある」構文に落とし込んで、意味のない出来事はない・得たものもある、と応急手当的に納得させて生きてくことで大きく失われるものがある。
だから、ちゃんと恨まないとだめなのだと思う。変に綺麗に加工して良かったものとして片付けないで、ちゃんと「あまりにもひどいよ」と思うのならそう言わないといけない。相当しんどいことけど、ありがたいことに人間には言葉があって、自分以外の誰かとその苦しみを分かち合うことができる。それって美しいことだとわたしは思う。
この世には、肯定し難い、絶対に起きない方が良かった出来事は存在する。その代わり「不条理はあるよね」と分かり合える。この映画はどうしようもなさの中にある美しさを描いたものなのだと思う。どうしようもなさを分かり合える、希望のようなもの。
ラストの意味
コロナ以後の韓国(コロナはまさに全人類が巻き込まれた不条理「以後」だ)。ドライバーの彼女が買い物をして、新たな家族だろうか、犬が待つ家福氏のあの車に乗り込み、車を走らせていた。頬の傷は消えていた。
なぜ、韓国なのか?たぶん、彼女の母のルーツが韓国にあったのだと思う。
手話で話す女優さんの夫、多ヶ国語を話せる韓国人の彼が、「彼女の運転はどうですか?」と折に触れて気にする様子は、なにか個人的な親近感のようなものを感じているように思われたのがそう思った理由のひとつ。もうひとつは、ドライバーの彼女の実家(だったところ)のもの悲しさ。街のはずれの小さなエリア。
父の苗字をたどり広島にたどり着き、家福氏と共に自らのルーツである北海道を訪れた彼女。父→自分→母、と巡礼(?)をしている仮説。
が、この映画全体に言えることだけど、描写それ自体に意味があるというよりか、人はなんとかやっていけるんだという希望を伝える意図なのだろうと思う。車を運転するように、自分の人生もやっていけるはずだ、という。過去の思い出がいっぱい詰まった車を大切にしながら前に進めるはずだ、という。
まとめになっていないまとめ
村上春樹氏の小説群は全て読んだ。もっと言うと、半分以上の作品は3回以上読んだ。でも、村上氏の小説は体験に近いというか、通り抜けた景色のように覚えていて、ストーリーの概略を全く覚えていない。そういうところが好き。小説「ドライブ・マイ・カー」も読んだはずなのに全く覚えていない。映画「ドライブ・マイ・カー」も心地が似ている。通り抜ける景色のように感覚が変容して、あらすじとして覚えていなくて、ちゃんと村上春樹さんだなと思った(語彙……)。
生きていればあるよねそういう道徳とかで片付けられないこと、みたいな主題はいつの時代もアート界隈のメインストリーム。映画賞の受賞作でもとても多いように感じる。片付けられないことあるよね、と受け入れる世の中のほうが、まともだな〜と個人的には思う。
29歳のわたしが抱いた「ドライブ・マイ・カー」の感想は、たぶん10年後、20年後、ぜんぜん違ったものになるのだと思う。わたしは音さんに一番感情移入をしたけれど、そういうのも変わるのだと思う。でも、しばらく保留。無理矢理言葉にするんじゃなくて、このじわ〜っとした感じを、じわ〜っとしたまま抱くほうが合っている気がする。
わたしは毎日おかゆを作ってなんとかやっている。これからもそうやってなんとかやっていこう、やっていけそうだと思った。
すごい映画だった。
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