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【表現アート】 十五歳

私たちは
ドンピシャリのタイミングで
ドンピシャリの場所にいる

みたいなことを
どこかで読んだことがある。

記憶に間違いなければ
リズ・ブルボーの本だった思う。
リズは自己啓発書のベストセラー
「からだの声を聞きなさい」の著者で
翻訳がたくさん出ているから
知っている人も多いだろう。


その警句を思い出したのは、
二十代のはじめの
暗黒時代の記憶が再燃したからだ。

あのとき私は
ドンピシャリのタイミングで
ドンピシャリの場所に
居たんだと思う。

その出来事がたとえ不本意であっても。
私には必要で必然だったのだと思う。


その記憶のまえに
私の人格形成について
触れておかねばならない。

二度の反抗期という大人への通過儀礼を
経験できなかった私は
自分を確立することができず、
社会人になってからも
自分で自分の人生の舵取りができないで、
ゆらゆらと彷徨っている時期が長かった。
だから人間関係では失敗が多かった。

青春期の真っ只中の二十代のはじめ。
触れたくない黒歴史があった。
美しくあるべき青春時代に
こんな記憶はいらない。
土をかけて踏み固めて
出てこれなくしたはずだった。

ところがその時のトラウマの痛みが再燃して
おもてに飛び出してきた。
向き合わざるを得なくなった。

若いときは仕事したり恋愛したり結婚したり
人生の当事者として忙しい。
トラウマとの対決を迫られるのは、
たいてい中年期以降のことだ。


蓋をして忘れていても、
未完了な体験は
身体のどこかに保存され、
知らないうちに人生を損なう
結果になっていることに気づく。

あのことは無かったことにしようと
こちらが無視しても、
心的外傷のほうが無視してくれないのだ。



青春時代の苦い体験とは
そのまま母親との関係を
なぞるものであった。
その苦い体験とは
はじめての恋愛である。

可哀想な母を
おんぶして抱っこして
ついに潰れたように、 
可哀想な彼氏を
おんぶして抱っこして
ついに潰れた。

あのとき私は
ドンピシャリのタイミングで
ドンピシャリの場所に
居たんだと思う。

そういえば母親も彼氏も
私が言いたい事やりたい事をしようとすると
全力で阻止しようとしてきた。
二人ともドリームクラッシャーだった。
私は苦しみ泣いた。

青春時代に起こったことは
そのとき必要で必然だったろうと思う。

もっと言えば
私が望んだことが起きたとも言える。
私が言いたいことも言えず
やりたい事もできないのは
お母さんのせいだ。

母への腹いせか復讐を
していたのかもしれない。

奥底の意図がどうであれ
起こったことの全てを受け入れる。

とにかく自分を
受け入れて受け入れて受け入れる。
することはソレだけ。


こうして残骸の整理をしながら
リソースを思い出そうとしている。
優しい記憶を。

私の可能性のたねは
子供時代に忘れてきている。

幼いときの豊かな創造力は
十五歳のころまでは
まだ生きていたと思う。


表現アートセラピー作品
「十五歳の乙女のコーヒーカップ」
  2016年8月7日



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