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それでいいのか?大人の最善のつもり!の情報選択

家族皆でつけている、活動量計。同期させて、歩数の競争ができるので、これを遠方に一人で住んでいる父にもつけてもらえれば、コミュニケーションもとれるし、毎日ちゃんと動けているのかがわかっていいなと思い、勧めてみた。

私の父は、80歳にもなるのに、新しいものへのフットワークが恐ろしく軽い。昼の14時ごろメールをしたら、20時には注文したと返事が来た。

翌日の朝には届き、自分でアプリも入れ、一通り使ってみたと連絡が来たので、皆とつなぐことにした。

ここからが、大変だった。
招待しても、それがどこに来てるかわからないと、右往左往すること2時間。私と息子の間では30秒で終わったことが、2時間だ。

「マジ、なんでこんなに時間がかかるんだ。疲れた。意味がわからん。」と思った時に、あれ?既視感と思った。

同じアプリのいくつかの機能を、私は息子に教えてもらったのだ。しかも一度聞いた後に、これってなんだっけ?と何度か質問している。「もーー、教えたじゃーん、なんでわかんないの?」と笑いながら、気の長い息子は丁寧に教えてくれる。

なんだ、私も父も変わらない。息子からみたら、フットワークは軽めだけど理解力が乏しくて「マジ意味わかんない」、ってやつだ。

はて、なぜこうなった。生きている時間は、私たちの方が長いのだ。圧倒的な知の利があるはずなのだ。なのに、このザマだ。考えられる違いは、息子が生まれて今に至るまでの時間にやってきた情報の取捨選択だ。その中で私たちは、この件に関しては、間違った選択をしてきているに違いない。優しい息子殿がいるから、困らないけど。

だから、明らかについていけないことが増えている今、やっぱり心に留めてなくてはいけないと思う。己の情報の取捨選択基準は、それでいいのか?無意識に、効率ばかりを重視して、大事なことを落としてないか?


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