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私も「異分子」だ。ポスト911とポストコロナが交わるところ1

2005年7月7日朝。

ラッシュアワーのロンドン市内で「同時多発テロ」と呼ばれる事件が起きた。
地下鉄の駅や赤い二階建てのロンドンバスが狙われ、市内数カ所でほぼ同時に爆発があり、少なくとも40名が亡くなったと言われている。

学校も無く寝坊して起きてきた私はその事件のことを知らず、日本にいる母からの国際電話で事件を知った。

「大丈夫?」
へ?大丈夫だけど?

テレビをつけてビックリ。
バスの爆発があったRussel Squareは通ってた学校のすぐ近くで、通学の時によく歩いていた場所だった。対象となったバスは私自身が使っている路線ではなかったけれどヒヤっとしたのは事実だ。スコットランドで予定されていたサミットに合わせた攻撃だとのことだった。エディンバラ開催のフェスに行く予定だったけれど見合わせた。

その数日後、悲しい事件が起きた。
ブラジル出身のある男性が、テロ事件の犯人と間違われ警察に誤射されて亡くなったのだ。ブラジル人なので、当然アルカイダ関係者では無い。でも、浅黒い肌に豊かな髭に黒い髪や瞳を持つ中南米系と中東系の人たちはけっこう外見が似ている。要するに、外見と怪しい挙動で殺される時代になったということだ。

このニュースを、「白人」の同居人たちと一緒に見ていた私。怖い時代になった…と感じた。でも、同居人たちは「当然のことをしたまでよ」と言う。「だって、あの爆発テロでどれほどの人が亡くなったと思ってるの?」犯人を捕まえるためなら、疑わしきを射殺もやむなし、と言うことか。

たしかに「遺族の無念」に寄り添いたい気持ちは分かる。
「次は自分がやられるかもしれない」狙われてる側の恐怖も分かる。

でも私だって一応”coloured(有色人種)”の端くれだ。
見た目が中等系じゃないから、この件で誤射されることはまずないだろう。
だけどこの白人社会において、多民族が共生しているように見えるロンドンにおいてすら、いざとなったら「私たちの街に牙を向いたあなたたち一族は、怪しければ射殺されても仕方ない命なのだ」と言われかねないのだ、有色の「異分子」である限り…
日頃とっても仲良くしている同居人たちとの間に埋めがたい溝があるように感じて寂しく感じた。

当時はイスラム国もISもまだ無かった時代だ。
原発事故も起きていなくて新型コロナウィルスよりもはるか手前。でも世界はポスト911で、2004年に渡英した時点で「対イスラム」の敵対意識は膨らみ始めていた。

その中で私も、何が「正解」なのかは分からないまま…ただ、確実に言えるのは「怪しき異分子は排除して解決」なんて方法で、「ものすごく多様な地球上の人たちや生き物が共に生きていける世界」を創り上げることは無理、ということだ。

一時の恐怖で「排除」を許してしまえば、否定に否定を重ねる負の戦いのスパイラルが永遠に終わらなくなる。

今、新型コロナウィルスに「立ち向かう」状況の中で最初に西洋世界で起きたのは中国人や私たち日本人のような「極東アジア」Orientalな顔立ちの人たちの排除に近い心の動きだったように思う。

状況が変われば私も切り捨てられる側になりえる、と、2005年に感じたことをふと思い出した。でもその後のコロナウィルスの勢いは、そんな「人種」の壁をどんどん超えて、「先進国」「途上国」や「信仰」の違いなどあらゆる壁をこえて人類全体に迫っている。

これまで何度も問われてきたことをここでもやはり問われている気がする。

「異分子を排除して共生なんてできないのよ。もう『コロナがいなかった時代』には戻れない。あの頃が理想だった訳でもない。『コロナ(のような突発的な未知の脅威)という異分子と共に生きていく、全く新しい世界観をこれまでは『壁』に思えてたあらゆる違いを乗り越えて一緒に創っていくの。この痛みを乗り越えたら、そういう新世界に漕ぎいでていくのよ。それが、この痛みの中で苦しんで命を落とした人たちの生や死を無駄にしないってことなのよ。」

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さてこの写真について。

最初に住んだ家は韓国人学生たちとシェアするフラット(アパート)だった。韓国にはクリスチャンが多いけれど、中には「無神論者」の子もいた。(ちなみに韓国語でも無神論者のことを「ムシンロンジャ」と言うw)彼には語学学校で仲良くなったトルコ人の友達がいた。

イスラム教を信じる人たちの世界を少しでも垣間見てみたかった私は、一緒にモスクに行ってみたい、とお願いした。彼らは快く私を仲間に入れてくれて、トルコ系の人たちが集まるモスクの礼拝に招待してくれた。

そこで出会った風景がこの、礼拝が始まる前のモスクで、無造作に駆け回りフットボールに興じる少年たちの姿。
そう、トルコもフットボール大国だ。
彼らにとって、広いモスクの内部はうってつけの遊び場なのかな。
壊れたら困りそうな装飾とか、窓とか…気にならないんだなぁw
大人たちも叱ることなく、当たり前のようにボール蹴りに興じれている子どもたちを見ていると、なんだかほっこりした。

私が垣間見たイスラムの世界の中には、こういうふうわりとした光景もたくさんあったのよ。

ポスト911の人々の心の動きを振り返りながら、今また大事にしたい価値観を自分なりに思い出していきたいな。そんなテーマで時々何回かに分けて書いてみたい。今回は1回目です。

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(London, UK)

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